序章 4 そこにいるはずのない貴方
朝8時—
私はシェアハウスのキッチンに立っていた。アイルランド型の大きなキッチン、2台も備え付けてある大きな冷蔵庫に収納戸棚・・・これ程物に恵まれた環境も無いだろう。
食材は勿論、自分の物は自分で用意する。冷蔵庫から自分の名前を書いたポリ袋を取り出した。
「簡単にスクランブルエッグとボイルウインナー、サラダにして・・・。パンはまだあったかな?」
収納戸棚を見ると、まだ食パンは残っている。スティック珈琲も在庫があるし、これで朝食はまかなえそうだ。
早速キッチンで簡単に調理を始めていると、同居人の男性が欠伸をしながらリビングルームへと入って来た。
「おはようございます、森下さん。」
笑顔で挨拶すると森下さんは驚いたように言った。
「あ・ああ、川島さん。何か良い匂いがすると思ったら料理していたんだね。」
頭をポリポリ書きながら森下さんは言った。
この男性は若手のゲームプログラマー。オンラインアプリゲーム世界では中々有名な人物らしい。
「良かったら、一緒に食べますか?少し多めに作ったので。」
「ええ?本当にいいんですか?嬉しいなあ~。」
「いいんですよ。いつも仕事の件では色々お世話になっているので。」
「やめときなさいよ、川島さん。一度餌付けすると何度も催促されるから。」
そこへスレンダーなショートヘアー美人の大塚さんがやってきた。ビシッとスーツ姿で決まっている所を見れば、本日は出社日なのかもしれない。
「大塚さん、今日は出勤ですか?」
フライパンの火を止めて尋ねた。
「うん、そうなのよ。何でも会社のPCがバグっちゃったみたいで手助けが欲しいんですって。あ~面倒くさいわ。それじゃ、行ってきます。」
大塚さんは踵を返すと颯爽と出かけて行った。
皿に二人分の朝食の用意をすると私は森下さんに声をかけた。
「森下さん、朝ご飯が出来たのでどうぞ。」
呼ばれた森下さんはいそいそとテーブルに着き、私が用意した朝食を見て嬉しそうに言った。
「おお~これは美味しそうですね。」
「いやいや、どれも簡単な物ばかりでお恥ずかしいですよ。」
「そんな事無いですって。大体ここに住む住人は川島さんと赤城さんを除いて、誰も料理作らないんですから。」
言われてみれば確かに森下さんも大塚さんも料理をしない。それに滅多に部屋から出てこない金子守さん(詳しい仕事内容は良く分からないが、ネットショップを運営、かなり儲かっているとの話だ。)彼もその内の1人。
後は・・・。
私は先ほどから自分の部屋にも戻らず、リビングで寝息を立てている女性、
宮守京香さん。一緒に暮らし始めて半年になるが、未だに謎の人物である。噂によるとデイトレーダーの仕事でかなりの金額を動かしているらしいが、定かではない。
「そう言えば、赤城さん今朝はまだ見かけていないですね。」
森下さんが何気なく話しかけてきた。
「確かにそうですね・・。いつもならこの時間はとっくにリビングに顔を出しているのに。」
私は首を傾げながら答えた、その時。手元に置いた携帯からメッセージの着信音が届いた。何気に開いた私はたちまち嫌な気分になる。
「どうかしたんですか?」
そんな私の様子を森下さんは不思議そうに尋ねて来た。
「あ、何でも無いんです。また迷惑メッセージが届いてしまって。後で着信拒否にしておかないと。」
咄嗟にごまかすのだった。
メッセージの相手は交際していた元カレ、健一からだった。ここ2週間ほど前から頻繁にメッセージが届くようになったのである。
内容はどれも同じ、ヨリを戻そうと言ったものばかりである。俺が間違っていた、俺にはお前しかいないと言われて、ハイ分かりましたとでも言うと思っているのだろうか?もうとっくに健一への思いは冷めきっている。いや、連絡すら入れて欲しくない。あんな一方的に振られたのにヨリを戻すなんてあり得っこない。
「川島さん、大丈夫ですか?」
突如声をかけられて私は顔を上げた。見ると森下さんが心配そうにこちらを見ている。
「あ、ごめんなさい。ぼんやりしていたようで。」
「部屋で休んだ方がよいですよ?何だか顔色も悪そうだし・・・片付けは俺がやっておきますんで。」
「そうですか・・・?それじゃお言葉に甘えて。後はよろしくお願いします。」
部屋に戻るとベッドに寝そべり、携帯に届いたメッセージを確認した。既に健一が入れてきたメッセージは50件を超えているだろうか。これでは完全にストーカーだ。
「ふう・・・。」
私は深いため息をついた。何よ、一ノ瀬さんとよろしくしてたんじゃなかったの?今更私に何の用だって言うのよ。
思えば私がネット小説に投稿したのも、今回の事が原因だ。一方的に失恋し、やけになって書いた作品である。そしてモデルとなったキャラクターも然りだ。
例えば、悪女として登場するジェシカは私。そしてヒロインは一ノ瀬琴美。ヒロインの相手役は健一がモデルで、最後まで悪女ジェシカの側から離れず、見守ってくれた人物が赤城さん。
いや、別に彼に気があると言う訳では無いが、路頭に迷いそうになった私を助けてくれた赤城さんはまさに私にとっての王子様と言っても過言ではない。
「そう言えば、赤城さん・・・。今朝はどうしたんだろう。」
私は呟いた。ここに住み始めてからというもの、毎朝必ず顔を合わせてたのに今朝は会う事が無かった。
「何かあったのかな・・・。ちょっと仕事の事で聞きたい事があったのに。」
そこまで言いかけて、私は慌てて飛び起きた。
「あ!大変!納品明日の朝までだった!早く最後の仕上げをしなくちゃ!」
私は慌てて飛び起きるとPCの前へ向かったのだった。
夜8時—
「ふう~、やっと終わった。」
無事に納品を終えた私は駅前の商店街へと向かっていた。
「明日は何の料理を作ろうかな・・・。」
そう考えながら歩いている時である。
「川島さん!」
聞き覚えのある声に思わず振り返ると、そこには身体を震わせながら怒りに満ちた目で私を睨み付けている一ノ瀬琴美が立っていた。
「一ノ瀬・・・・さん・・・?」
私は信じられない気持ちで彼女を見た。
「やっぱり・・・貴女は酷い女ね・・・!一度は振られたくせに、また彼に言い寄ってヨリを戻そうとするなんて!」
彼女が何を言ってるのか私にはさっぱり理解出来ないし、むしろ怒っても良い立場にあるのはむしろ私の方ではないだろうか?
けれど、彼女がバッグから小さなナイフを取り出した時、恐怖が走った。
え・・・まさか嘘でしょう・・?
「許さない!」
そう言うと、ナイフを握りしめながら私の方へ走って来た。
「!」
恐怖に足がすくみそうになったが、キラリと光るナイフの穂先が逃げる原動力になった。私は踵を返すと必死に走った。町行く人々は女二人の追いかけっこを不思議そうに見ていたが、静止しようとする人物は誰一人としていない。
息も切れ切れに走ると、道路を挟んで反対車線に交番があるのが見えた。でも信号を待っているうちに追いつかれてしまうかもしれない。
見ると側には歩道橋があった。私はキリキリと痛む心臓を我慢して必死に階段を駆け上がる。
しかし、余程私は慌てていたのだろうか。突然足を踏み外してしまい、そのまま階段から落下していく—。
「遥!」
地面に落下する瞬間、一ノ瀬琴美を羽交い絞めにした健一が悲痛な声で私の名前を叫んでいる姿が目に映った。
健一、どうしてあなたがそこにいるの・・?
そして私の意識は暗転した—。
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