頑張れよ、クソッタレ

いある

アンタの事は大嫌いだけど

 不倶戴天。宿敵。仇敵。いくつかの呼び名が、大嫌いな相手には存在する。好敵手だなんて生易しいモノではなく、ただ純然たる悪意を以て軽蔑したくなるような存在。そういう人やモノ、誰にだってあるものだろう。俺にとっては少なくとも、隣の席の前原がそうであった。

 幼いころから幼馴染のような扱いをされ続けた人間。普通なら恋仲に発展しなくとも憎からず思う、気心が知れた存在。けれど俺は彼女が嫌いで嫌いで、仕方が無かった。彼女はいわゆる努力家なのだ。大して俺は天才タイプ。自分で天才だのなんだののたまうのは愚かなものだと思うし、自惚れが混じっていることも別段否定することはしない。けれど事実として、ある程度の事はできる。

 …けれど周囲の目というのは天才という恵まれた存在の事は気に入らないようで。

 同じ地点に立つにしてもその過程に積み上げた努力というものに人々は勝手に感動する。同じことをインスタントにこなしてしまう存在より、血のにじむような努力を以てそれに追随することこそを理想とする。くだらない評価だった。そして彼女に憎悪を抱くこと自体もまた、おこがましいことであった。

 けれど彼女が頑張れば頑張るほど、俺の評価は地に落ちて行った。決して彼女に悪意なんてものが無いのは分かっていた。だからこそ真っ向から文句を言う気にもなれなかった。

 端的に言ってしまえば、死に物狂いで努力できるモチベーションと気力、そしてそれを評価する周りの声が、俺にはひどく羨ましかったのだ。なまじ才能を持ってしまったばっかりに、人々の琴線に触れるためには高い水準が求められた。

 確かに努力すれば俺にもその名声が手に入るのかもしれない。実際にもっとやればいいのに、なんて声も毎日のように教師陣から浴びせられている。

 ――とっくに頑張ったさ。自分なりに必死に努力して、全国の舞台まで駒を進めたこともあった。優勝こそできなかったけれど、それでも全国二位という輝かしい功績を残したのだ。

 どうだ、俺だってやればできるんだ。優勝を逃した悔しさも無い訳ではなかったが、それでも自分の努力が形として見えてきた瞬間、自分が認められたような気がしたのだ。

 けれど、違った。

 地元に帰ってきて、近所の人が開口一番俺に言い放った言葉がこれだった。

『もっと頑張れば優勝できたのに。あの子はもっと頑張ってる』。悔しかった。涙が溢れて止まらなかった。お前に何が分かるのだと。俺がしてきた努力を、そんな小さな妄想で踏みにじったのかと思うと悔しくてたまらなかった。

 そして、俺が決勝の舞台で敗れた相手こそ、前原に他ならなかった。

 分かっている。言ってしまえば彼女は俺よりも才能が無いにもかかわらず、努力でそれを上回った。それは素晴らしいことだし、評価されるべきことなのだろう。

 だが、それがどうした。

 ただ自分よりも努力した人間がいるというだけで、自分が積み上げてきたものを蹴飛ばされたような、言葉にできない辛さだけが胸に深く染みついた。努力したって無駄なんだ、誰も褒めてくれやしない。どんなにいい成績を収めたからって、努力する姿勢を見せ続ける相手が近くにいると、当てつけのような嫌味しか聞こえてこないのだ。それが分かってから、俺は努力をやめた。

 ノー勉で学年十位をとり、部活では幽霊部員でありながら全国の舞台に出場し、芸術でいくつか賞をとるような生活。けれどその全てにおいて、褒められるのは努力した者だけだった。

 だから、努力している姿勢を評価されている人間が、俺は羨ましくて仕方がないのだ。




「なぁ岡野っち、帰ろうぜ。部活、どうせ行かねえんだろ?ゲーセンでも行こうや」

 岡野。その名前が自分の苗字である事を認識するまでに十秒ほど時間を要してしまった。気が付けばHRなどとっくに終わって、残っているのは自分と数人の男子生徒、加えて前原だけだった。皆帰るか部活に行くかしてしまったらしい。

 前原はいつものように、誰に指定されたわけでもないのに予習復習を丁寧にやっている。これこそが学年一位をキープし続ける秘訣なのだろうか。

「あぁ、わり、すぐ準備するわ」

「もぉー、いいけどよぉ。ってかさ、あいつマジでキモくね?」

 話が切り替わって、いつも通り誰かの悪口の話になった。

 そしてわざわざ説明しなくても視線と無遠慮な指先で誰についての悪口なのかは理解できてしまう。

「いやさ、何?お勉強がそんなに大事なんかねぇ、わっかんねえわ」

「そうだな。確かに、意味分かんねえよな」

 別に意味が分からなくはない。むしろ学習能力が高いというのはありとあらゆる局面でアドバンテージを持つ。けれどそれを指摘することも俺にはできなくて、軽く同調するような相槌を打つ。

 …ふと、前原が悲しそうに眉を顰めたのが、なんだかつらかった。

「ホントホント、佐野っちの言う通りだわ、努力なんて馬鹿みてえだっての。努力する奴なんてキモいやつしかいねえよ」

 彼らの言うことも一理あるのだろう。努力をしたことが無いものからすれば、理解できないものを気持ち悪いと言ってその価値を貶めようとするのはある種当然ともいえる。

 ――けれど。一度でも本気で努力したことがある俺は、決してそうは思えなかった。

「…そうかな」

「…は?どうしたの岡野っち、真面目ちゃんの真似?」

「いや、そういうんじゃなくて。今のはちょっと違うと思うわ」

 なんで自分がこんなことを言っているのか分からなかった。この友好関係を悪化させて何もメリットなんてのはないのに、ただするっと口から言葉が滑り落ちていた。

「まぁ知ってると思うけど、努力ってさ、くそつまんねえよ。他のやつが当たり前にできることに必死に歯食いしばって。自分でも馬鹿なんじゃねえの?って思うとき実際にあるし」

「だよなぁー!やっぱ意味無いしくそダッサ――」

「――でも、それはせめて一度でも何かに真剣に取り組んでから言った方がいい。努力し続けるってのは思ってるより難しい。どんだけ頑張ったって心無い一言で全部無駄になっちまうんだ。それこそ、今のお前の言葉みたいにさ。けどそれでもめげずに頑張って、頑張って、頑張り続ける奴ってすげえんだよ」

「……」

「別にお前らに努力しろなんてのは言わない。努力ってのは疲れるくせに、しなくたって生きていける。偉い人達は努力をやたら美化するけどな」

 そう、俺だってもうとっくに努力をやめている。その俺が偉そうに語れることなんて本当は何処にもないのだろう。けれど黙ってはいられない。

 何故ならずっと間近で頑張る奴の姿を見てきたから。

 もちろん、自分よりも評価され続ける人間だから、疑いようもなく彼女の事は嫌いだ。

 でも、彼女が頑張ってきた事実だけはどうしようもなく本物で。羨みながら間近で眺めてきた俺は、それを嫌というほど知っている。

「だけどさ、頑張ってる奴馬鹿にすんのはマジでどうにかした方がいい。自分にできないことやってるのが羨ましいのは分からなくはないが。

 ―――俺からしたら、お前ら方がダサいしキモいよ、悪いけど」

 一拍置いて。

「…んだよソレ、キモいわ。おい佐野っち、もう行こうぜ」

 …まぁ、そうなるか。それが普通の反応だわな。そのまま二人は教室を出て帰ってしまう。夕焼けの差し込む教室には俺たち二人だけ。

 ノートにペンを走らせる音だけがやけにうるさく響いていて。

 大嫌いでしかたがない不倶戴天、宿敵、仇敵。

 そんな異名が似合う彼女に、背を向けたまま俺は言う。

 ありったけの憎悪と嫉妬と、ほんの少しの善意を混ぜて。


『頑張れよ、クソッタレ』

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