第12話 偽計 3

 雨は夜半に上がった。あざやかな秋晴れである。

 土方は洗面をすませ、当番の隊士の給仕で朝食をとっていた。入隊してまだ日の浅い若者は、鬼副長の前で緊張しきっていた。

 土方の冷厳で峻烈な処断は、おおらかな局長近藤と比され、「鬼」と呼ばれた。無骨な容貌の近藤と違った秀麗な容姿も、愛嬌が抜けおちているため、むしろ反感を買うものでさえあった。

 土方としても、緊張のあまり一挙一投足をにらんで身構えている男のまえでの食事はしずらい。しかし、むげに追い払うわけにもいかなかった。

「佐々木君」

「はっ」

 余計に緊張したようである。少々うんざりした。

「助勤の沖田総司君が帰営しているか見てきてください」

「はっ」

 転がるように部屋を出ていった。

 思いのほか手間取ってその隊士が戻る頃、土方はすでに自身で急須を傾けていた。

「沖田先生は、今朝方早くにお戻りになりましたが、まだ休んでおられます」

 土方の眉が寄った。

「ひどく具合の悪そうなご様子だったと、門番に立った方が言っておられました」

「沖田君の隊は、本日の巡察当番だったな」

 土方は湯飲みを置いて隊士を下がらせた。




 沖田はすでに巡察の身仕度を整えていた。鎖を着込み、だんだらに袖口を染抜いた赤穂浪士ばりの制服に袖を通していた。臥せっているとばかり思っていた土方は、驚いて沖田の顔を覗き込んだ。

「具合が悪いと聞いたが、大丈夫か」

「二日酔いです」

 沖田は眉をよせて自分の頭を指差した。

「慣れないものをつい過ごしすぎました。たった二杯なんですけど」

「夕べは内藤と一緒だったそうだな」

 沖田は曖昧な笑顔を浮かべた。

「内藤のことで聞きたいことがある。巡察の後で俺の部屋へきてくれ」

「何か」

「ちょっとな」

 土方は言葉を濁した。

 沖田を配下の隊士が呼びにきた。

「では、後ほど」

 動作が緩慢だった。

「総司、本当に大丈夫か」

 土方の声が低くなり、気づかわしげに問う。

「大丈夫ですよ」

 振り替えると余計に顔色の悪さが目についた。

「少し疲れただけです。もう行かなくては」

「待て」

 額に伸ばした手を、沖田が振り払った。それに驚いたのは沖田自身だったのか、怒ったように険しい顔で背を向けた。

「行って参ります」

 少々呆然として見送ると、

「珍しいですね。沖田君、機嫌があまり良くないらしい」

 同じ副長職を勤める山南敬助が廊下越しに声をかけてきた。穏やかに微笑み、腕には書類を抱えている。

 土方は差し出したままの手を握り、ため息をついた。

「らしいな」

「一寸寄って行かれませんか」

 山南の微笑に、土方はめずらしいほど素直に頷いた。




「沖田君も養生に努めてくれればいいのですが、土方さんが言ってもきかないものを、私が諭しても無駄なのでしょうね」

 山南は湯飲みに茶を注ぎ分けて差し出した。

「見掛けによらずあれは強情な野郎だ。こうと決めたら聞きやしねえ」

 山南は低く笑った。

 二人は天地ほど気性が違う。が、妙なことにしっくりと馬があった。学者肌の山南が土方を見下すこともなければ、土方も山南の学を侮蔑することもない。江戸の試衛館にいた頃から、時折ぶらりと二人で散策に出かけることさえあった。

 丁度よい機会とばかり、土方は相模屋の一件を山南へ話した。

 山南は手にしていた書物を置き、しばらく考えこんだ。

「頷ける話ですな」

 驚いた様子もない。

 山南は市井の動静に通じている。穏やかな人柄に、近所の隠居から出入りの商人まで、親しげに言葉を交わしている。土方には到底真似できない。

──山南さんは恐ろしい人だ。

 冗談ともつかぬ真顔で、土方は言ったものだ。

「相模屋については悪い話を全く聞きません。あれほどの大店に怪しげな噂ばなしのひとつやふたつ、あっても誰も不思議には思わないでしょうに」

「火事があれば真先に炊き出しを始め、病人には無料で医師を紹介する。遊興ぶりはこれまた豪勢なもので、行く先々に小判の雨が降るだの、落籍した太夫を持参金つきで里親になり、さる大身へ嫁がせた、だのか」

 山南は土方の言いようを聞いて笑った。

「まあ、大体土方さんの言われるようなことですね」

「山科の寮については聞いたことはないかね」

「広大なものらしいですが、特に。では、会津様が目を付けたのはそこですか」

 土方は頷いた。

「それとなく、出入りの者に聞いてみましょう。不思議なほど事情に通じていることがあります。面白いはなしが聞けるかもしれません」

 やはり、監察方にむいているのではないかと思う。この男が密偵を務めても、誰ひとり疑わないだろう。それが顔にでたのか、山南は自分の顔の前で手を振った。

「やめてください。私は世間話をしているだけですから」

 土方の毒気を抜かれた顔を見て、山南はゆったりと書物をひろげた。



(続く)

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