第27話 慟哭 5
「──内藤ではないな」
沖田は答えない。男の気配が嗤いを含んだ。
「そうか。そこにいるのは新選組の沖田総司殿であろう。このような夜更けにこのようなところでなにをしておられるのだ」
含み笑いが響いた。
「いや、失敬。いまさら聞くのは野暮というものだな。ならば、教えて頂きたい。内藤はどこへ行った」
男へ向けた切っ先が震えているのがわかった。脂汗がにじんでくる。思い出したくもない記憶が鮮明に甦ってきた。
大事な話があると書いてあった。
のこのこと誘い出され、連れ込まれた御堂のなかで、有無を言わずに押さえつけられた。身体中をなでまわす手。破くように着物を剥ぎ取られ、床に這わされた。喉が枯れるまで叫びつづけた悲鳴が、頭の中でこだまする。
ふたつに身体を割かれそうな激痛が、あの時、幾度繰り返されたことだろう。
何も考えられず、ただ、逃れたくて、逃れたくて……。
突如、闇に明かりが戻った。
行燈に灯を入れた男が、挑むような目で笑いかけていた。
沖田は我に返って、刀を構えなおす。
三塚はにやりとした。脇差を手にしているものの、斬りかかってくる気配はなかった。
「一時休戦とはいかぬか、沖田殿」
値踏みをするかのように、半ば闇に埋もれた沖田の全身を睨めまわす。
「圭吾が迷ったも無理もない」
びくりと身体が強張った。
「昔、弟が無体なことをしたらしいな。あれは貴殿に恋い焦がれて、家でも手を焼いていたのだ。まさかあのようなことを仕出かすとは思わなかったが、すべては恋情からでたこと、赦されよ」
身体中を這いまわる手の感覚。
ひとりではなかった。二人か三人か、思いを遂げるなどどいうものではなかった。よってたかって蹂躙し、犯した。
沖田を口許を覆った。吐き気がする。
「どうした、沖田殿」
おのれの腕に触れんばかりに伸びた手を、沖田はかろうじてよけた。
「寄るな!」
手が震えるのを隠せなかった。おのれを叱咤しつつ、心を静めようとする。
「寄れば、斬る!」
「知りたくはないか。内藤が上洛したわけを。なぜ我らの刺客と成り果てたのかを」
にじり寄る三塚に、気押されたように沖田は後ずさった。
「あの男は、はなから貴殿か土方を殺すために京へ来たのだ。あれは死人だ。もはや、生前の義理も友誼もない」
「嘘だ」
「なぜ、そう断ずることができる」
沖田は闇の中へ逃れようとした。それを追って、三塚も動く。
「おかしいとは思わないか。四条大橋での斬り合い、清水の刺客」
内藤と再会したあの日のことだ。
「仕掛けたのは俺だ。内藤と組んで打った猿芝居だ」
「馬鹿なっ」
「殺すには惜しい。新選組なぞやめたほうが、よほど金になるぞ」
「無礼な……!」
踏み込む。
──避けられた!
次々と繰り出す剣先を、三塚は軽業師のようによけていく。
信じられなかった。
こんなことは一度もない。
相手はひとり。しかも怪我人である。
思うにならぬ成り行きに気があせった。
「下がるな!」
突き出した刀を横に払われ、思わず多々良をふんだ。
三塚は、体制を崩した沖田の背後に回り込み、はがい締めにした。
「離せっ!」
首筋に男の息を感じながら、振りほどこうとする。
「どうした、天才剣士どの。口ほどにもない。鬼などという異名は捨てたがよかろう」
「離せ!」
ふいに身体の自由が戻った。途端、利腕をねじ上げられ、あっけなく刀が手を離れた。三塚の掌中に移ったそれを、呆然と見返す。
手が衿から差し込まれた。
「なにをする!」
足を払われ、床に倒れ込んだ。押さえられ、のけ反った喉元を口唇が這う。
「や、やめろ……!」
腰をまさぐる手は、帯の結び目を探していた。怪我人とは思えぬ圧倒的な力で四肢を押さえ込まれ、眼前の男が記憶とだぶっていく。
恐怖がよみがえり、身体が竦んだ。理屈ではない、本能的な恐怖だった。
「や…めろっ……!」
男の勝ち誇った笑い声を聞いたような気がした。
その時、突然男の身体が傾いだ。糠袋のようにぐたりと崩れ落ち、生温かいものが頬を濡らした。
「総司、おい、しっかりしろ!」
目に飛び込んできたのは、土方の顔だった。
──なんで怒っているんだろう。
土方は三塚の身体を蹴り飛ばすと、沖田を助け起こした。
「なにしているんだ。内藤はどこだ!」
沖田は答えず、おのれを抱き起こす土方の腕へすがった。
「総司……?」
しかし、慌てて支える腕を振り払い、床へ仰向けに倒れ込んだ。交差させるように腕を組んで顔を覆った。
おのれの失態を瞬時に悟った。
土方がくぐり戸から通りへ出ると、山崎が待っていた。
「沖田は帰ったか」
「はい。念のため山野君をご一緒させました。三塚も壬生へ運ぶよう、手配をつけてあります」
「そうか」
山崎は何も問わなかった。
土方も無言で来た道を引き返す。
二人は黙々と夜道を歩いた。
三丁ばかり歩いた後、土方の足が止まった。
「三日待ってくれ」
生硬な声が告げた。
「それで埒があかなければ、俺が斬る」
誰をと、山崎は尋ねなかった。
振り返った土方の表情は、夜陰に溶けていた。
「安心しろ。あれに俺は斬れねえよ。……絶対だ」
山崎は無言のまま頭を下げた。どう答えてよいかわからなかった。
(続く)
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