はつこいのひと

城崎 夕

One Night Magic

「初瀬、おーい、はーつーせー」

 意識が声の方へ向かう。

「初瀬、もう講義終わってるぞ?なにぼーっとしてんの。俺行くからな」

 そう言って柊は教室から出ていく。俺はその横顔を目で追っていると、思い出したかのように机の上を片付けだす。

「あ、柊、ちょっと待って!」


 柊とは高校からの仲だった。入学式の日、後ろの席にいる柊に大量の配布物を渡していると、それらを受け取るときにいちいちニコっと笑うのが印象的だった。席が前後ということもあって柊とはすぐに仲良くなった。中学は共学だった俺に対して、柊は中学から男子校だったこともあって、男子校とはどうあるべきかということを示す存在だった。

「初瀬、聴いたか!3組の西田がヤったって噂!」

「マジで向井はおもしれーよなー、パンツ脱いでカトセンの頭にかぶせて停学処分だってさ!!」

 柊はいつも、周りであった面白い出来事を俺に話して聞かせてくれた。だけど、正直俺はそういったことにまるで興味がなくて、あいつに無理やり空気を合わせていた。

 一年も終わりかけのころ、ふたりで並んで帰っていたとき。いつも通り柊はクラスの誰が何をした、といった話をして、自分はそれにあいまいに笑いかけていた。

「そんでカトセンがー…」

 突然話すのをやめて立ち止まる柊。何事かと思って振り返ると、柊は何かを思案する様子でうつむいていた。

「ど、どうしたんだ柊」

「初瀬、おれずっっっと思ってたんだけどさ」

 柊が頭を上げると、俺と目が合う。

「お前、面白いと思って笑ってないだろ」

 どきり、とした。

 共学のときも比較的おとなしく過ごしていた自分は、男子校に入って周りにどう振舞えばいいのかわかっていなかった。なんとか柊と仲良くなれた俺は、その糸が途切れないように、必死になって笑顔を作っていた。

「い、いきなりどうしたんだよ柊、別にそんなこと…」

「別に嘘つかなくていいよ。俺頭悪いわけじゃないし、友達が何考えてるかぐらいわかる。こういうノリが苦手だってのも、わかってやれないことはない。でも無理に笑うのはやめろ。俺の前では無理しなくていいよ。そんで、ほかの奴らに変に絡まれたときは俺がかばってやる」


 その日から、俺はますます柊のそばにいるようになった。柊は約束通り、俺の分まで周りを盛り上げてくれて、俺は無理に周りに合わせる必要もなかった。

 柊とふたりでいる時間はとても楽しかった。柊は俺の話を常に聞いてくれた。自分が何をしたいか、どう思っているのかを、柊と話すことで言語化できた。柊は「初瀬はいつも、俺の考えつかないようなことばかり話すから、聴いてて楽しい」と言ってくれた。休日に柊の家に行ったり、テスト期間は勉強を教えあったり、そうやって俺の高校生活は柊に支えられてた。


「初瀬、お前高校卒業したらどこ行く?」

 三年に上がったころ、そう聞かれた。俺は勉強の成績もいいし、努力次第ではいわゆる名門大学にも行ける、と教師からも評価を受けていた。けれど。

「柊は、どこに行くんだ」

「俺は西京せいきょう大かなー。ぎりぎり実家通いできるし、この辺では一番だろ?一年頑張ったら行けなくはないかなーって」

 その言葉を聞いて俺は決意する。

「そうか、だったら俺も、西京大だ」

 柊が目を見開く。お前ならもっといいところに行けるだろう、と柊が口を開きかけるのを、俺は目で制する。それから、ほほえみ。

「そうと決まったら今から勉強だな。柊、何があっても合格させるからな、覚悟しておけよ」

 それを聞いた柊の、ひきつった苦笑いが、この上なく愛おしかった。


 それから一年後、俺と柊は無事西京大学に合格した。俺は法学部、柊は経済学部と、学部は分かれてしまったが、キャンパスも同じで共通科目が重なることも多かったので、相変わらず俺は柊のそばにいた。

 講義が終わって、柊と食堂に行く。俺はハンバーグ定食、柊はカツカレーを頼んで、テーブルに向かい合って座る。

 一緒に買った野菜ジュースを飲んでいると、柊が唐突に口を開いた。

「そういえば俺さー、彼女出来たんだよね」

「…は?」

 思わず野菜ジュースのパックを強く握って、ズボンにこぼしてしまった。柊はそんな俺に気づかずに、

「あーっ、福神漬け忘れてた。ちょっと取ってくるな」

 と言い残してその場から離れてしまう。しばらく放心していたが、ズボンが濡れていることを思い出し、リュックの中からタオルを取り出してそれを擦り取る。そうこうしているうちに柊が帰ってきて、

「あーあー、お前何してんだよ」

 ズボンを擦る手に思わず力がこもる。

「彼女出来たって、なに、いつ出来たの、どこで知り合ったの、なんでもっと早く俺に言わないの」

「質問が多いなー、一週間くらい前だよ。ボランティアサークルの子。なんで、ってさぁ、そんな出来てすぐ自慢するようなことじゃないだろ。なんか男子校出身で、女の人とのやりとりめちゃくちゃ苦手なのがかわいい、とか言われてさ…」

 なんだそれ。

「なんだそれ、だから金曜日の誘い断ったんだ。かわいいって、なんだよそれ、そんなんでオッケーすんなよ」

「初瀬、どうしたんだ、何か怒ってる?」

 はっ、とする。柊と目が合う。咄嗟に笑顔を作り、

「怒ってないよ、おめでとう。柊優しいから、きっといい彼氏になるだろうな。今度俺にも紹介してくれよ」

 そう自分に言い聞かせるようにまくしたてる。ほとんど手を付けてなかったハンバーグ定食を、これでもかというスピードでかきこむと、

「俺次の講義予習してなかったわ。急がなきゃ、じゃまたな」

「おい、初瀬、どうしたんだ――」

逃げるようにその場から立ち去る。笑顔のフリなんて、あのときから全然上達してないのに。


 それから落ち着きを取り戻した俺は、なんとか柊といつも通り接することができた。ただ、柊もあのときの異様さを察して、彼女の話は俺の前では出さなかった。柊がいないときは、ずっと柊と、その彼女のことを考えていた。どんな子が柊の時間と、柊の日々を独り占めしてるんだろう。どんな歌を、彼女に聴かせるんだろう。

 柊はいつも通り、遊びの誘いに乗ってくれる。けれど、成功率は50%。「ごめん、今週は」と言われると、それ以上はこちらからも何も言わない、それが暗黙の了解。遊びに行ったときは、断ったときの分だけ、楽しそうにしてくれる。楽しませてくれる。彼女にもそうなのかな。もしそうなら、柊は二倍頑張ってることになるのか、なんてことを考えながら、この瞬間を楽しみ切れない自分に、嫌気がさす。

 CDショップで、ある女性シンガーのCDを手に取る。彼女の顔がめいっぱい写ったジャケットを見ながら、

「柊、このCD、買ってあげるよ」

「ん?あぁ、ドラマの主題歌とか歌ってる人だよな。名前はわかるけど、ちゃんと聴いたことは…って初瀬、なんだいきなり」

「いいから、いいから。俺は結構聴くんだよ。とにかく、買ってやる」

 そういってレジで会計を済ませると、困惑している柊に手渡す。

「ほら、いつも一緒にいてくれるお礼だと思って」

「お、おう…」

 ほら、こうやって、平気で受け取ってしまう。どっちつかずで、思わせぶりな人だ。彼女とこれを聴いたとして、彼女はどう思うだろうな。不愉快に思ってくれるといいのだけれど――


 今回はダメだったか。柊に誘いを断られて、特にすることもない休日。いつも行く繁華街に一人で足を運ぶ。本屋で時間でもつぶして帰るか、そう思って歩いていると、曲がり角の向こうから聞きなれた声が聞こえる。そして、女性の声。思わず柱に身を隠す。

「今日は服買おうかなーっ、ヒイ君も付き合ってくれる?」

「ははっ、やることなくて暇そうだけど、付き合うよ」

 やはり柊だった。ファッション通りの方へ進んでいく。

 どうしよう、せっかく柊に会えたんだ、話しかけるか?それとも、このまま何も見なかったことにして帰った方がいいだろうか。少し迷って、俺はもう一つの選択肢を実行に移す。距離はだいたい30メートル、基本は会話に夢中だから、周りも見ていないだろう。ふたりの後を、尾けることにした。


 退屈は、しなかった。柊のことを見ていられる。それも、俺とは違った表情の柊を。退屈なんてするはずなかった。服、靴、アクセサリーを見て回り、カフェに入る。俺はその間ずっと立って、誰かを待っているように装う。ふたりが出てきたら、また追う。そうして、だんだんと日も暮れてきた。

「今日は楽しかったー、ありがとうね、ヒイ君」

「ううん、こっちこそ、一緒に居られて楽しかったよ」

 駅前の像の前で、別れの会話を交わしている。柊の家は電車で30分ほど。彼女のほうは…

「じゃ、わたしは歩いて帰るね」

「そんな、送っていくよ。タクシー代だけでも」

「大丈夫だって、じゃあ、また連絡するから」

「…うん」

手を振って、柊は駅の中へ。彼女は反対方向へ進んでいく。俺も、彼女を追う。


 喧騒。なんのつもりだ、自分に問う。柊は帰った、これ以上何をするつもりだ。そう思いながらも、足は止まらない。今からしようとしていることが、彼女を試すようなことだとわかっていながら、彼我の差はどんどん埋まっていく。

 彼女の歩みは遅い。もっと速く歩いてくれれば、と願うほどに、彼女の背中が近づいてくる。そうして俺は、ピンクのトレーナーに手を伸ばし、彼女の肩をたたく。彼女が驚いて振り向く。人畜無害を装った笑顔を作って、こう切り出す。


「お姉さん、この辺の人?俺、道迷っちゃったんだよね」


 大音量。近くに、18歳からでも入れるクラブがあることは知っていたが、こんな形で足を運ぶことになるとは思っていなかった。

「お姉さんさー」

 声を張り上げる。重低音にかき消されないように、トーンも少し上げる。

「なんでついてきたの、ナンパなんて」

「…った…」

「なにー?聞こえない」

「…退屈してたんだよね」

 その言葉に、自分でも聞こえないほど小さく「へー」という。失望の念が湧き上がってくるのを感じる。

「わたし彼氏いるんだけど、その人なんていうか、すっごい優しいんだよね。でもデートの誘いは絶対、二回に一回断られるの。浮気とかじゃないんだよね、それはわかるの。ただ、デートのときはいつも、断った分を埋め合わせてるみたいに、過剰に優しくしてくれる。なんか、そういう優しさってわたし、すごく退屈しちゃう。だから今日は、こういう刺激もいいかなーって思ったの」

 グラスを強く握る。柊の優しさを、否定されたことに怒りを覚える。柊が中高と男子校であることを知っているから、あいつが女の人と二人きりでいるのにどれだけ勇気がいることか、俺にはわかる。こんな女、柊にふさわしくない。フロアに流れるミュージックが、俺の思考をかき混ぜる。


もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、会えたら。


 立ち上がって、フロアの中心に向かう。ついてくる彼女。五感を占めるのは、大音量、ライトに照らされる彼女、甘ったるいにおい、音楽にのせて揺れる自分。あぁ、楽しいな、ここにいるのが、もし柊なら。そんなことを思いながら、思考は曖昧に溶けだしていく。


友達の恋人と踊ってる 俺たちの一夜漬けの魔術

海底に絨毯を敷いて喋ろう 人生短い 色とりどりの生物の舞い


「好きな人がいるんだ」

 中心から離れ、彼女に語りかける。

「友達だと思ってた。これからもそのつもりだ。けれど、その人に恋人ができたことが耐えられなかった。それで憂さ晴らしに、こんなところで踊ってる。馬鹿みたいだ」

「…にしなよ…」

「え?何?」

「いつも側にいる人のこと、大事にしなよ。って、わたしが言えたことじゃないんだけど」

 彼女がほほ笑む。もしも、これ以上彼女を誘ったら、彼女は乗ってくれるだろうか。今だったら、どこまでもできそうな気がする。けれど、何のために?柊が彼女とどこまで進展しているかを確かめるため?彼女がどれほど柊にふさわしくないかを証明するため?

 音楽が消えかかっている。それと同時に、言葉に託せぬ思いが、溢れていく。これ以上ここにいたら、何も考えられなくなってしまう。

「俺、もう帰るよ」

 財布からお金を取り出して彼女に渡す。料金は前払いだから、これは彼女の帰りのタクシー代だ。立ち上がって、出口まで一直線に歩き出す。

「待って」

 彼女の声で立ち止まる。決して振り向きはしない。

「楽しかった。また、会えるかな」

「…わからない。君も、いつも側にいる人を大切にしなよ」

 そう言ってまた歩き出す。フィナーレは、観ずに。


一夜の魔術は、終わった。

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