第13話 偽計 4
何やら騒がしかった。
騒然とした物音を聞き付け、土方は自室を出た。陽も傾きかけ、そろそろ巡察に出た隊が帰営するころだった。玄関へ向かうと、式台の周りで浅葱色の隊服が右往左往していた。
「何事だ」
土方の姿に人垣が分れた。
沖田が蹲るように座っていた。土方に気付くと血の気がひいた顔を上げ、力なく微笑んだ。
「ちょっとお昼を抜いたのが堪えたみたいです」
「馬鹿っ」
土方は沖田を支えている隊士と入れ代わり、担ぎあげるように式台を上がった。沖田はあがらう素振りを見せたが、一向に構わず奧へ連れていった。
先に行って布団を敷いていた隊士を下がらせ、沖田の着物に手をかけると、その手を強いで沖田は制止した。爪の先まで白くなった手を、土方は邪険に払いのける。
「自分でできます」
途端、激しい眩暈に襲われたのか額を押さえて蹲った。土方は吐血するものと思い、急いでうつ伏せに支えると懐紙をあてがった。沖田は幾度か激しくしゃくり上げたものの、吐くことができずに額に脂汗をにじませた。
着込み(鎖帷子)の臭いが酷い。土方が脱がせようとすると、沖田は震える手で衿元をかき集め、させまいとする。
(女子じゃあるめえし)
土方はいらいらと病人相手であることを忘れた。
「なんなのだ、総司!」
沖田は身を丸めて、口元を手で覆う。
「土方さん、沖田君の具合は」
ちょうどその時、山南敬助が医師を伴った。
寝間着にも着替えず身を縮める沖田と、途方に暮れて怒りを露にしている土方の姿に面食らう。
「お願いする」
土方は医師を残して、山南を連れ出した。
「どうしたんですか、沖田君」
「しらん」
後ろでに音を立てて障子を閉めた。
四半刻もたたずに医師は沖田の部屋から出てきた。土方は自室へ通して、茶を供した。
「具合はどうですか」
「食事をきちんととって二三日安静にしていれば、よいでしょう。少々興奮しているようなので眠れるように薬湯を処方しました」
「その、沖田は労咳を」
「のようですな」
「では」
「いや。そちらはいますぐにどうこうということないでしょう」
医師は視線を落として言い淀んだ。
「ほかにも何か?」
「本人からは口外しないでくれと頼まれたのですが……」
「私は沖田の兄のような者です」
医師は躊躇したが、ようやく言を継いだ。
「実は身体に二三軽い打撲が。これは大したことはないのです。その」
医師は言い淀む。
「はっきりおっしゃって頂きたい」
医師は懐紙で額を押さえた。
「はあ、あの状態では狼藉されたとしか」
「何といわれた」
土方は意味がわからず、目を瞬いた。が、その言葉を咀嚼していくうちに眦がつり上がり、食いつくような目で医師を睨み付け始めた。
(内藤の野郎……!)
土方は歯軋りの間から感情を押し殺した声で呻いた。
「いまの話は他言無用に願います。万が一、そのような噂が耳に入ったら」
「そのようなことは決して」
医師は土方の殺気立った様子に無用なほど首を縦に振った。深入りしないほう
が得策と見たのか、あたふたと帰っていった。
沖田は医師の調合した薬で眠っていた。
熱の所為で頬がほんのりと染まっていた。夢を見ているのか、瞼の下で時折瞳が動いた。
土方は枕元に座り、沖田の寝顔に目を落とした。改めて見ると鼻梁が細くなり、頬骨が高くなったような気がする。
六月に、沖田は血を吐いた。
わずか六名で斬り入った暗闇のなかで、死体と折り重なるように倒れていた。
ほどなく意識を取戻したが、その沖田の頬を、土方はいきなり張った。周りにいた永倉新八や、原田左之介らがあわてて組み付き、土方を押さえ込んだ。
「二度とするな」
隠し事は二度とするな、といったのである。
吐血するほど病状に、自覚症状が皆無のはずはない。しかも、それをおのれへ微塵も気付かせなかったのである。
沖田はのち十日ばかり寝込んだ。ほどなく回復し、隊務へ復した。
沖田を見立てた会津藩御殿医はあと三年、と告げた。
労咳は死病である。完治の見込みはなかった。
土方は、隠さず沖田へ告げた。
しかし、江戸へ帰れとは言えなかった。
首が動き、ぽっかりと沖田の目が開いた。夢の続きとでも思っているのか、土方へ微笑みかけ、そして静止した。
「気分はどうだ」
沖田は慌てて身を起こそうとした。
「寝ていろ」
が、まともに沖田を見ようとしない。
「内藤か」
沖田は答えず、土方を無言で見つめ返した。
「土方さん」
「また来る。十分にやすめ」
土方はそのまま屯所を出た。辻駕籠をひろい、行く先を告げた。おのれで確かめねばならぬと思った。
(続く)
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