第25話 慟哭 3

 男は四条大路を走っていた。

 着物の背にはべったりと血が染みだし、片足をひきずりながら、それでも必死に走っていた。

 丸腰である。ぼうぼうと髪は逆立ち、薄汚れた顔の中で、眼だけがぎらぎらとと光を放っていた。

 ときおり背後を振り返り、追手の気配を確かめているようだった。野獣のように血走った目で空を見上げると、また駆け出した。

 路地をつたうように尾行する影があった。監察方の山崎烝である。配下に合図を送り、男の足取りを気取られぬようについていく。

 月影の冴える晩だった。




 知り尽くした手が肌の上をすべっていた。

 押し止めようとすると、それはなだめるように優し這い、探り当てていく。

 しがみついた。

 口唇がぬめりながら肌を愛撫していく。

 軽く噛まれ、手で口を塞いだ。

 押し入る熱さは、いっこうに慣れない痛みを伴っていたが、その疼覚にかすかな安堵感を抱くことに気付いていた。

 指先をねぶられた。何も考えられず、視界が白濁していく。汗が肌をすべり、吐息が交錯していった。

 ただ、声を放った。

 幾度目かもわからぬ交わりのなかで、呪文のように唱える名さえ忘れそうだった。




 内藤は身仕舞いを終えると、大刀を手にした。

 静かな夜である。いまだ月は昇らず、木々のざわめきが遠くに聞こえていた。

「どちらへお出かけですか」

 内藤は沖田へ笑いかけ、そのまま玄関へ向かった。

「待ってください!」

 沖田は内藤の前に立ちはだかった。首筋から喉元へ、袷のはだけた白い胸元に無数の朱が散っていた。

「どちらへいらっしゃるのですか」

「どきなさい、総司」

 子供のように手を広げて通せんぼをする沖田のに、内藤は苦笑した。

「おまえは何を心配しているのだ」

「心配しているのではありません。教えていただきたいだけです」

「なにをだ」

 内藤の穏やかな笑みに、沖田は思わず言い淀んだ。

「ここ十日ほど、……新選組はある浪士を追っています。私も昨日その男を尾行していました」

 沖田はひたと内藤に視線を据えた。

「長州浪士、三塚栄です。あの男はなにものですか」

 内藤はため息をついた。

「お前も察していよう。三塚圭吾の兄だ」

 沖田は目を見開き、そして力なく伏せた。

「その三塚が、なぜあなたと一緒にいるのです。わからない……。教えてください!」

「教えれば、私を見逃すというのか? お前が見張りに通ってきていることは承知だよ」

「そんなふうに思ってらっしゃったのですか」

 沖田は意外だといわんばかりに言った。

「私を斬ろうとしたことは、二度、三度ではあるまい。お前の横にいながら、いつ寝首を掻かれるか、私は心待ちにしていたのに」

「ふざけないでください!」

「ふざけてなどいないよ」

 内藤は一歩踏み出した。

「私はお前に会うために上洛した。それもかなった。もう思い残すことはない。これで、いつ斬られてもいい」

 また一歩踏み出した。

 沖田はあとずさった。

「ごまかさないでください。私は何故、内藤さんが倒幕方の刺客になっているのかをお聞きしているのです。三塚栄は、相模屋とはどのようなかかわりがあるのですか!」

 内藤は壁に押しつけるように沖田の身体を抱いた。

 手を突っ張ってその腕から逃れようとしたが、縛めを解くことはできなかった。

「知らずともよい」

 耳元でささやいた。

「答えてください」

「おまえはもう、土方のところへ帰れ」

「内藤さん!」

 沖田は必死の面もちで、内藤を見上げた。

「一体、江戸でなにがあったのですか」

 内藤は表情を動かさなかった。数瞬の沈黙ののち、逆に問うた。

「ならば、聞く。お前はどうしてここへ来る。私を下手人と知りながら、なぜ私を捕らえぬ」

 沖田は唇を噛みしめて押し黙った。目を伏せ、囁くようにいった。

「私はもう、土方さんについていけないんです」

「逃げるのか」

 痛みをこらえるように目を閉じた。

「それとも、土方に殺してもらいたいのか。病み疲れるまえに、土方の手で殺されたいとでも願っているのか?」

 沖田は答えない。内藤はようやく腕を離し、踵を返した。

「待ってください!」

「土方のもとへ帰るんだ。いいな」

「内藤さん!」

 格子戸がすべり、足音が遠ざかっっていった。

 沖田はのろのろと座敷へ戻り、部屋の隅で膝をかかえた。

 そろそろ、壬生の屯所へ戻らねばならない。夕刻に捕らえた三塚栄が、何やら吐いている頃だろう。

 隊中に禁足令が出るまえに抜けてきた。早く戻らねば、配下の者にもしめしがつかない。

(土方さんは責め上手だからな)

 苦笑とも知れぬ笑みが頬に浮かんだ。

──土方に殺してもらいたいのか。

(土方さんの手で……)

 沖田はなおも膝を抱え、目を閉じた。

 土方の愛刀が腰間からきらめく。土方は命の消えたこの身を抱いてくれるだろうか。泣きながら名を呼んでくれるだろうか──。

 奥底からわき上がる歓喜を、沖田は小禽のように身をすくませてじっと堪えた。

 おのれの女々しさに涙が出た。



(続く)


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