第15話 偽計 6
「あんたがあんな礼儀知らずとは知らなかったぞ」
内藤は着流しの懐に手を入れ、冷笑した。
「礼儀について講釈されるとは思わなかった。土方殿は名士におなりになったようだ」
「いい加減にしろ」
怒りを押し殺した土方の声に、内藤は眉を上げる。
「さて、土方さん。話を聞こうか」
烏が鳴いた。それに応じて八方から鳴き返してくる。
「わかっているだろう」
「さて」
「沖田のことだ」
「総司がなにか?」
土方は内藤の胸ぐらを掴んで叫んだ。
「あんた、ゆうべ沖田になにをした!」
掴まれたまま、内藤は土方を冷やかに見下す。
「いまさら聞くまでもあるまい。ここまでやって来た以上、隠すつもりはない。あれを抱いた」
土方は突き放した。
「何故だ」
「何故? 土方さんがなぜそんなことを聞く?」
内藤の声には面白がっている調子があった。
「江戸へ連れて帰れといったのは、あんただぞ」
「それとどう関係がある」
内藤は歩きだした。
「待てっ」
振り向かない。
「待てといっている!」
土方は抜刀した。
「逃げるな!」
ようやく足が止まった。
土方は大刀を下げたまま、詰め寄った。
「これ以上あれを嬲りものにするなら、あんたを斬る!」
「あれを嬲ったつもりはない。まして土方さんに斬られる理由はない」
内藤は刀に手もかけず、激する土方を振り返った。
「なにをそのように怒る。あんたの様子は、間男された旦那のようだぞ」
「なんだと」
「それとも総司が言ったのか。私に嫐られた、仇をとってくれと」
「馬鹿なことをいうな」
「馬鹿はあんただ!」
内藤は門を指した。
「さあ、あんた用は済んだはずだ。二度とここへは来るな。今度のこのことやって来たら、容赦せんからな」
土方は目を剥いて内藤を睨み据えたまま、ゆっくりと刀を収めた。示された表門をくぐり、待たせていた駕籠かきに洛中へ戻るように命じた。
憤りが呼吸を荒くする。腹に力を入れて怒りをかみ殺そうとした。
──馬鹿はあんただ!
知らぬわけではないのだ。
土方は固く眉を寄せた。
おのれを見上げる瞳のなかに見つけたのは、いつの頃からだったろうか。
それに戸惑い、慌てた。
(総司が嫌いなのではない)
穏やかに笑いかけ、いくら邪険にしても犬ころのようについてくる姿に愛しささえ抱いてきた。だからといって女のように愛そうと思ったことはない。稀な美貌も希有な才能さえも、この腕に抱く理由にはならなかった。
沖田の並外れた容貌は、童形の頃から衆目の的だった。実際、悪さをしようとした坊主やら、どこぞの藩士を、江戸の闇にまぎれて叩きのめしたこともあった。
(内藤がそれほど執着しているとは)
全く気付かなかった。試衛館で、そのような素振りを見せたことはなかった。
(力ずくで抱くほど思いつめていたのか)
ひっかかった。
それほどの思いを一切口に出さずに押さえ込んでいたのならば、何故今頃上洛して、沖田を踏みにじるのか。
(もし、沖田が内藤を受け入れれば)
土方の希望は叶えられる。沖田は江戸へ戻り、養生に専念するかもしれない。そうすれば、もう人を斬らなくてもよいのだ。人斬りの業に長けたおのれの力量を、密かに嫌悪しているのを知っていた。
(そのためか?)
土方はあわてて否定した。それが言い訳になるはずがない。
振り返るといつもいた。穏やかな微笑み。柔らかな声音。どれほど慰められているだろう。
(あれを帰したところで、一生会えぬわけではない)
遠い江戸の空の下でも、元気で生きてさえいれば──。
土方は首を振って瞑目した。
(いや、そうではない)
本当はそんな風に思ってなどいないのだ。沖田を側から離したくなかった。我侭とわかっていながら、慰めを手放したいと思う人間がいるだろうか。
(ならば何故、内藤に約定したのだ。もしあれがここにいるのを望むならば、最後まで手元においてここで死なせればいい)
一方で沖田が去った後のおのれの孤独を思う。ならば、いっそのこと、いま、手離してしまえば痛みも軽いかもしれない。
(──汚ぇな)
どれもこれもおのれのための我儘である。
沖田に尋ねれば留まると言うだろう。
(俺がいるからだ)
沖田の命を縮めているのはおのれだった。側におきたいと思う心がおのれより沖田を遠ざけていく。
堂々巡りに嫌気がさしてくる。
土方は頭を空にした。何も考えまいと努めた。
沖田の笑顔が浮かんだ。暗闇にぽっかりと日が当っているようだった。
土方が去ったのを確かめ、内藤は母屋へ向かった。
「あれが、新選組の土方歳三か」
行く手を遮るように、ひとりの男が木立から姿を現した。侍である。懐手のまま相手を侮るように唇を歪め、立ちはだかった。
年は内藤よりも幾つか上であろうか。中肉中背の体躯に乗った顔は、どちらかといえば整ってる部類だが、当たりをひやりとさせる嫌な目つきをしていた。
「何故、斬らん。お前の腕をもってすれば、土方なぞ問題になるまい」
内藤は醒めた目でその男を見た。
「それとも昔馴染みは斬れんか」
「私には、私のやり方がある」
男は鼻で笑った。
「お手並み拝見といこうか。それよりも、内藤。沖田総司は大層な美形ではないか。正直言って、俺は手が震えたぞ。圭吾が迷ったのも無理はない」
男は内藤の殺気を含んだ眼差しに、わざとらしく両手を上げてみせた。
「おっと、安心しろ。俺はまだあんたに斬られたくはない。おとなしく見物させてもらうさ」
男は馴れ馴れしく内藤の肩を叩いて去ろうとしたが、思い返したように振り返った。
「手の傷はどうだ」
男は晒を巻いた内藤の右手を爪を立てて掴んだ。そして耳元で囁く。
「まず、指を一本づつ切り落としてやろう。それから手と足だ。無論、ひと思いに殺しはしない。圭吾が味わった苦しみを、おまえにも味あわせてやる」
喉で笑い、内藤の頬を軽く叩いた。
「なんて顔をしている。あんたがしくじらなければ、なにも心配することはない。せいぜい、頑張ってくれ」
哄笑を上げながら去った。
風が梢を渡っていく。
かすかな木漏れ日を求めて、内藤は空をふり仰いだ。
(続く)
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