第29話 一縷の 2
日が暮れ就寝時刻を過ぎると、禁足令で騒がしい隊内も静まり返っていった。
監察方らしき廊下を渡る足音が二往復、早足で通り過ぎた。
土方は灯りをおとし、床も延べぬまま横になっていた。
隣りの沖田の部屋からは、かすかに寝息が漏れてくる。
身じろぐと、畳が擦れた。
──はた、と寝息が止む。
しばらくそのまま動かずにいると、また規則正しく続いた。
屯所にいてさえ張りつめた神経は、病人にどれほどの消耗を強いているだろうか。
池田屋で昏倒したあの時、無理にでも江戸へ帰せばよかった。そうすれば、こんな事態に窮することもなかったであろう。
土方は身を起こし、昨晩と同じように庭へ下りて表へまわった。
慌てて直立する門衛の隊士へちらりと視線をくれると、そのまま角を左手に回り、壬生寺へ向かった。
淡い月明かりの下、土方は腕組みをして本堂を背に、待った。
今宵現れねば覚悟を決めねばならない。
(その時は許さねえ)
ぎらぎらとした目で闇を睨め付けた。
(総司を斬った刀で相模屋と刺し違えてやる)
新選組をも道連れにしなければならないだろう。
それもよい、と思えるおのれをあざわらう。
(それができるならば、今、すればよいではないか)
今、決断すれば、頼り無い命綱へ縋るような真似をしなくても済む。
(だが、どうなる)
新選組を解散し、沖田を連れて江戸へ戻るのだろうか。戻ってどうする。あれの看病をしながら、日がな暮らすというのか。凡庸な日々に気が狂いそうだった、あの頃と同じように暮らせるというのか。
(総司がいる)
──俺は女子供じゃない。日向でぬくぬくしながら、晩飯の算段なぞできやしねえ。
(あれも無為に朽ちていくことは望みやしないだろう)
──では、このまま手にかけることになろうと、後悔はしないか……?
土方は我に返り、振り返った。
本堂の段上に、切下髪の男がいた。背を向け、手をあわせて何ごとかを祈っている。
土方はその後ろ姿を睨み付けたまま、振り返るのを待った。
「ひどい噂だ」
ようやく内藤新三郎は言った。一段づつゆっくり階段を下りてくる。
「総司が新選組を裏切り処罰されると聞けば、私が姿を現すとの算段か」
「総司の部屋へ忍んで来るかと思ったぞ」
内藤は小さくわらった。
「そこまでの度胸はない。総司には会いたいが、訪ねた私をもう放ってはおくまい」
土方が密偵を使い、洛中に流布させた噂がそれだった。
──沖田総司が新選組を裏切った。数日中に処罰される予定である。
無論、新選組が三塚を捕縛し、斬り捨てたことは伏せてある。沖田総司の知名度と意外性のためか、その噂は驚くほどの早さで広まった。聞いた倒幕浪士らは半信半疑のまま、沖田の処遇が明確になるまで様子を伺うに違いない。それほど沖田の名は浪士らを恐懦せしめていた。
しかし、この際それはどうでもよいことだった。内藤新三郎の耳にさえ届けばよいのだ。内藤が接触してくることが目的だった。
「沖田は新選組を裏切り、倒幕浪士の刺客と数度にわたり密会していた。その件に関し、沖田に抗弁の機会を与えたが否定しなかった。その刺客とは、元幕臣内藤新三郎、貴様のことだ」
土方は懐から一通の書状を取り出すと、内藤の足許へ放った。内藤は表書きを返し、目を細めた。
「あんたが現れた時から、何やら訳の判らんものがあってな。江戸の近藤さんへ早飛脚をたてた。その返事が昨日になってようやく届いた」
内藤は月明かりにさらして、文字を追った。最後まで目を通すと、元のようにたたんで土方へ戻した。
「それで?」
「屋敷は今年の七月に全焼、あんたは奥方と共に焼死したとある。ご丁寧に奥向きの女中衆を四、五人連れて冥土へ旅立ったそうだが、──何故生きている」
「狐狸変化の類ではないな」
「ふざけるな!」
無人の境内に土方の声が響いた。
「私のことはどうでもいい。総司は新選組を裏切っていない」
「あんたが町人殺害の下手人と知りながら、取り押さえようとしなかった」
「土方さんも承知のことではないのか? 総司はあんたの勘のよさを褒めていた。私が下手人であるとの確証をつかむまで、私を見張っていたことすればいい。あながち嘘でもあるまい」
「ならば、そう申し立ててもらおうか」
内藤は首を振った。
「私には、まだやらねばならぬことがある」
土方は、内藤の胸倉を掴んだ。
「俺との約束はどうした。奴を江戸へ連れ帰ると言っただろう。それほど執着する総司を助けられねえのか!」
「攫うことはできる」
さらりと言って土方の手を剥がし、衿元を整えた。
「土方さんの協力があれば簡単なことだ」
「馬鹿な……!」
「私は江戸へ帰れない。だが、金はある。用をすませたら総司を連れて、気候のよい西国へでも落ちようと思っていた。それで土方さんとの約束も果たせる」
土方は目を剥いた。あまりに身勝手な計画だった。沖田が窮する立場になるまで、放っておく理由にはならない。
高ぶる感情を押さえ、土方は深く息を吐いた。
「昨日、清兵衛と名乗る年寄りが屯所に来た」
内藤は、弾かれたように土方を省みた。
「清兵衛は無事か!」
「無事もなにも、あんたに殺されると言っていた。身柄は屯所で預かっている」
内藤はほっと息をついた。
「俺にあんたを助けてくれと言った」
「老人の戯言だ」
「では、三塚栄は知っているな。清兵衛の話では、あんたを弟の仇と付け狙っていたそうではないか。その弟は以前、江戸であんたの屋敷へ押し入り、それがもとで家が取り潰されたと聞いた」
内藤は黙って聞いている。
「ところがどうした訳か、死んだはずのあんたは京へ現れ、相模屋の手先となって町人を殺し回っている。三塚栄はあんたを仇よぼわりし、こいつも相模屋に出入りをしている」
内藤は表情を殺して、静かに土方を見返すばかりである。
土方は 反応のなさに苛ついていた。
「その三塚を捕縛した。いい加減痛めつけてから泳がしたところ、奴は西洞院の町家へ入っていった。あんたが住んでいるあの家だ。俺が後をつけて中へ入ると、総司がいた。どういう具合か刀を取り上げられ、三塚に組み敷かれていた」
内藤の表情がちらりと動いたようだった。
「三塚を斬ったのか」
「そうだ」
内藤は小刻みに肩を震わせた。それは引きつった笑い声になった。
「ならば、土方さんは私の恩人ということになるぞ」
言って、ひとしきり笑う。
「総司はだんまりを決め込んでいる。あの家が誰のものかさえ言わん。無論あんたのこともだ。あれは、命を張ってあんたを庇っている」
「それは嫉妬かね」
途端、土方の全身に殺気が走った。
「冗談をいっている場合では、ない」
「総司を手離すと言ったのは土方さんだ」
土方は唸るように言った。
「てめえ、どうやって地獄から舞い戻ってきやがった」
「閻魔大王と反りが合わなくてね。早々と退散したわけだ」
「いい加減にしろ! 俺に会いに来た以上、全てを話すつもりで来たんじゃねえのか!」
睨み合った視線を内藤が外した。そして、世間話を始めるかのような口調で続けた。
「屋敷は、妙の付け火で燃えた。あれは、屋敷に火をかけ、私の前で喉を突いて死んだ」
「なん…だと」
土方は目を剥いた。
「相模屋は妙の実家と懇意でね。たまたま屋敷の側を通りかかった時、火傷を負って自失茫然の態で歩いていた私を連れ帰ったそうだ。私は安堵して利平にべらべらとしゃべってしまったらしい。正気に返ると、すでに私は死んだことになっていた。そして、奴はこう言った。奥方様の不祥事で御家を潰したくなくば、自分のいうことを聞けと。失火元だけではなく、付け火とわかれば内藤の家は断絶を免れられない」
(続く)
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