第22話 虚実 3
庭木の影が長々と廊下へ差しかかっていた。
沖田は足音を殺して、寝静まった屯所を自室へ戻った。
隣の部屋は暗い。あと一刻ほどで夜が明けるだろう。
「土方……さん」
自室に土方がいた。夜着のまま腕を組み、沖田を睨めつけるように見上げた。沖田はぎこちない笑みを浮かべ、行燈にゆっくりと灯を入れた。
「驚かせないでください。なにかと思うじゃありませんか。いつからここにいらっしゃったのですか?」
灯りを引き寄せて、側へ座った。
土方は真っ直ぐ沖田に視線を据えた。
「内藤のところか」
曖昧に微笑した。土方はそれ以上尋ねず、別のことを口にした。
「木屋町の”きぬ笹”を知っているな」
「──ええ」
「相模屋利平の持ちものだということも知っているか」
「はい」
「数日前から監察に張らせている。山科の寮もだ」
「はい」
「以前、俺は山科へ内藤に合いに行った」
土方の感情を映さぬ瞳が、薄明かりのなかで黒くぬめるようだった。
「内藤が現れた前後から、親幕と思われる商人が六人殺害された。山崎君の報告によると、同一の下手人によるものと思われる。太刀筋がよく似ている」
沖田は無言のまま、土方を見据えていた。
「あの筋には覚えがある。が、お前は知らんといった。それはそれでいい。だが、殺された左吉の手からこんなものを見つけてな」
土方は懐から取り出したものを、沖田の膝元へ転がした。ちりちりと快い音をたて、ちいさな金鈴は止まった。
「内藤が昔から鍔元にさげていたものとよく似ている。浪士であれば詰問するが、直参では手がだせん」
武家の審問は評定所の管轄である。しかも内藤家は、三河以来の名家である。おいそれと半端な嫌疑をかけられるものではない。
「だが、確証があれば会津様よりお口添え頂くことはできよう。内藤に命じているのは、おそらく相模屋、そして長州だ。内藤がどう宗旨変えをしたかはわからんが、動きを封じねばならん」
土方は強い声音で、沖田、と呼んだ。
「内藤は今、どこにいる」
沖田は答えない。
「ここ四、五日、おまえは毎晩どこへ行く。もし、内藤とともにいたのであればおまえが証人になる。殺しがあった夜、奴は一晩中おまえといたのか」
沖田はちらりと土方を見上げ、目を伏せた。
「そうです。内藤さんはずっと私といました。外出などしていません」
沖田は小さな金鈴を土方の膝元へ転がした。土方はかっとなって口調を荒げた。
「お前は自分がなにを言っているのかわかっているのか。内藤を庇ってどうするというのだ」
「私は内藤さんを庇ってなどいません。私の証言では不足でしょうか」
「いい加減にしろ!」
鈍い音がした。土方は沖田の頬を叩いたその手をきつく握った。
「おまえは、なにをしているのか、本当にわかっているのか」
「はい」
沖田は俯いたまま答える。
「内藤は、いま何処にいる」
「知りません」
「総司!」
沖田はかぶりを振った。
「お前は」
土方は一瞬ためらった。
「俺を裏切るつもりなのか?」
ふいに沖田が動いた。指先が土方の言葉を止めた。思いがけない仕種に、土方はうろたえた。指をつかんで退ける。
「わかってくれ。これ以上内藤を庇うと、俺はお前を斬らねばならなくなる」
「そのときは、土方さんが斬ってくれますか?」
「なにを馬鹿なことを!」
目を剥く。
「約束ですよ。私はあなたに斬られてあげる」
沖田は土方の二の腕におのれの手をおき、じっと見上げた。土方は金縛りにあったように動くことができない。
「私は、」
言いかけて口をつぐみ、諦めたように首を振った。
「ちょっと散歩してきます」
ふだんと変わらない穏やかな笑みを向けると、そのまま部屋を出ていった。
誰かが大戸を叩いていた。夜明け前である。
清兵衛は夜着の上から羽織をひっかけ、店先へ出た。蝋燭を帳場へ置き、戸越しに声をかける。
「どなたですか」
「私だ。新三郎だ」
「若様」
清兵衛は驚いてくぐり戸を開けた。空はすでに白みかけ、内藤の足元から長い影が伸びていた。
「このようなお時間に、どうなさいました」
「済まぬ」
力のない笑を浮かべた。
「どうぞお入りくださいませ。そこではお寒うございましょう」
内藤は懐から袱紗包みを取り出し、差し出した。
清兵衛は怪訝な顔で、その手元と内藤の顔を交互に見比べた。それ以上何も語らぬことに不安を覚えた。
「若様、さ、どうぞ。お上がりくださいませ」
「いますぐ、京を発て。これは路銀だ」
「どういうことですか」
内藤は何も言わない。
「お話し下さいませ。理由をお話し頂かなければ、清兵衛はどこへも参りません」
袖に縋って揺さぶった。内藤はしばらくなすがままになっていたが、清兵衛の手を外し、懐へ包みを押し込んだ。
「今日とは言わぬ。しかし、明日には発ってくれ」
「若様!」
眉間が苦しげに寄せられた。
「お前を斬りたくない」
──三塚栄。
姓名はほどなく判明した。
その三塚が長州藩邸を出たのは、見張りをつけてから三日後のことであった。
土方は報告を受けると、そのまま昼夜問わず監視し続けるよう命じた。
(続く)
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