第24話 慟哭 2

 その日のひる前、妙な老人が沖田へ面会を求めている──門衛の隊士が知らせがあった。

 沖田は巡察に出ており、夕刻まで戻らない。

「そういったのですが、沖田先生がお戻りになるまで庭先で待たせてほしいと言ってききません。その様子が尋常でないので、一応副長にお知らせしておこうかと」

 報告を受け、土方は筆を置いた。

「どこにいる」

「はい。勝手口から賄いへ入れて待たせてあります」

「名は?」

「六角富小路の小間物商、近江屋清兵衛と申しております」

 土方は口のなかで復唱したが、おぼえがない。

 沖田のことである。金銭の貸し借りとは思えなかったが、よほど火急の用なのだろう。

「わかった。私が会おう」

 三塚栄を張っている山崎から、そろそろ報告が入る時刻である。特に変わった動きがなければ、目につかぬよう捕縛せよと命じてある。

 小姓役の隊士へ、山崎から連絡があったらすぐに知らせるよう言いおき、土方は賄いへ足を運んだ。

 還暦はとうに過ぎた老爺が、板間の隅に座っていた。

「近江屋清兵衛か」

 名を呼ばれ、弾かれたように顔を上げた。が、見知らぬ土方の姿に訝しげに頭を下げた。

「新選組副長の土方です。お訪ねの沖田の兄がわりのような者です」

 清兵衛は、板間にすりつかんばかりに頭を下げ、ふと思い当たったように顔を上げた。

「土方さま。私をおぼえておられましょうか」

 今度は土方が眉をひそめる番だった。

「先年まで、江戸の内藤様のお屋敷に奉公しておりました清兵衛でございます。いつぞや小日向の道場へ使いにまいりました際、お相手くださいましたのが、確か土方さまではございませんか」

「江戸でか?」

「はい、沖田さまがお屋敷へお泊まりになった晩でございました」

 土方の頭のなかでめまぐるしく記憶がめくられた。確かに一度だけ、沖田は内藤の屋敷に泊まったことがあった。まだ、前髪立ちのころである。

「──五年ほど前か」

「はい、その折の爺でございます」

 よほど緊張していたのか、知るべを見つけた清兵衛の全身から、みるみる力が抜けていった。同時に肩が震え、握りしめた拳が膝のうえで震え始めた。

「沖田が戻るのは夕刻になる。私で構わなくば用件を聞くが」

「土方さま!」

 老人は叫んで、土方の足元へひれ伏した。

「お助けください! 若様を……どうかお助けくださいませ……っ!」




「──それで、助けてほしいとはどのような子細ですか」

 土方は老人をなだめ、自室へ通した。熱い茶を持ってこさせて手渡すと、ようやく落ち着きを取り戻していった。

「一体何からお話してよいものか見当がつきません」

 そこで清兵衛は言葉をつまらせた。

「沖田が戻るまで、待ちますか」

 老人はかぶりを振った。事は急を要すらしい。

「実は、沖田さまへ申し上げてよいものかも迷っておりました」

 清兵衛は背をのばし、遠慮がちながらも真っ直ぐに土方を見上げた。

「私は親父の代より、江戸の内藤様のお屋敷にご奉公しておりました者です。特に先代の奥方様には可愛がっていただき、死んだ連れ合いとも引き合わせて頂いたほどでございます。しかし、昨年末にお暇頂き、母方の縁をたよってこちらへ移って参りました。現在は六角富小路で、小さな小間物屋をいたしております」

 そこで一旦押し黙ったが、土方は待った。

「──そこへ新三郎様が訪ねておいでになったのは、九月初めでございました。お供も連れておられず、あまりのご軽装に驚いておりますと、若様は私にこう申されました」

 清兵衛はうつむいて目を閉じた。

「私は、すでに死人である、と」

「死人? それはどういうことです」

「わかりません。それとなくお聞きしてみましたが」

 清兵衛はゆるゆると首を振った。

「詳しいことは、何もお話くださいませんでした。ただ、若様のお話ぶりから、奥様がお亡くなりになり、ご家督は弟君の矩良様がお継ぎになったことはわかりました」

「奥方が亡くなった?」

「左様でございます」

 清兵衛は首肯した。

「若様は、山科の相模屋さんの寮へご逗留なさっていると申されておりました。ある晩、店先で物音がしたので見に参りますと、若様が大戸を叩いておられるのです。驚いてあけると息を切らせ、そのまま飛び込んでおいでになりました。そして、急ぎ戸を閉めると、すぐその後を大勢の捕手が走っていくのがわかりました。抜身を下げ、着物の裾にはべっとりと血が付いておりました。それが……寺町三条の越中屋さんが殺されなさった、晩でございます」

 旧主を告発する老人の顔は、苦汁に満ちていた。

「これが四度目だと若様は申されました。お旗本なれど、勤皇方へお志を持たれたのかとお聞きすると、若様は否と申され、何度かお尋ねするうちに、相模屋の刺客になりさがったと申されたのです」

「相模屋の」

 清兵衛は首肯した。

「それ以上はお話くださいませんでした。しかし、その時の若様のご様子を思うと、一通りの事ではないと思われました」

 話が見えてこない。

「それが、沖田とどう関係しているのですか」

「──土方様は三塚圭吾様、というお方をご存知でしょうか」

「三塚、圭吾?」

 いま新選組で追っているのは男も三塚といった。

「長州様の御家中で、代々江戸勤番のお家であったと聞いております」

「それで」

「その方が五年前お屋敷へ押し入り、若様に取り押さえられたことがございます。私は丁度その場に居合わせ、その三塚様が若様へ向かって叫んでおられました」

 老人は一瞬黙った。

「必ず恨みは晴らしてくれる。沖田様も道連れだ……と」

「なんだと!?」

「のちに知りましたが、この一件がもとでご本人は切腹、お家はお取りつぶしになったと聞いております」

 旗本の屋敷へ陪臣が乱入したなど前代未聞だ。初耳であることから、内うちで対処されたのだろう。

 土方が清兵衛は腕を掴んだ。

「その男がどう関係あるのだ」

 老人は怯えたように腰を浮かせ、かぶりを振った。

「昨日、同じ三塚と名乗るご浪人が店へ来て申されました。三塚圭吾をおぼえているか。私はその兄だと。そして、若様が私を斬りにくると申しました。私はわけがわからずにおりましたが、今朝方の事でございます。若様が参られ、私を斬りたくないから、すぐに京を出ていけと申されました」

 老人は絶句して畳に手をついた。

「恐ろしゅうございます。若様のご様子を見ていると、なにか恐ろしいことになるのではないかと思えてならないのです。しかし、誰にもこのようなことを話すことはできず」

「内藤はいま、どこにいる」

 清兵衛は縋るように土方を見上げた。

「内藤は、今、どこだ」

「お助けくださいますか……?」

 土方は答えない。

 清兵衛は重ねて懇願した。

「若様はおっしゃいました。死人に希みはないと。あの闊達な若様が屍のような目をされて……」

 老人の言葉が、土方の中で目まぐるしく駆け巡った。

(なぜ、三塚圭吾は内藤の屋敷へ押し入ったのだ。沖田が道連れだと……?)

 その兄と名乗る男は、沖田に気をつけろといった。

 内藤は相模屋の刺客と自ら告白し、おのれはすでに死んでいるのだという。

(何故だ)

「清兵衛、五年前に何があったのだ。沖田はなにに巻き込まれている!」

 清兵衛は力なくかぶりを振った。

 その時、勢いよく廊下を駆けてくる足音がした。

「副長、失礼します!」

「何事だ」

 土方が障子を開くと、息せききった隊士が膝をついていた。

「山崎監察が戻られました。例の男を捕縛しております!」

「すぐ行く。土蔵へ入れておけ」

「はっ」

 土方は清兵衛の胸ぐらを掴んだ。

「内藤はどこにいる。教えろ。わからねば手のうちようがない。お前は内藤を助けたいのだろう!」

 揺さぶる土方の手を外そうともがきながら、清兵衛は涙を浮かべた目で何度も頷いた。



(続く)


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