第20話 虚実 1
監察方山崎烝は壬生の新選組屯所へ帰着すると、その足で副長土方歳三の部屋を訪ねた。すでに夜半である。土方の部屋も灯りが落ち、ひっそりと静まり返っていた。
「副長、山崎です」
「入ってくれ」
気配が動いた。中へ入ると、土方は夜着のまま布団の上に胡座をかいていた。
「おやすみの所を申しわけありません」
「いや」
行燈を引き寄せ灯をともした。山崎が座れるよう座を作る。
「それで、どうだ」
「は、副長のお指図通り、”きぬ笹”から高瀬川を隔てたむかいに座敷をとり、交代で見張らせております」
「よく貸したな」
夏の池田屋事件このかた、新選組の洛中での評判はすくぶる悪い。
「なにかと渋っておりましたが、お上の御用を盾に押し切りました。それ相応の金子を渡しておりますので、後で面倒がおこることはないかと存じます」
おそらく、金子を出す一方で抜身をちらつかせていたに違いない。寡黙な男ではあるが、隊務のためには、驚くほど大胆な方法をとった。沖田とは別の意味で信頼している男である。
「いまのところ、とりたてて出入りはありません。ご覧ください」
土方へ書付を渡しながら、
「しかし、副長。このような場所に見張りを置いては、相手方へこちらの動きが筒抜けになるのではないでしょうか」
「それでいい」
土方はざっと目を通した。名の通った商人、定紋から察するに高位の武家、僧侶らしき姿。堂上方もいるようだ。
「どちらにしろ、こちらの動きはいずれ相模屋の耳に入る。ならば初から堂々と手の内を明かしたほうがいい。むしろ、それにどう反応してくるかが肝要だ」
「動くでしょうか」
「さあな。俺にもわからん。しかし、こちらの動きに合わせて意外なところから尻尾がつかめるかもしれん」
山崎は頷いた。
「くれぐれも手を出さんよう、皆に言い含めてくれ。明日の夕刻には俺も顔を出す」
「はっ」
闇にまぎれ、山崎は任務へ戻っていった。
土方は渡された書付に行燈の火を移し、煙草盆の上で焼き捨てた。ゆらゆらと煙にのって、灰が舞い上がった。
隣室に気配はない。今夜も外出したようだ。幹部は一般隊士と違い、外泊を許されていた。咎めるわけにもいかない。だが、どこへ行くのか問いただすのも躊躇われた。
──とうとう総司も春かよ
原田左之助が、人の悪い笑いを浮かべていったが、土方には、おおよその行き先はわかっていた。
──内藤新三郎。
山科の相模屋寮につけた密偵から、ここ四、五日内藤の姿が見えなくなったと報告がきている。
そして昨夜もまた、大坂で上洛した江戸の商人が殺害された。
太刀傷から、同じ下手人と思われた。
土方は文机の傍らの引出しを開けた。小さな金鈴が転がり、音をたてた。
沖田は避けるように、隊務以外は顔を合わせようとしない。
(今夜もあれは……)
どこかで内藤と過ごしているのだろうか。
(内藤の居所を問い質さねばなるまい)
もし、拒んだらどうする。
(一連の殺しの下手人を内藤と知りながら、もし偽りを言うならば)
羽織を肩へかけると、縁に出た。冴えきった空に上弦の月があった。
寒風に身を震わせ、土方は月を見上げた。
「遅くなった」
座敷には、すでに相模屋利平が着座し、同席している男と言葉を交わしていた。
内藤新三郎はその中に三塚栄を認め、一瞬足を止めた。
洛北のとある寺院の客殿である。
玄関よりここまで法体の男が案内した。見覚えがあった。ここも相模屋が援助している倒幕浪士の根城のひとつのらしい。
「ようこそお越しくださいました」
相模屋は内藤へ向き直り、軽く頭を下げた。
「山科から住まいを移したそうではないか。性にあわんか」
三塚は揶揄する調子で言った。
「新選組と所司代が張っている。それに土方らは私の太刀筋を熟知している。大事を取ったほうがよいと思った」
「その新選組でございますが、どうやら木屋町の”きぬ笹”に目を付けたようでございましてな」
相模屋がゆっくりと口を開いた。
「もとより西国よりのお客様をあの料亭へお連れしたことはございませんが、洛中の連絡場所とするのもしばらく見合わせたほうがよろしゅうございましょう。三塚様、内藤様もあまりお運びになりませんように」
内藤は薄く笑った。
「無駄だ。すでに土方や沖田を連れて行ったことがある」
「なんだと!」
三塚は気色ばって声を荒げた。
「お栄より聞いております」
相模屋が三塚を制した。
「内藤様にもなんぞ思案があってのことでございましょう」
「簡単なことだ。新選組も無限に人を出せるわけではない。山科と”きぬ笹”、この二か所で手一杯のはずだ。この二か所に四六時中見張られていたところで、大して障りはあるまい」
「左様ですな」
相模屋は傍らの茶碗に手を伸ばし、それとなくといった様子で切り出した。
「ここ二、三日、新しいお住まいへ沖田総司が訪ねてくるときいております」
「沖田とは旧知の仲だ。同じ京にいて会わぬほうが不自然であろう」
内藤の返答に、相模屋は豪快に笑った。
「おっしゃるとおりでございますな。だからこそご上洛頂いたわけでございますから」
三塚は、面白くもなさそうに酒盃を含んでいる。
「では、こちらが次回の方々でございます」
相模屋は懐から書付を出し、内藤へ渡した。内藤はその場で開き、見事な手跡を目で追った。
大坂の商人、某藩大坂屋敷留守居役、京の──。
「これは何だ」
一番最後に書かれた名を、内藤は指さした。
「近江屋清兵衛。小間物商ですが、なにか」
と、首をかしげた後、はたと気づいたように手を打った。
「そういえば、内藤様にご縁のある者でしたな」
「清兵衛がなにをしたというのだ」
町中で細々と商いをしている老爺である。もとより勤皇も佐幕も関係ない。
「証でございます」
内藤は目を剥いた。
相模屋は薄く笑みを浮かべたまま、まじまじと内藤を見返した。
「お変わりなされましたなあ」
しみじみとした声音である。
「江戸でご上洛をお願いした際は、失礼ながら、どこぞへ魂を置いてきてしまったようなご様子でしたが……」
相模屋の笑みは、なにもかも知っているぞといわんばかりのそれである。
「京で何がございました」
「知らん」
「沖田総司は、鬼との異名とは釣り合わぬ大層な美形とか。手前も一度お目にかかってみたいものですな」
内藤はにらみ返した。
「江戸では沖田様をはじめ、近藤様、土方様ともか親交があったと、皆様ご存知でございます。あまり時間をおかけになると、無用な疑いを持つお方が出てまいりましょう」
「お前が沖田と何をしているのか知らんが、俺は一向にかまわんぞ。好きなだけ時間をかけるがよかろう。その方が弟の敵討ちが早く済む」
三塚の下卑た笑いが座敷に響き、追いうちをかけるように相模屋が言った。
「内藤様にとって何がお為か、よくお考え下さいませ。ご自身か、内藤のお家か、奥方様のご名誉か、……沖田様か」
「死に損ないめが!」
三塚が盃を投げた。冷めた酒が飛ぶ。かかったそれを拭おうともせず、内藤は三塚へ醒めた目を向けた。
「よろしゅうございますな」
念を押す相模屋へ、内藤は曖昧に頷いた。
(続く)
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