第28話 一縷の 1

 浄念寺襲撃の準備は極秘裏に進められた。

 土方歳三は当日までの三日、隊中に禁足令をしき、一方で密偵を使って洛中へ噂を撒いた。

 局長近藤勇が不在のため、全ての指揮は副長である土方がとった。同副長の山南敬助は留守隊を預かり、同時に京都守護職や所司代への根回しを担当することとなった。

 執拗なほどの用意周到さで臨んだ今回の襲撃だったが、多くの隊士が一抹の不安を禁じえなかった。

 助勤筆頭であり、隊中一の剣の遣い手である沖田総司の不参加である。

 沖田は昨夜半に帰営した後、土方の命令で自室に謹慎していた。何が起こったのか様々な憶測が行き交ったが、理由は明らかにされなかった。何よりもこの件については幹部自らが口をつぐみ、尋ねる隊士を反対にたしなめたほどである。

 当初よりの成り行きを知る者は、土方と山崎烝、そして土方が相談を持ちかけた山南敬助のみである。

 土方とて、おのれの知る程度が真実すべてであると思っていなかったが、問い質した沖田はひとことも弁明せず、処罰を覚悟していた。

 新選組が泳がせた討幕浪士の行く手に、大幹部である沖田が忽然と現れたのだ。何のためにいたのか、それが誰の家であるのか、一切口にしなかった。もし、このまま真相がわからねば、土方は副長として沖田を断罪せねばならなかった。疑わしき者は斬る──それが新選組の隊是であり、烏合の衆であるかれらを結束してきた唯一の軛だった。

 例外は許されない。例え、それが沖田であろうとも、土方は切り捨てねばならなかった。

 土方は、唯一の手掛かりとなる内藤新三郎の足取りを追わせた。

 しかし、無人となった六角富小路の近江屋清兵衛の店先へ姿を現した、との報告以降、忽然と姿を消した。

 ことの経緯を知るのは、内藤新三郎のみである。

 決断を迫られた土方は、浄念寺襲撃の後、沖田の処分を決定すると幹部らへ告げた。




「土方さん、あなたは死ぬつもりか」

 山南敬助は顔を真っ赤にして土方へ詰め寄った。

「俺はそれほど性根が腐っちゃいねえよ」

 決裁書類へ目を通しながら、土方は苦笑いを浮かべた。

「俺は総司の処分を決めると言っただけだ。なにも殺すとは言ってない」

「それ以外にどんな法がありますか」

 土方は山南をじろりと見た。そのまま手許へ目を落とし、事務処理に没頭するかのようである。

 山南は、足音も荒く土方の部屋を出た。

 土方や沖田、そしておのれさえも戒める新選組の隊規が、今ほど馬鹿馬鹿しく思われたことはなかった。

(おのれの決めた法に縛られてどうするのだ)

 山南にも、副長として土方がとった行動が正しいとわかっていた。

 それ故、余計に憤るのである。

 山南は、山崎烝を探した。

 監察方の部屋は、明晩の手入れを前に閑散としていた。そのなかで山崎はひとり書きつけを燃やしている。山南の姿を認めると、燃えさしを火鉢の灰中に埋めて席を立った。

「何かご不明の点でもありましたか」

 山南は廊下の突き当たりまで山崎を誘うと、声を落として言った。

「その後、沖田君の件はどうなっていますか。内藤さんの足取りは何か……」

 山崎はかすかに首を振った。

「それらしき人物を見かけたという報告は、二、三きていますが、具体的な足取りとなると、どうにも困っています」

「明日中につかまらなけらば──」

 深く頷き、山崎もめずらしく吐息をついた。

「承知しております。副長が沖田さんを裁くなど、本末転倒もよいところです。どうにもできないおのれが不甲斐なく、申し訳ありません」

 山南は慌てて、

「山崎さんのせいではありません。私とて何もできず、こうして屯所をうろうろしているしかないのです。ただ……」

 視線を逸らせて庭へやった。

「もし、土方さんが沖田君を手に掛けることにでもなれば、土方さんも近藤さんの帰着を待って、恐らくは──」

 山崎も深く頷く。

「そんなことになったら」

 新選組は自滅する。

「土方さんはご自分が何をしているかわかっているのでしょうか。筋を通すのもよい。しかし」

 山南先生、と山崎は顔を上げた。

「私には、副長はすべてご承知の上だと思われるのです。副長が流したあの噂は、内藤殿を呼び出すものでしょう。今回の事情が判明せねば、副長は私情から沖田さんを庇うのだと誰もが思います。何もかも知っている内藤殿に、沖田さんの身の潔白を証明させなければ、誰も納得しません」

「しかし、明日中に姿を現さなければどうなるのです」

 山崎は暫し押し黙った。

「賭けですね」

「賭け!?」

 山南は勢いよく振り返った。

「何を賭けるというのですか。そのような賭けに任せるくらいだったら、私が沖田君をここから連れ出します」

「山南先生!」

 興奮する山南を山崎は制した。今、幹部が口にしてはならないことである。

「すまん」

 山南は長い嘆息を吐く。

「やっかいなことになった。これではどこからが新選組の役儀で、どこからが私事なのか境をつけることもできない。私たちは黙って指を銜えて待っているしかない」

 これからどうなるのか皆目見当がつかなかった。

 ただ、最後には、沖田と土方の間で解決せねばならぬことなのだと思う。

 内藤新三郎という男が捩じった糸を、もとに戻さねばならない。しかし、その撓みは必ず残るだろう。

 山南は、沖田の土方を見る目を思い浮かべた。

(十年にもなるか)

 永い恋である。報われることはないと覚悟の恋であろう。

 それに比べると、新選組など、たかがこの一年余のことではないか。

 そのたった一年に二人は振り回されていた。互いに気づかずすれ違っていた。肝心な要をわざと避けるように目を背け、自らを縛り上げていくようだった。

 あまりの愚かな成り行きに瞑目する。

 他人が口を挟むことではなかった。

 だが、誰かが道を示さねば、あの二人は互いにもつれ合いながら何処までも絡まり続けるだろうとも思う。

「待つしかないのだろうか」

 山南は呻くように言い、長々と息を吐いた。



(続く)


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