第10章 5 アンジュとの別れ

 その日の夜の事。

シャワーを浴びて髪を乾かしていると、ノックの音が聞こえてきた。


「ハルカ・・・。ボクだよ、アンジュ。今、少しだけいい?」


「アンジュ?」

ドアを開けると、そこには防寒着を着てリュックを背負ったアンジュが立っていた。

その姿はまるで今にも旅に出るような出で立ちにも見えた。


「アンジュ・・・一体どうしたの?その格好は?」


するとアンジュは私の手を取り、言った。


「ハルカ、今迄ありがとう。ボク、今夜ここを出る事にしたんだ。」


「え?それは一体どういう事なの?」

アンジュの手を握り締めると尋ねた。


「ボクね、やらないといけない事が出来たんだ。それはボクにしか出来ないとても大事な事なんだよ。今迄その役目から逃げてきたし、決める事が出来なかったけど・・・ハルカに出会って決心したよ。やっぱりボクは自分の役目を果たさないとって。」


アンジュの話は抽象的で私には理解出来なかった。

「ねえ、アンジュ。何を言ってるの?私には貴女の言ってる意味が全く分からないわ。」 


「大丈夫、いずれ時が来ればボクの言ってる意味が分かるよ。」


「え?それはどういう・・・。」

そこまで言いかけた時、突然アンジュが私の首に腕を回してキスをしてきた。

!!

私はあまりにも突然の出来事に固まってしまった。

やがてアンジュはゆっくり唇を離すと言った。


「元気でね・・・。ハルカ。」


「ね、ねえ・・・アンジュ。もう私達・・会えないの・・・?」

震える声で尋ねるとアンジュは私を抱き締めた。


「大丈夫、また必ず会えるよ。今とは少しだけ違う形になるだろうけど・・・ね?」


またアンジュは謎めいた言葉を言う。そして私から身体を離すと言った。


「また会う日まで、元気でね・・・。」


そして私の目の前でアンジュは転移魔法で姿を消してしまった。


「ア、アンジュ・・・。」

後には一人取り残された私だけ。

気が付くと私は泣いていた。唯一、誰にも話せなかった秘密を明かす事が出来た、たった1人の相手を失ってしまったのだ。

 だけど・・・。泣いてばかりではいられない。私は涙を拭った。

これからやるべき事が山積みなのだ。早急に狭間の世界の鍵と魔界へ行ける鍵を手に入れてまずは狭間の世界に行き、魔界へ行く手助けをお願いする。そしてノア先輩を助け出さなくてはならない。

 その後私は・・・裁かれて罪人としていずれ流刑島へと流される。そこで囚人となり一生奴隷のように働かされ続けるのだ。

 これから辛い未来が待っている。これしきの事で泣いてなどいられない。

 

 私は机に向うとノートとペンを取り出し、これからするべき事を夜遅くまで書き続けた―。


 

 アンジュがリッジウェイ家を去って早1週間が経過した。

この日も私は王都へ自分の不要な私物を売りに行く為に衣類やアクセサリーを詰めこんだトランクケースを自転車に乗せていた時、背後から声をかけられた。


「ジェシカ・・・。」


振り向くとそこに立っていたのは公爵だった。


「ドミニク様・・・?」


1週間ぶりに会った公爵は青ざめた顔色で随分やつれているようにも見えた。


「ど、どうされたのですか?」

 慌てて駆け寄ると公爵は曖昧に笑った。


「あれから1週間しか経っていないのに、随分長間ジェシカに会っていない気がするな・・・。」


「ドミニク様・・・?」


「ジェシカ・・・。今日・・もし急ぎの用事が無ければだが・・俺に付き合って貰えないか?話したい事があるのだ。」


その様子はかなり切迫しているようにもみえた。公爵はよほど大事な話しがあるのだろうか?でも・・・。  

「ドミニク様、かなり体調が悪いようにみえますが、お話はまた今度にして今日は御自宅で休まれた方がよろしいのでは無いですか?」


 すると私の一言で公爵の態度が一変した。いきなり両腕を握りしめると、強い眼差しで私を見つめた。


「た、頼む・・・!お願いだ・・・どうか・・・。俺の話を・・・。」


公爵は俯いている。その声は今にも消え入りそうだった。


「わ、分かりました・・。では私の家では家族の目もありますので、ドミニク様のお屋敷でも良いですか?」


「ああ、それで良い。ありがとう、ジェシカ・・・。」


 そして公爵は私の自転車ごと転移魔法を唱えた—。




「すまなかったな・・・。何処かへ出掛ける用事があったのだろう?」


公爵は館に着くと、申し訳なさそうに言った。


「いえ、いいんですよ。どのみち王都に用事があったのです。ドミニク様のお陰で王都迄自転車でくる手間が省けました。ありがとうございました。」


「そうか・・・それで話というのは他でもない。俺の両親と・・・彼女についての話なんだが・・。」


 公爵はここまで連れて来ておきながら、私に両親の話や彼女の話をするのを躊躇しているように見えた。

それなら私の方からうながしてあげよう。

「ドミニク様・・・・。ご両親は・・何と仰っていたのですか?」



「あ、ああ・・・。やはり・・・彼女を屋敷から追い払ったのは、俺の両親の差し金で間違いは無かったんだ。でも両親は何故彼女を突然解雇したのか理由を話してくれたよ。俺の屋敷には財産を管理してくれる執事が居るんだが・・・。」


ポツリポツリと公爵は話始めた・・・・。


 

 公爵には代々使える優秀な執事の一族がいる。そして彼等の主な仕事は財産の管理なのだが、ただ財産の管理という物は一個人で行えるものでは無い。

そこで執事の元には大勢彼等の下で働く経理課の人間達がいる。彼等の仕事は財産の支出の流れを把握する仕事なのだが・・・・数年前から管理している財産の一部が巧妙な手口で用途不明金としてかなりの額が毎年消えている事に気が付いたそうだ。

さらに領地からの収入も減少傾向にあり、これらの報告を受けた執事が怪しいと調べた所、公爵が思いをよせていたメイドの女性が浮上してきたらしい。


 執事が密かに証拠を集め、それらをメイドの女性に突きつけた所、あっさりと罪を認めた。

その横領額は驚く事に日本円に換算してみると、わずか5年の間に約1億円にまで上っていたという。

彼女の証言によると、わざと公爵と仲良くなり巧妙な手口で横領を続けていた・・。


 そして執事は公爵の両親にその事を全て報告し、公爵の両親の言いつけで、メイドの女性にクビを言い渡したそうだ。


「執事は・・・俺が彼女の事を好きだったのを知っていて、その事も拭くめて俺の両親に報告したんだ。すると、両親がジェシカとの見合い話が丁度来ていたので、受けたらしい・・・・。」


「ドミニク様・・・。」


「俺はそんな話、信用出来なかった。だから執事から無理やり彼女の引っ越し先を聞きだして、転移魔法で彼女に会いに行って来たんだ。・・・そこで色々驚く事があったよ。」


公爵はフッと悲しそうに笑うと言った。


「彼女の家は・・・驚く程に大きな館で・・とてもメイドの給料で建てられるような屋敷では無かったよ。彼女は俺を見ると顔が真っ青になって、必死に謝って来た。長い間騙していてごめんなさいと・・・。屋敷を立てたお金は今迄横領したお金を退職金代わりとして貰えたらしい。心を入れ替えたので、どうかもう二度とここには来ないでくれと懇願されたよ・・・。」


「ドミニク様・・・。」

どうしよう、私のせいだ。私が余計な事を言ってしまったばかりに、かえって公爵は残酷な真実を知る事になり、深く傷つけてしまったのだ・・・。


「ごめんなさい!ドミニク様・・・・!わ、私がいけなかったんです・・。余計な事を話してしまったせいで、知ってはいけなかった事実を・・・。」


必死で謝ると、公爵は今にも泣きそうな顔を上げて私を見つめ、次の瞬間強く抱きしめて来た—。












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