第11話 偽計 2
「副長、よろしいですか」
「山崎君か。入りたまえ」
濡れた衣服を改め、土方は火鉢に手をかざし暖をとっていた。山崎烝は一礼すると、清水で沖田が斬った浪士の件を報告した。
「五人かね」
それを聞いて、土方は珍しく闊達な笑顔になった。建前はどうであれ、沖田に殊のほか甘いのは、隊中知らぬ者はいない。
「で、沖田はどうした」
「めずらしく、かなり返り血をあびておいででしたが、内藤殿とおっしゃる方と」
山崎は土方の表情を盗み見る。会所から戻ると、原田左之助からそれとなく内藤と土方の間柄を聞き出していた。
「木屋町の”きぬ笹”という料亭へ向かったようです」
普段、何事につけても表情を殺す土方が、露骨に嫌な顔をした。
「そうかえ」
取りつく島も与えず、やたら手を火にかざしてさすり始めた。
(内藤さんのこととなると、土方さんはまるで餓鬼だからよ)
原田が声をひそめて耳打ちした通りである。山崎は内心のおかしさを堪えた。
「ところで副長。先程刺客に会ったと聞きましたが」
土方は山崎を睨み、自重めいた笑みに口許を歪めた。
「さすがに耳が早いな。山崎君には隠し事はできんようだ」
とたん、冷徹な副長の顔に戻った。土方はよく役者のような美男と評された。が、かれの端正さは、かえって酷薄な印象を与える類のものであった。
「妙な野郎だった。俺を殺ろうとする気はない上、たれこみして行っちまった」
「何を言っていました」
土方は鼻を鳴らした。
「沖田に気をつけろだとさ」
「は?」
山崎は真顔で問い返した。それを見て、土方もうんざりしたように言う。
「それだけだ。まったく埒があきやしねえ」
沖田総司は、近藤、土方にとっての腹心中の腹心である。幼時よりの内弟子であり、肉親同然の間柄であるといっていい。
また、何よりも沖田の性質を知るものが聞けば一笑に付すであろう。主義、主張がない、といってしまえば元も甲もないが、そのずば抜けた剣才を別にすれば我欲のない、およそ邪気を知らぬ男だった。
「しかし、伊達や酔狂で俺に言いにきた風でもなかったのが、ちょいと気になってな」
──近頃、めずらしい客はなかったか。
(あれは、どういう意味だ)
「気になるといえば」
山崎は躊躇った。あまり不確実なことは口にしたくなかったが、妙に勘に触っていた。
「沖田さんの清水の件は、前後の事情から怨恨と思われますが、仏の懐中に何ひとつ身元を明かすものがなかったのがちょっと」
「五人が五人ともか」
「はい」
「妙だな」
土方も訝しげに眉をひそめた。
今まで役儀上切り捨てた浪士達は、懐中に生国の御守りや書きつけなど、仏になってもなにかしら身元を示す手掛かりがあった。脱藩者であっても、後ろ暗いことをしているわけではない。むしろ国事に奔走しているという使命感と、理想に命を賭けている誇りを持っているのだ。
「明日当たってみますが、この件はお含みください」
「わかった」
山崎が一通り報告しおわるのを待って、反対に土方が黒谷で持ち掛けられた話を始めた。山崎は意外な顔もせずに、それならばと言葉をつぐ。
「相模屋の件は、私も所司代の下引きから聞いていました。こちらでも見張りをたてようかと思っていたところです」
土方はまじまじと山崎を見返した。
「時折、思うのだが」
火箸で灰を掻き回わす。
「君が間者であれば、今頃俺は生きちゃいないかもしれんな」
「ご冗談を」
山崎は意外だといわんばかりに目を剥いた。心底そう思っているのである。
どういうわけか、かれの信頼と忠誠は土方に捧げられていた。局長の近藤ではなく、土方へなのである。どうやら山崎の目には、周囲の隊士が見ているのとは別の土方が見えているようだった。
「まあ、いい。忘れてくれ。その件は君のいいように手配してくれ。ただ、表立って悟られんようにな。尻尾を捕まえんうちに頭を叩くと大事になる。俺と近藤さんが腹を切るくらいじゃあすまん」
「承知しております」
慎重に構える山崎へ土方は手を振った。
「やめとくれ。そんなに深刻ぶることはない。俺が考えにしとくから安心しな。密偵を使うのもそのほうがやりやすかろう」
土方は万が一の時、山崎が責任を引き被らないよう釘をさした。
山崎は無言で深く頭を下げた。
「歳さん、いるかね」
のんびりとした声が、軽い足音とともに障子越しにかかった。
井上源三郎である。いまだ江戸の頃と同様に呼ぶ兄弟子に、何度か改めてくれるように言ったものの、一向にその気配はなかった。無論、悪気があってのことではない。土方もこれ以上の苦言ができず、半ば諦めかけていた。
山崎は土方へ黙礼すると、入れ代わりに部屋を出ようとした。
「山崎さん。お邪魔だったかな」
井上のゆっくりしたもの言いに思わず山崎も微笑んだ。
「いいえ、丁度済んだところですので、ご遠慮なく」
「そうかい。込み入った話じゃないから、よかったら山崎さんもいとくれ」
井上は山崎の顔を見て、思い出したようにぽんと手を叩いた。
「そうだ、総司を知らんか」
「何だ、井上さん。沖田を探しにきたんなら見当違いだ。ここにはいねえよ」
見てみろといわんばかりに、土方は火箸を振り回した。
「俺はあれのお守りじゃねえからな」
山崎はくすりと笑うと、
「沖田さんは内藤殿と木屋町の料亭へ行っておられます」
井上はそれを聞いて大きく頷いた。
「ああ、それで歳さんの機嫌が悪いんだね」
「用事は何だい」
ひとり納得している井上に、土方はつっけんどんなもの言いで応酬した。
「そうだ、そっちが大事だった」
井上は全く気にする様子もない。
「おとといの二人のことだが、明後日江戸へ発つ決心をさせたんで、それを歳さんにも知らせようと思ってね」
「そうか。それはご苦労様でした」
「いや、歳さん、そのなあ。……実は、あいつらがちっとばかり気になることを言っていたんだがね」
井上がわざわざ土方の部屋に来たのは、どうもそちらを聞かせたかったようだ。
「勘違いとは思うんだが、ちょいと気になるもんでね。どうしたものかと思っていたのさ」
「日野のことか?」
「いや。そのう」
と、土方と山崎の顔を交互に見やって、
「内藤さんなんだ」
土方は眉を寄せた。
「あいつら、色々と日野の彦五郎さんや小野路のことも教えてくれたんだが、以前、内藤さんが試衛館に来てなすったことを知っていてね」
井上は話しながらも首をかしげている。
「あいつらが言うには、内藤さんの屋敷が付け火で燃えちまったっていうんだ。しかも、奥方と一緒に亡くなったなんて言うもんだから……」
「まさか」
屯所を尋ねてきたのは、紛れもなく彼らのよく知る内藤新三郎である。
「何かの思い違いだろう」
「儂もそう言ったたんだが、間違いねえとあんまりあいつらが言い張るんでな。念のため、歳さんの耳にも入れておこうと思ったのさ」
土方はじっと思案しているようだった。
「源さん、そりゃ思い違いだ。現におととい内藤さんは俺たちに会っている」
「そうだろう。儂もそう言ったんだ。埒もない話をして悪かった。忘れてくれろ」
胸のつかえを下ろしてほっとしたのか、井上はにこにことして自室へ戻っていった。
「妙なことが重なるもんだ」
土方は誰に言うでもなくつぶやいた。山崎は一礼して部屋を辞そうとした。
「山崎君」
「はっ」
土方の黒々とした瞳が見上げていた。
「明日一番で江戸の近藤さんまで飛脚をたててもらいたい。書状はそれまでに君の部屋へ持っていく」
「何か」
「一寸気になる。確かめてみよう」
「では、早飛脚を手配いたします」
「そうしてくれ。行き違いになるといけない」
土方は硯箱を引き出した。
(続く)
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