第14話 偽計 5
山科の相模屋の寮は、予想に反して無防備な構えだった。門というほどのものもなく、壁代わりに三尺ほどの生け垣が配されていた。
土方は駕籠を下りると表門を避け、露地門とおぼしき枝折戸を押して庭へ入った。すると、三歩も行かぬうちに右手前にある待合に、初老の男が姿を現した。男は土方へ深く腰をかがめ用向きを尋ねた。
「失礼ではございますが、どなた様でございましょうか。こちらは相模屋の持寮でございます」
上目がち窺う姿には、まったく隙がない。
「こちらへ内藤新三郎殿が寄宿しておられるはず。取り次いでもらいたい。私は新選組の土方歳三」
男は表情を隠すかのように、深く頭を垂れた。
「少々お待ちくださいませ。ただいま主へ取り次いでまいります」
雑木林である。上方の大商人の別邸とは思えないほど鄙びていた。枝折戸を境に、まるで郷里の武蔵野に迷い込んだようだ。敷地にめぐらした生け垣は形だけのもので、むしろこの視界のきかない木立が塀となり、母屋の佇まいはまったく見通せなかった。
上空で鳴き交わす鳥の影に、我知らず吐息がもれた。
(俺も馬鹿なこった)
確証はないものの、相模屋が倒幕浪士を何らかの形で援助していることは間違いあるまい。いわば敵地へ単身で赴いたのである。そして現在、この寮は守護職と所司代の手の者に見張られている。小者達は、突然の土方の登場に目を白黒させているに違いない。
(が、わざわざ名乗って乗り込んだ俺の扱いには困るだろう)
相模屋は幕府の御用商人である。それを逆手にとるしかあるまい。
土方は待合にどっかりと腰を下ろた。
ほどなく男が若い町人と共に戻ってきた。相模屋の手代が番頭であろう。如才ない笑みを浮かべて、大仰に腰をかがめた。
「手前は、相模屋で二番番頭を勤めております辰吉と申します。失礼とは存じますが、手前どもの主人利平がぜひと申しております」
奥へ導こうとしたのへ、土方は困惑した面持ちをした。
「いや、相模屋殿を煩わせては申し訳ない。内藤殿を呼んで頂ければ結構です」
「とんでもございません。生憎と申しては何ですが、内藤様は他出なさっておられます。お時間がございましたら、ぜひお運びくださり、あちらで一服差し上げたいと利平も申しております」
「そうですか」
土方は鷹揚に頷いた。
辰吉はそれを承知の合図と見取り、先にたって土方を案内した。すぐ後ろには先刻の男が従っている。
(浪人あがりの用心棒だな)
ちらりと竹刀蛸が見えた。
入り組んだ雑木林を行くと、母屋らしい葺屋根が覗き、水の匂いがした。不意に視界が開ける。
池があった。目にも彩な鯉が回遊する大池である。その北側に設けられた母屋から渡り廊下が四方へと伸び、三つの離れと結ばれていた。
辰吉はそのなかのひとつへ土方を導いた。
「土方様をお連れしました」
障子の中から返ってきたのは、穏やかな丸みのある声である。間を置かずに障子が開き、四十代半ばの男が敷居際で頭を下げた。
「手前が相模屋利平でございます。存ぜぬこととは申せ、大変ご無礼申し上げました。お上がりくださいませ」
幕閣さえ意のままに動かすという大商人は、眉の太い見るからに気骨を感じさせる面構えをしていた。
(これは商人の顔ではねえな)
土方は不遜な面持ちで利平をねめつけた。
厚みのある体躯は、若年より相当鍛えたものだろう。一瞬、土方を驚いたように見た目はすぐに穏やかさを戻し、大身の旗本か大名の殿様と言ってもおかしくないほどの鷹揚さと剛毅さに表情を隠していった。
どちらにせよ、人物には違いない。土方は戦法を変え、にっこりと微笑んだ。
「新選組の土方です。こちらへ内藤新三郎殿がご逗留とうかがいました」
「ほどなくお戻りのはずでございます。さ、お上がりくださいませ」
「失礼する」
迷うことなく上座へ着いた土方に、相模屋は改めて深々と頭を下げた。
「内藤様がお戻りになりましたら、こちらへすぐにお連れするよう申しつけましたので、それまでおくつろぎくださいませ」
「手間をとらせて申し訳ない」
「とんでもございません。ご高名な土方様にこうしてお目にかかることができ喜んでおります」
相模屋は背筋を伸ばし、ゆったりと微笑んだ。
「しかし、人の噂とは当てにならぬものでございますなあ」
「なにか」
「鬼神のごときお働きと所々より聞いておりましたが、祇園などへ参りますと芸伎がそれは涼しげな御方と申します。どちらの話を信じたらよいのか、手前も迷っておりました」
土方は困ったように苦笑する。
「雲をつく大男とでも思われましたか」
相模屋は声をたてて笑った。
「これはご無礼仕りました。お目にかかって、手前も得心がいった次第でございます。これをご縁に、今後も宜しくお付き合いくださいませ」
(何に得心いったっていうんだよ)
「いや、こちらこそお願いします。京においてはますます新選組の働きが重要になるものと考えています。同じ徳川家に恩あるものとして、お助け頂ければなによりです」
土方は愛想よく応じた。
「それはもう、手前の力が及ぶ限りお手伝いさせて頂きます」
相模屋は目を細めた。土方は無表情に見返し、ふと表情を和らげて言った。
「実は、先般こちらの周りをうろんな者共が徘徊しているとの密告がありました。このようなご時世です。拝見したところあまりにも無防備な構え。相模屋殿になにかあった後では、ご公儀の威信にもかかわります。ご了承あれば新選組より人をだして警備をしますが、如何でござろう」
「それは」
相模屋の穏やかな目が、奥底でにぶい光を放った。
「身に余るお申し出でございますが、手前はこちらへはめったに参ることはございません。新選組の方々にわざわざお越しいただいても、ご足労をかけるだけかと」
恐縮した言葉とは裏腹に、真直ぐに見すえてくる。土方ははあっさりと申し出を引っ込めた。
「確かにそうですな」
(さあて、こいつは厄介だな)
「旦那様」
見計らったように外から声がかかった。
「辰吉でございます。内藤様がただいまお戻りになりました」
その声が終わらぬうちに障子が開き、内藤新三郎が冷やかな表情を浮かべて縁に立った。
「これは、内藤様。お帰りなさいませ。ご用はお済みになりましたか」
内藤は相模屋を一瞥しただけで、土方へ声をかけた。
「話はあちらで聞く。駕籠はどうした」
「待たせてある」
「わかった」
「内藤様」
とりなすように声をかけた辰吉にも目をくれず、内藤は土方を促した。
(続く)
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