第7章 10 手を繋ぎましょ

「それで、何故僕が天文学を専攻したのかって話だったよね?」


「はい。」


「理由は単純だよ。僕の両親は少しでも視力が良くなるようにって毎晩夜空を眺めさせていたんだ。それでいつの間にか自分自身も天体に興味を持って天文学を専攻したんだよ。でも結局は視力向上には至らなかったけどね。」

 

 何処か懐かしそうに目を細めて話すジョセフ先生。そうか、先生が天文学を専攻したのはそのような事情があったのか。

その時、遠くで午後の授業の始まる20分前の予令が聞こえてきた。

「あ、先生。すみません、そろそろ午後の授業が始まるので私戻らないと。」

立ち上がる私に、何か先生が言いかけた


「あ・・・。」


「先生、どうかしましたか?」


「あの・・・こんな事頼むのは悪いと分かっているんだけど、眼鏡が無いから、今ほとんど周りの景色がぼやけて見えなくて・・・それで申し訳ないのだけど、学院迄僕も一緒に連れて行って貰えないかな?」


そうだった。私の不注意で先生の眼鏡を壊してしまったのだ。

「す、すみません!先生の今の状況、すっかり失念しておりました!では先生、失礼します。」

私はジョセフ先生の左手をギュッと繋いだ。


「い、いや、あの。別に手を繋がなくても・・・。」


慌てたように言う先生だが、眼鏡を壊してしまった私には学院迄先生を無事送り届ける義務がある。


「先生、何を仰っているのですか。足元が危ないですからこれ位当然です。」

構わず先生の手を引いて歩きながら、ふと思った。

「先生・・・。前が何も見えないと言う事は、もしかして・・?」

私の言葉を最後まで聞かずとも先生は分かったらしく、恥ずかしそうに頷いた。

そうだ。今の状態では先生は1人で家に帰れないのだ・・・。


 あの後、私はジョセフ先生の手を引いて学院の敷地内へ戻ると、すれ違う学生たちが好機の目でジロジロと視線が痛いほど見つめて来るのが分かった。

ああ・・これがきっかけでまた何かトラブルが起こらなければ良いのだが・・。

私は心の中で溜息を付いた。でももし、ジョセフ先生が責められる立場に追いやられた場合は全力で自分が先生の前に立って矢面に晒されないようにしなければと心に誓った。

 臨時教員用職員室へとジョセフ先生を送り届けた後、自分の教室に戻り中を覗いて見ると、なんと驚いた事にまだマリウス、アラン王子、グレイ、ルークは教室に戻っていなかった。よしよし、彼等がいないのなら尚更都合が良い。恐らくはまだ生徒会室で揉めている最中なのかもしれない。だとしたら私がジョセフ先生の手を引いて学院に戻って来た事実を・・・多分?知られる事は無いだろう。


 教室を覗き込んでいた私に気が付いたエマがやってきた。


「どうしたの?ジェシカさん。教室の中へ入らないの?」


不思議そうに尋ねて来たので、私は事の顛末を全てをエマに話した。

「すみません、エマさん。そういう訳なので午後の授業も欠席させて頂く事になるの。」


「いいえ、でもジェシカさんて親切な方ですね。大丈夫、どうかハワード教授に付いて行ってあげて下さい。私が次の講義の教授に事情をお話ししておきますので。」


私はエマにお礼を言うと、ジョセフ先生の元へと向かった―。


「リッジウェイさん、本当に講義を休んで良かったのかい?」


私達は今門の前に立っている。今からジョセフ先生の持っている指輪で門の扉を開けて、セント・レイズシティへと向かうのだ。


「ええ、先生に不自由な思いをさせているのは元はと言えば全て私の責任なので。」


「何もそれ程気にする事は無いと思うんだけどね・・・。」


ジョセフ先生は門を見ながらポツリと言う。あ、ではそれなら・・・。

私はある事を閃いた。


「ハワード先生、セント・レイズ総合病院の場所をご存知ですか?」


「うん、勿論知ってるけど?もしかしてリッジウェイさん。病院に用があるのかい?」


「はい、実は先生はご存知かどうか知りませんが、セント・レイズ学院の生徒会役員のライアンという男性が学院内で大怪我をして総合病院に運び込まれたらしいんです。私、どうしても彼の事が気がかりで・・可能であれば面会出来ないかと思っていたんです。」


「そうなのかい?学院内でそんな事件が起こっていたなんて僕はちっとも知らなかったよ。やっぱり臨時職員だからかな?」


首を傾げながら言うジョセフ先生。まあ言われてみればそうなのかもしれないが、でも学院内で起こった事件は学院中の人間が周知しておくべき事なのではないだろうか?実は今回の件で私はいささか学院のやり方に失望していた。

「彼の怪我の具合が心配でたまらなくて・・。でも何も情報が入って来ないので、病院に行って彼の病状や、願わくば面会出来ればと思ってるんです。」

実際、私はライアンの様子が心配でたまらなかった。もし意識が戻らない程の大怪我だったら?死んでしまうかもしれないような状態だったら?等と思うと居ても立ってもいられない。


「分かったよ。それじゃ僕の家に行って眼鏡を取って来れたら一緒に病院の方へ行って見よう。僕も付き添うから。」


 おお、それは願ったり叶ったりだ。実は学生1人が面会を希望しても病院側も受け入れてくれないのではと思っていた。けれども学院の教授が一緒なら・・面会も可能なのではないだろうか?

「はい、是非!お願いします!」


 すると先生はにっこりと笑い、言った。

「それじゃ、セント・レイズシティへ行こうか?」

そして指輪を門へかざし、扉を開いた・・・・。


 町へ着いた私達はジョセフ先生の住所を頼りに先生の手を引いて歩き、やがて先生の住んでいる自宅付近へと辿り着いた。

先生の住んでいる家は町の中心部から少し外れた場所、辺りはポツリポツリと小さな民家が立ち並ぶ殺風景な場所だった。その中の1軒が先生の自宅だと言う。


「僕の家はね、青い屋根にレンガの煙突が付いているんだよ。分かるかい?」


「あ、ありました!あの家ですね。ではハワード先生、行きましょう。」

私は先生の手を引いて青い屋根の家を目指した。


 鍵を開け、中へ入るとジョセフ教授の部屋は私の住んでいる部屋のおよそ半分くらいの広さしかなく、驚くぐらい殺風景な部屋だった。

小さな食卓用テーブルに小さな食器棚、そして2人がけのソファが板張りの床に置いてある。

その小さなテーブルの上に先生の予備の眼鏡が置いてあったので、私は早速それを手に取り、ジョセフ先生に手渡した。


「ありがとう、リッジウェイさん。」


眼鏡をした先生にお礼を言われた私は更に家の様子を観察した。

奥には台所があり、その隣には2階に続く階段がある。


私の視線に気が付いたのか、ジョセフ先生が説明してくれた。

「僕の家の2階は屋根裏部屋で、窓が屋根に沿って斜め上についているんだよ。そこから見える夜空は最高に美しいんだ。」


ジョセフ先生は嬉しそうに言うが、私は別の事を考えていた。

もしかするとジョセフ先生は臨時教授だから、学院に来る回数も少なくされ、更には薄給の給料しか貰えていないので、このような貧しそうな?暮らしを強いられているのではないだろうか?

・・・もしこれが事実なら許すまじ、セント・レイズ学院。貴族しか入る事の出来ない学院なので寄付金はがっぽり貰っているはずなのに臨時教授達には微々たる給料しか与えず、学院側が不当に搾取しているのではないだろうか?そう、あの生徒会のように・・・。


「よし、それじゃ病院に行ってみようか?リッジウェイさん。」


先生に声をかけられたが、私はどうしても先生に伝えなければならない事が出来た。

「ハワード先生、不当な扱いを受けているのであれば私から学院に直談判しますよ!」

私の言葉にジョセフ先生は不思議そうに首を傾げるのであった。


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