第1章 5 根負け
食堂にはわずかな学生しかいなかった。そしてメニューも殆ど残っていない。
私はマリウスと二人向かい合って、スープリゾットを食べている。
「マリウス・・・ごめんなさい。うっかり眠っていたから貴方を1時間も待たせてしまって。」
申し訳なさそうに謝る。
「ハハハハ・・・・。いいんですよ。粗食は身体に良い事なので。ん?と言うかお嬢様、今私に謝りましたか?」
「え?うん・・・。謝ったけど・・・?」
カチャーンッ
学生が殆どいない食堂のホールにマリウスが床に落としたスプーンの音が響き渡った。
「・・・・。」
マリウスは石化の魔法にでもかかったかのように固まっている。
「マリウス?ねえ、どうしちゃったの?マリウスってば!」
私が呼びかけてもマリウスは微動だにしない。何?またおかしくなっちゃった?
「は!」
暫くするとマリウスは魔法が溶けたかのように我に返った。
「お嬢様・・・先程の事を確認させて頂きたいのですが・・・?よろしいですか?」
マリウスは真顔で私の顔をじっと見る。
「うん。いいけど?」
「先程、お嬢様は確かに私に謝りましたか?」
「うん、謝りました。」
私は素直に返事をする。
その言葉を聞くと、途端にマリウスはテーブルに崩れ落ちる。
「な・・・何て事だ・・・・!私があの時目を離したばかりに、お嬢様がおかしくなられてしまった!やはり一時でもお嬢様の側を離れるべきでは無かった・・!」
テーブルに突っ伏して肩を震わせているマリウス。
まさかこれ程の衝撃を受けているとは・・・・ジェシカ、貴女どれだけマリウスを虐めていたのよ。
私は溜息をついた。ここは私の書いた小説の世界で貴方の主人であるジェシカではありません、この小説の作者ですよ。等と本当の事を当然言えるはずもなく・・。ここはマリウスには悪いが嘘をついてごまかすしかない。
「ねえ、マリウス。貴方に大事な話があるから冷静になって聞いてくれる?」
私はマリウスに話しかけた。
「大事な話、ですか?」
「そう、大事な話。」
「それは今のお嬢様に関するお話ですか?」
マリウスの言葉に私は黙って頷く。
「分かりました、お話聞かせて下さい。」
マリウスは居住まいを正した。話が早くて助かる。
「実は、今私記憶喪失なの。」
神妙な面持ちで話す。
「記憶・・・喪失ですか?」
「うん、それも今日突然。気が付いてみれば草むらの上で眠っていたみたい。そして偶然通りかかったアラン様が私に気付いて起こしてくれて。目が覚めた私は・・・自分の事が何もかも分からなくなっていたってわけ。」
「・・・・。」
マリウスは黙って話を聞いていた。
「信じてくれる?」
黙ったままのマリウスの気持ちを知りたくなった。
「ええ。私はお嬢様の言う事ならどんな事でも信じます!」
おおっ、さすがはマリウス。それとも余程今迄ジェシカに洗脳されてきたのかもしれない。
「本当に?」
私は念押ししてみた。
「ええ、本当です。やはりおかしいと思ったのですよ。普段と態度が全く違うし。何よりその話し方です。以前までのジェシカお嬢様とは全く違います。」
「なるほど・・・ね。」
やはり庶民の私には所詮お嬢様言葉?を使えるはずが無い。しょっぱなから色々な人の前で普段通りの話し方をしてしまっていたのだから、かなり奇妙に映って見えていただろう。
「だからね、以前のジェシカがどうだったかは分からないけどこれからの私は貴方の嫌がるような事はもうしないから。言葉遣いも悪いけど、このままの話し方でいかせてもらうね。」
「そうですか・・・・。それでは以前のようにお嬢様から罵詈雑言やごみ箱に捨てられた青カビだらけのパンを見るような嫌そうな視線で見られる事も無くなるのですね・・。」
いかにも残念そうに言うマリウス。ねえ、そこは本来は喜ぶべき所なんじゃないの?
それにしてもあまりの物の言いようだ。ジェシカという人間性を疑ってしまう。
でも悪いけど私は貴方の希望通りの態度は取れないよ。だって本物のジェシカじゃないし。だから私は言った。
「そういう事でもう私と一緒に行動してもらわなくて大丈夫だよ。今までの私だったらマリウスを自分の思うように従えてきたかもしれないけど、もうマリウスの期待通りには振舞えないから得にもならないでしょう。それに今の私はこの学院で過ごす間はマリウスに学院生活を満喫してもらいたいと思ってるのよ。貴方には貴方の人生があるわけだから私の事は気にしないで自由にして。」
話し終わると私はにっこり微笑んだ。マリウスは下を向いたまま黙っている。
よし、これでマリウスを私という面倒な存在から解放してあげる事が出来た。彼には是非とも学院生活をエンジョイして貰えればと思う。
しかしマリウスから返ってきたのは意外な言葉だった。
「嫌です・・・・。」
「え?」
マリウスの声が小さくて聞き取れなかった。
「嫌です!いくらジェシカお嬢様でもその話だけはお受けする事は出来ません!」
マリウスは意思を込めた強い瞳で私を見た。
「私が損得で今迄ジェシカお嬢様にお仕えしていたと思うのですか?10年前、初めて貴女にお仕えする為にお会いしたあの時から貴女のその強い瞳に私のハートは打ち抜かれてしまいました。この方の下僕として自分の一生を捧げようと自分自身に誓いを立てたのです。例え貴女が記憶喪失になって人格が変わってしまおうとその決意は変わりません。」
熱のこもった熱い眼差しで見つめてくるマリウス。
「マリウス・・・。」
何?この目の前にいる男は。マリウスにMっ気があるのは分かったけど、てっきりそれは毎日毎日ジェシカにいびり倒されてきたからだと思っていたのだがどうやらそれは違ったようだ。元々マリウスはその気があったのでジェシカの下僕としてはまさにぴったりの相手だったと言う事か。考えてみれば小説の最後でジェシカ達が流刑地へ流された時、マリウスまでついてくる設定がこのような形で歪められたのだろう
私に一生を捧げる?それは一生私の側から離れないって言う事なのか?
無理だ。いくらイケメンでもこんな変な男を側に置いておくなんて私には絶対無理。下手をすれば一緒にいるこっちまで周囲の目から冷たい視線を浴びる事になってしまう。あの小説の中ではお気に入りのキャラクターの1人だったのに・・・・。私の思い描いていたマリウス像がこの時ガラガラと音を立てて崩れ落ちる瞬間だった。
私は余程嫌そうな視線でマリウスを見つめていたのだろう。先程まで元気が無かったマリウスの表情が喜びへと変わっていく。・・・何だか嫌な予感しかしない。
「ッ!お嬢様!ああ、やはり記憶喪失になられても根本的にお嬢様は変わっておりません。薄気味悪い虫けらを見るようなその嫌そうな視線、どうかもっとその眼で見つめて私の心臓を射抜いて下さい!」
マリウスは頬を赤く染めて嬉しそうに震えている。人が殆どいない食堂で本当に良かったと私はこの時ほど感じた事は無い。
「分かったってば!側にいてもいいからそれは止めて!」
私は必死で止めたが、マリウスは留まる事を知らない。
「本当ですか?お側にいてもよろしいのですね?夢みたいです・・・。そうだ!夢かどうか確かめるために私の両頬をおもいきりひっぱたいていただけますか?」
もう嫌だ。逃げだしたい・・・。そんなやり取りをしている最中、突然私達は声をかけられた。
「そこの2人。先程から何をそんなに騒いでいるんだ?」
「え?」
見上げるとそこには、あの時草むらで出会ったアラン・ゴールドリック王太子その人だった。
「何だ、あの時の奇妙な女か。入学式が始まると言うのに外で眠っていた挙句、コスプレだとか訳の分からない事を口走る。かと思えば成績優秀でまさか新入生代表の挨拶に選ばれるとはな。それにしてもあのスピーチ、中々面白かったぞ。女ながら勇ましくて笑えた。」
口元に笑みを浮かべたアラン王太子はどこか嬉しそうに言った。
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