第26話 慟哭 4

 匁蝋燭が四分の一も溶けないうちに、三塚栄は口を割った。

 滴る熱い鑞が膚をつたい、五寸釘を打ち込んだ傷口からしみ込んでいく。骨をえぐられているような痛みに絶叫した。

 時を刻むように責めは続き、この痛みから逃れるために、ただ喚き散らした。

──会合はいつだ。

 問い詰める声が遠のいた。意識を手放しかけると、冷水を浴びせかけられた。

 何を喋ったかおぼえていない。幾度目か正気に返った時、床に放り出されているのを知った。戒めは解かれ、足の傷には油紙さえ巻かれていた。

せん言えば解き放ってやろう。

 嘲笑した土方の白い顔が浮かんだ。

 おのれは喋ったのだ。

「おのれ……!」

 これは裏切りだ。内藤が裏切ったのだ。内藤の裏切りで、おのれは新選組に捕らえられ、自白を余儀なくされた。

(内藤のせいで俺は……)

 拷問に屈し、仲間を裏切ったのだ。

(あの男は、圭吾はおろか、この俺までなぶり殺しにする気か!)

 土蔵の扉は開いていた。外へ出るとすでに日は落ち、星が瞬いていた。

──このままではすまんぞ!

 見張りひとりいないことに、何の疑問も持たなかった。

 壬生を抜け、四条大路を東へ向かった。

 背中の傷が破れて血が染みだしているのも、おのれが寸鉄さえ帯びぬ丸腰であることにも気づかなかった。

(あの男を斬らねばならぬ。生かしておくものか……!)

 三塚は食いしばった口元から、呪詛のように内藤の名を繰り返した。




 三塚栄が漏らした日取りは、明後日十一月六日申の下刻であった。浄念寺における討幕派の会合である。

 それを聞くと、土方は責める手をとめ、浅野薫へ手当てを命じた。

「縄を切っておけ。見張りもおくな。正気が戻って蔵を抜けたら張れ」

 井戸で手を洗い、山崎烝を呼んだ。

「三塚が捕らえられたことを気づかれていないな」

「はい。路地に入ったところを取り押さえ、そのまま駕籠に押し込めましたので、露顕することはないかと思われます」

「明後日だ。寺内というのはやっかいだが、まあ、どうにかなるだろう」

 寺社及び大名、堂上公家の屋敷内は治外法権である。面倒な手続きと、細々とした手配りを命じねばならない。会津藩への届けも必要だろう。

 それよりも三塚である。

 おそらくが意識を取り戻した後、内藤新三郎が裏切ったと思うはずだ。その足で、復讐のため内藤のもとへ押し入るはずだ。そう仕向けた。

 清兵衛という老人の言が信であれば、三塚は内藤を弟の仇として討つ機会を狙っていたはずだ。

 なにゆえの仇なのか判らぬ。

 しかし、内藤が丸腰の男に殺されるとは思えなかった。

(さて、どうなるか)

「あの老人はいかがしますか」

「二、三日屯所に泊めおいてやれ。命を狙われているらしい。本人は断るかもしれんが、見殺しにはできん」

「はい」

「三塚が屯所を抜けたら、その尾行に君も加わってくれ。私も出る」

「はっ」

 土方は昏い目で微笑した。




 玄関で音がした。

 沖田は、我に返って耳をそばだてた。

 そろり、と引き戸が動く。

 身仕舞いをしなかったおのれの迂闊さに舌打ちしながら、行燈へ飛びつく。明りを吹き消して大刀をつかんだ。

 壁を背にして鞘を抜く。

 みしり、と廊下を踏む音がした。

 襖が蹴破られた。荒い息づかいに血の匂いが混じっていた。

 闇で人影もさだかではない。

「内藤、そこにいるのだろう。よくも俺をはめたな!」

 殺気によどんだ声は、沖田を狙う刺客のものではなかった。

(誰だ。この男は)

 気配を殺して相手の出方をうかがう。

「出てこい、卑怯者!」

 影の気配に合わせて、沖田はゆっくりと動いた。

 このまま気づかれずに逃げおおせればよい。無用の斬り合いはしたくはなかった。

 一歩、二歩、這う。

 影は座敷の隅を片端から探っていた。

「やはりいるな、内藤。脇差しを忘れているぞ。俺と立ち会え! ここで弟の仇を討ってやる!」

 沖田はその場に氷ついた。

(三塚栄か……?)

 刀の切っ先が柱にふれて微かにうなった。

 その音を聞きつけた対手が、闇のなかで声をたてて笑った。

「そこか。よくも俺を新選組に売ったな。俺が逃げ出せるとは思わなかったか!」

 沖田は三塚に刃をむけ、身構えた。

「前にも言ったろう。指を落とし、腕を斬り、俺に許しを乞うまでいたぶってやろうとな。俺はもう相模屋のところへは戻れん。あとはお前を道連れに、圭吾の恨みを晴らすだけだ!」

 男の言うことがわからなかった。壬生の屯所から抜け出したことはわかるのだが、土方に限ってそのようなへまを仕出かすはずがない。

(わざと泳がしたんだ)

 おのれが新選組に捕らえられたのは、内藤の裏切りによるものだと思い込んでいる。

(土方さんだな)

 尾行がついているはずだ。

「覚悟しろ!」

 畳を踏み込み、影が飛び上がった。

 沖田は刀をかざして受け止める。

 三塚が手にしているのは、刀架に置いてあった沖田の脇差に相違ない。

 勢いあまって、そのまま壁に押しつけられた。

(この馬鹿力が!)

 男の息づかいが間近かに迫った。血の匂いがひどい。

 沖田は相手を蹴り倒し、急いで体勢を取り直す。

 三塚は調度を倒して転がった。

 闇の中で、互いの息づかいが耳についた。

 男はゆっくりと立ち上がったようだった。



(続く)


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