第30話 一縷の 3

「奥方が、何故」

 似合いの美しい奥方を娶ったと聞いていた。老中の息女であるという。内藤の出世を約束する大事な縁組みであった。

 内藤はちらりと笑った。

「私の所為だよ」

 それに、と続ける。

「総司は私を庇っているのではない。迷っているだけだ」

 一向に拉致が開かなかった。話の核心がぽかりと抜けている。

「清兵衛が言っていた。三塚圭吾と総司と、どう関係するのだ」

「総司は、土方さんに何も話していないのだね」

 感情が逆撫でされる。何も知らないおのれが、阿呆に思えてきた。

「三塚圭吾は、お玉が池の道場での朋輩だ。気のいい男でともに遊んだりもしたが、私が家督を継いだ頃から疎遠になってね。そして、私の所へ遊びに来た総司を見て、狂った」

 内藤は、残酷な笑みを浮かべた。

「土方さんも知っているだろう。ある意味では、あれは鬼のような子だよ。無邪気に笑いかけることが、どれほど残酷なことが知らない。おのれの容色にも気づいていない。まるで引き裂いてくれと言わんばかりに、無防備に全身をさらして覗き込んでくる。無論、それはあれのせいではないが、時折、憎くなることもある」

 内藤は低く笑った。

「今でさえあの様子だ。前髪立ちの総司が千葉道場へ遊びに来るたびに、誰もが私の念者かと聞いたよ。違うと言うと悪戯をする者がいそうだったので、私は澄まし顔で頷いたものだ」

 土方は、内藤の話の末を見たような気がした。

「三塚圭吾が、私の名を騙って誘い出し、手込めにした」

 それでも、おのれの顔が強張るのがわかった。土方は腹に力をこめた。

 内藤は土方の反応を楽しむかのように、ゆっくりと続けた。

「今思えば、圭吾は私の念者と思って、総司に無体な真似をしたのかもしれん。互いに部屋住の身だったが、私は兄の死で家督を継いだ。奴は陪臣の部屋住のままだった。私が憎かったのかもしれない。もし、あれがひとりの所業なら憐憫も感じようが、あの外道は仲間を連れて総司を押さえ込んだ」

 土方は目を瞑る。

「現場に踏み込んだ私は、圭吾の腕を斬り飛ばしてやった。殺してやろうかと思ったが、それでは許せなくてね。より残酷な方法を選んだ」

「そして、あんたの思惑は当たり、三塚圭吾は逆上してあんたの屋敷へ乱入し、詰め腹を切らされ、家は断絶、か」

「その兄に、こんなところで会おうなどと思いもしなかったよ」

 すべてを語って清々したのか、内藤は問われるままに言葉を継ぐ。

「おのれでも気づいていなかった。総司への執着を思い知らされたよ。あれに構おうとする奴らを叩きのめしながら、まったく気づいていなかったのだ。それがあの時、押さえつけ犯されている総司を見た時、ようやく納得した」

 土方へ笑ってみせた。

「私は総司にのしかかる男におのれの影を見た。知らぬうちに刀を抜いてひとりを斬り倒していた。浅ましいおのれの姿に逆上したのだろうね。その晩、そのまま総司を屋敷へ連れて帰った。手当てをして寝かしつけながら、私を信じて縋ってくる、細い腕を押さえつけたい衝動を呑み込むのが精一杯だった。私はおのれの本心に気づき、最早おのれを騙せなくなったのだ。それ以来、妙と臥床を共にしたことはない──馬鹿な話しだ」

 内藤は、土方を睨み返した。

 土方は内藤を嘲笑う気になれなかった。

「奥方を、そのまま捨ておいたのか」

「そうだ。ところが、どうした訳か総司のことに気がついてね。少しづつ狂っていったのかもしれん。あの日も幾度も繰り返した諍いの果てに、私は家督を矩良へ譲り、隠居すると言い渡した。そして、京へ上るとね。原因は私にあるのだが、そんな妙が疎ましくなっていたことも事実だ。その晩だ。妙は屋敷に火をかけ、私の目の前で喉を突いた」

 内藤は薄く笑った。

「正直なところ、総司に一目会えればよかった。相模屋の脅しに応じはしたが、内藤の家のことなど、もうどうでもよかったのだ。総司に会ったら、そのまま逐電しようかと思っていた。しかし」

 内藤は土方を見据えた。

「あんたが、もう必要がないから総司を引き取れと言った。その時、私は思った。何故こんな男に遠慮して諦めていたのかとね」

「それはあんたの事情だ」

 内藤の目が眇められた。

「もう永くないと言ったのは土方さんだ」

「馬鹿野郎!」

 土方は身を震わせて怒鳴ると、踵を返した。

「待て!」

 内藤が叫んだ。

「総司がおのれの命より重く思っているのは私ではない。土方さん、あんただぞ!」

 振り返った土方へ、内藤は構わず叩きつける。

「いつまでそうしていれば気が済む! 私には、あんたが総司の剣才だけを求めているようにしか見えない。あんたこそ勝手だ。知りながらとぼけている。総司はあの晩も、うなされながら誰の名を呼んだと思う! 私があれの目に映ったことはない。いくら身体を重ねようとも、総司はあんただけを待っている。それがわかっているのか!」

「わかっている」

 振り向き様に、土方は言い捨てた。

「わかっている? ならば何故応えない。あれの命をかけた思いに応えてもよかろう!」

「だまれっ!」

 内藤は許さなかった。

「恐いのか。おのれの本心を知ることがそれほど恐いのか?。修羅のような恋情にたたき込むのがそれほど恐ろしいか!」

「うるさい!」

 土方は振り切るように山門へ向かった。

「待て! 土方さんがその気なら、本当に総司をさらって行く!」

 土方はゆっくりと振り返った。内藤の発する殺気に全身をさらした。

「明日、下長者町の俺の家へ来い。今晩は清兵衛の忠義に免じて見逃してやる。いいか、総司を助けたくば必ず来い」

 内藤は黙した。

 二人は睨み合ったまま、その場を動かない。

 ようやく躊躇うように、内藤は二度、三度、唇を湿した。

「明晩、会合がある。場所は東山仁王門の浄念寺。時刻は四ツ」

 土方は猫のように目を細めた。

「信じぬなら信じずともいい。行って手柄にするがいい」

「何故教える」

 口唇を歪めた。

「土方さんの純情にほだされた、か」

「内藤!」

 土方はとっさに刀に手をかけた。しかし、おのれを押さえ込むように深く息を吐き、ゆっくり柄から指を剥がした。

「必ず来い」

「──約束はできん」

 土方は顔を背け、その場を去った。山門を潜り、屯所へ向いながら、血がでるほど唇を噛みしめた。



(続く)


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