第19話 骸哉り 4
現場から移された四体の亡骸は、道を避けた草むらに並んでいた。
沖田は筵をめくり、傷口を改めた。
どれも一太刀だった。正面から一撃で急所を斬り下げていた。これでは殺された方も、一体何が起こったか悟る間もなかったに違いない。
(この太刀筋)
「沖田さん、ご覧になりましたか」
山崎の声に、弾かれたように振り返った。
「これは大変な遣い手ですね。どれも一太刀だ」
「心当りでも?」
「いえ」
見すかされた気がして、強くかぶりを振った。
「可哀相なことをしました」
沈痛な面持ちで山崎も頷く。
「現場では、一番奥に佐波屋善衛門と小僧、そして半町ばかりこちらにこのふたりです」
山崎は左吉と与五郎の筵を掛けなおした。
「井上先生がかなり動揺されておられます」
「わかりました」
井上が上洛したふたりの面倒を見ていた。しかも同郷の若者である。おのれを責めているに違いなかった。
「これで五件目です。恐らく同じ下手人の手によるものと思われます。太刀筋がよく似ている」
「ええ」
筵からはみ出したど手が、爪が食い込むほどに握りしめられていた。沖田はそっと筵の陰に隠そうとして、指の間にきらりと光るものを見つけた。
確かめようと屈み込んだ時、土方が井上と共に戻ってきた。
「こんなことになるならもう二、三日、遊ばせてやるんだった」
青い顔で、井上は小さく呻いた。
出立日の朝になっても二人が戻らないので、泊まっている旅籠の主から、井上へ知らせがきたのだ。
丁度、近所の寺の作男が寄佐波屋善右衛門の亡骸を見つけ、所司代へ届け出ていた。お調べの途中、近くで斬殺されていたふたりも見つかり、懐から井上源三郎の書きつけが出てきた、という経緯だった。
「恐らく、佐波屋を殺った現場を見ちまったんだろう。それでなきゃ、こいつらが殺られる理由がない」
井上は目頭を押さえた。
「なにがなんでも下手人をあげねえと、こいつらも浮かばれねえなあ、総司」
激しく憤る井上の肩を抱いて、沖田はにそっと亡骸から離れた。
「ご自分を責めないでください。井上さんのせいではありません」
「ありがとよ。でもなあ、儂がもうちっと気をつけてやればこんなことにはならなかった。どうにもなあ……」
沖田は土方へ目配せし、動き回る役人や新選組隊士をさけて寺の壁際へ導いた。土方は憮然とした表情をしていた。
「井上さんのことですが、あのままではお一人で下手人をあげようとしますよ。井上さんのかなう相手ではありません。土方さんから何か言ってあげてください」
「あの太刀筋、憶えはないか」
「大変な遣い手ですね」
「憶え、がないかと聞いている」
土方の醒めた目を、沖田は正面から受け止めた。
「私に聞くのですか」
「お前なら知っていると思った」
「知るわけないでしょう」
土方はすっと目を細めた。
「もう一度聞く」
沖田はくるりと背をむけた。
「総司!」
その声に、周りが驚いて振り返った。
「答えろ、命令だ」
ただならぬふたりの雰囲気に、井上や島田魁らが訝しげな眼差しをを向けた。
沖田は足を止め、振り返った。
「命令、ですか」
怒りを押さえ込んだ声音だった。
「知りません。憶えなどありません。そんなに念をおされるなら、副長こそ下手人に心当りがあるのではないですか」
「なんだと」
「総司、口が過ぎるぞ」
見かねて井上が窘める。他の隊士の手前もあった。幹部同志が衆人の眼前で口論しては、いらぬ誤解を招くだけである。
沖田は踵を返した。
「待て!」
肩へ触れた土方の手を、邪険に振り払った。
「総司、お前……」
沖田は苦しげに土方から目を逸らした。
「申し訳ありません。所用がありますので、先に屯所に戻ります」
「わかった。ご苦労」
沖田を見送ると、土方は亡骸へ屈み込んで、もう一度丹念に傷を改めだした。
(なぜ、泣く)
振り返った沖田の目に涙がにじんでいた。
(あれが、気付かぬわけがない)
現場で四人の刀傷を見た瞬間、わき上がった疑念に身が震えた。
──内藤新三郎。
根拠はない。裏づけのない直感だった。
しかし、次々と符号が合ってくるのだ。
あの男が現れた前後からだった。立て続けに起こる辻斬り事件。幕府方と目される商人ばかりが狙われていた。
そして、相模屋利平。
しかし、理由がわからない。内藤は仮にも幕臣である。相模屋の刺客に成り下がる理由がなかった。
だが、この太刀筋はあの男のものと酷似している。幾度となく道場で手合わせした沖田が、思い当たらぬはずがない。
(俺の思い違いか。それとも、あの男を庇っているのか)
あらぬ想像が、土方の感情を荒らげた。
かっと目を見開き、目の前を見据える。
──近頃、めずらしい客はなかったか。
金戒光明寺からの帰途、襲ってきたあの男の言葉はどういう意味なのだろうか。
(沖田に気をつけろ、と言った)
亡骸の指の間からのぞくものがあった。そっと開くと、血に塗れた金鈴が小さな音をたてて地面へ転がり落ちた。
日暮れと同時に雨になった。
内藤新三郎は障子戸を閉め、行燈に灯を入れた。
こじんまりとした町家である。薄闇のなかで、清兵衛が置いていった火鉢が勢いよくおこっていた。雨音は聞こえない。糸のような驟雨である。
玄関の格子戸が開く音がした。
内藤は大刀を掴み、廊下へ出た。足音を殺して、角から戸口をうかがう。
「総司」
細かい雨にしとど濡れた沖田が俯き、立っていた。
「なにをしている。寒いだろう。早く上がりなさい」
内藤は手拭いを持って戻り、沖田へ手渡した。
雨のなかをずっと歩いてきたのか、袴が裾まで濡れそぼっていた。
「早く上がりなさい。風邪をひく」
腕をつかんで促すが、沖田はその手をひったくるように外した。
「怒っているのか」
返事はない。
「清兵衛から聞いた。来るとは思わなかった」
「何故、ですか」
「この間のことか」
沖田はきっと顔を上げた。
「昨夜、佐波屋善右兵衛が何者かに殺害されました。内藤さん、昨夜はどこへ行っていましたか。これは御用としてお聞きしています」
「ここにいた」
「では、刀を見せてください」
沖田は、まっすぐに手を差し出した。
「着替えを持ってこよう」
「内藤さん!」
奥へ戻ろうとする後ろ姿へ取りすがった。
「何故です! 何故あなたが倒幕派の刺客になどなったのですか!」
内藤は、手拭いで沖田の顔を丁寧に拭った。
「土方さんも気付いています。あの人の恐ろしいほどの感のよさはご存知でしょう。決して諦めません。いづれ内藤さんを追い詰めます。ご直参であろうと何であろうと、土方さんには関係ありません」
内藤は無言のまま、訴え続ける沖田を見下ろした。
「それで、総司は、ここへなにをしに来たのだ」
沖田は身をこわばらせ、口をつぐんだ。
「もし、仮に、私がその刺客とやらであるなら、今ここでお前が私を斬ればいい。私はお前に恨まれて当然のことをした。その怨嗟だけでもよい。斬ってしまえば後はどうとでもなる。最早、新選組は素浪人の徒党ではない」
内藤は、手にしていた大刀を沖田に押しつけ、その場に座り目を閉じた。
沖田は、美しく象嵌を施した梨地の鞘を抜いた。傍らに置かれた手燭の灯りに刀身が鈍く反射する。美しく散る焼付紋に、うっすらと脂が浮いていた。
沖田は、刃を背負うように振りかぶった。
切っ先は内藤の眉間でぴたりと止まった。血が一筋流れた。
「何故、ですか」
沖田は呻くように言い、抜身を床に突き刺した。
「どうして京へ来たのです!」
「お前に会うためだ」
目頭をつたう血を拭いもせずに、内藤は言った。
「ただ、それだけだ」
素足のまま土間へ下り、沖田の手から大刀を離した。小刻みに震える身体を抱きしめる。抗らう素振りを見せたが、やがて、小さく嗚咽を漏らしはじめた。
「どうした」
答えない。
内藤は沖田の頤を捕らえ、震える口元に優しく口づけた。逃れようとする指先を握りしめ、頭をかき抱いた。
項をたどる口唇を感じながら、沖田は内藤の肩に頭をもたせかけた。手を払いのける気力がなかった。張り詰めた糸がゆるゆるとたわんでいくのがわかった。
格子戸を風が揺する。いつのまにか雨音が激しくなっていた。
「寒い」
唇が後の言葉をのみ込んだ。
(続く)
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