第31話 一縷の 4

 まんじりともせぬうちに夜が明けた。

 いつものように隊士らは起床し、食事を摂り、久武館で汗を流していた。やがて夕刻が近づくと、かれらは平服姿のまま、三々五々と屯所を出発した。落ち合う先の町家には武具が運び込まれ、そこで身支度をする手筈になっていた。

 日も暮れ、屯所内にひと気が無くなった頃、土方は山南と最後の打ち合わせを終えて自室へ戻った。

 そろそろ出立せねばならぬ時刻である。

 かれは文机の傍らの引出しを開けた。小さな金鈴が音をたてて転がった。つまみ上げ、掌に握る。

 土方は、襖越しに隣室へ声を掛けた。

「総司、いるか」

 座敷の中央に端座していた沖田は、入ってきた土方をぎょっとして見上げた。いくら隣室とはいえ、今までそのように入ってくることはなかった。

 土方はきちんと整頓された室内を見回した。澄んだ大きな目が、深い信頼を湛えて見上げていた。

「今晩、東山仁王門の浄念寺で浪士の会合がある。それを襲撃する」

 沖田は晴々とした顔で笑った。

「ああ、それで皆さん外出されたのですね。あまり静かなので妙だと思っていました」

「お前の任務は」

 沖田は驚いたように目を見張った。土方はもう一度繰り返した。

「お前の任務は、長州の手先となった内藤新三郎の処分だ」

「それは」

「質問は許さん。命令だ」

 土方は厳しい口調とは裏腹に、沖田へそっと笑いかけた。上洛してからこの方、見忘れていた土方の優しい表情だった。

「内藤を下長者町の俺の別宅におびき出す。そこへ行け。行ってお前の任務を全うしろ」

 土方は膝を折って、沖田の手に金鈴を置いた。

 沖田は、土方を見上げた。

「馬を使え。もし、奴が逃げたら討ち果たすまで追え」

「土方さん」

「いいな」

 沖田は小さく首を振った。

 幼子のようなその仕種に目を止めると、土方は安心させるように沖田の頭上に手を置いた。

「何を心配している。お前の腕なら心配することはあるまい」

「土方さん」

 指がかすかに頬をかすめ、離れた。

 沖田の部屋の前で待機している隊士に、馬の用意と沖田が出る旨を指示し、自身の出発も告げた。

「あとでな、総司」

 足音が遠ざかる。

 沖田は温もりを確かめるように、そろそろと頬へ指を這わせた。

 突然、何かに思い当たったように部屋から飛び出した。すでに土方の姿はない。

「沖田先生!」

 その身体を隊士が取りすがって阻んだ。

「お待ちください! 四ツまではお出ししてはならないと副長が……」

「離せ!」

 振りほどこうと必死になって身悶える。

「お静まりください!」

 廊下の角を折れていく土方の背が見えた。

「土方さん、待ってください!」

 声は届いたはずだ。だが、土方は振り返らなかった。

「土方さん、待ってください! 何故ですか!」

 人けのない屯所に沖田の声が響いた。




 梵鐘が四ツを打った。

 土方は眼前に控えた五十名ばかりの隊士を眺め渡した。皆、一様に鎖を着込んで革胴をつけ、額には鉢金を巻いていた。

 各々最後の支度に余念がなかった。草履を念入りに縛りつけている者、たすきを掛け、袴の股立ちを高く取っている者、今さらのように刀の目釘を調べている者もいる。

「刻限だ」

 土方が床几から立つと、男たちも一斉にそれに習った。

「敵は東山仁王門の浄念寺だ。手筈通り周囲を囲み斬込み隊が突入する。いいか、ひとりも逃すな。出ようとする者は叩き斬れ!」

 大きく頷き返す男たちの間に緊迫した気が満ちていった。

「行くぞ」

 無造作に言い、土方は先頭をきった。




 馬上、沖田は土方の別宅を目指していた。壬生より北西、半里ほどである。

 人けのない街路の向こう、大文字山沿いに月が見えていた。

 馬を止め、暫し見上げた。

 振り仰いだ端正な横顔に、月光が淡い陰影を作った。



(続く)



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