第9話 流謫 4

 次ぎの瞬間、ひんやりと頬に畳の感触があった。

 目を開けると、天井がぐるりぐるりと回っていた。沖田は、込み上げた吐き気を押さえ込んだ。

「すまぬ」

 謝る声は内藤のものだった。沖田はそっと目を開いた。眩暈は収まったが、手足が痺れたように力が入らなかった。

 脂汗の浮いた沖田の額から頬にかけて、内藤が指をすべらせた。

「一刻もすれば、楽になる」

 沖田の苦しげな様子に目を伏せ、言い訳をするように言った。

「……なぜ……ですか」

 沖田は睨んだ。身体中が鉛のように重たい。

「何故だろうね」

 内藤は優しく沖田の頬を撫ぜる。

 指先は、頬から唇を通り、項へとおりていった。内藤は穏やかな微笑を口許に刻んで、沖田を見つめている。

「総司。お前、憶えているね」

 その穏やかな笑みが、沖田の心を冷やした。

「あの夜を憶えているね」

 衿の合わせから素肌へと内藤の手が滑り込んだ。

「止めて……くだ……」

 内藤は、沖田の衿元をゆったりとくつろげる。力の抜けた身体を人形のように扱い、肩をぬいた。痩せた胸が、苦しげに忙しなく上下していた。幼子のような肌を指がなぞっていく。

 嫌悪に全身に粟立った。

「私はお前に会いに来た。一目会うだけでよいと思っていたのだ」

 内藤は、乾いた声で嗤った。

「だが……」

「止め…てくださ……い」

 喉を締めつけられるように声が出ない。しかし、おかしなことに、身体を這う内藤の指の感触だけは、切り取ったように感じるのである。五感がおぼろげなまま、そこだけがより鋭敏に、沖田の感情を乱していた。

 動かぬ手に力をこめ、指先だけでも抵抗する沖田を組みしき、内藤は覆い被さった。

 必死に反らす顎をとらえ、桜色の舌先を捕らえ深く接吻した。

 押し入ってくる内藤の舌が、沖田を絡めとり、きつく吸い上げる。

 息苦しくなった頃、ようやく沖田の唇を優しくかみ、肘にはさんだ顔を覗きこんだ。

「恨むなら、土方を恨め」

 一瞬、霞のかかった沖田の瞳に輝きが戻った。理不尽な内藤の仕打ちに対する怒りが、身体の奥底から湧き上がってきた。

 怒りと軽蔑の色をたたえた沖田の目に、内藤は微笑んだ。

 再び沖田を捕らえる。

「お前が殺してくれ」

 総毛だった。




 押し殺した吐息が微かに聞こえていた。

 くぐもった細い声が言葉にならずに消えていく。

 脱ぎ捨てられた着物の上で、沖田は内藤に組み敷かれていた。

 緩慢なほどゆっくりとした愛撫の手は、無残な記憶の下から激しい嫌悪と相反する感覚を引き出し始めていた。

 一つに繋がれ、執拗に求められる口唇を、どちらともわからぬ息が抜けていく。

 深く穿たれた腰は、苦痛に身動ぎするたびに、なをも繋がりを深くしていった。

 鈍い疼痛が、脈打つたびに全身へ広がっていく。

 沖田は、眉を寄せて歯を食い縛った。

 内藤はゆっくりと身体を動かしながら、不自然なほど静かな瞳で沖田を見つめていた。

「苦しいか」

 耳元をくすぐるようにささやくと、沖田は薄く開けた目で睨み返す。

 内藤は喉で笑うと、かれの中心へ手を延ばした。

 不自然に折り曲げられた身体をひねり、その手から逃れようとするが、萎えた手足は思うままにならない。

 内藤の手に捕らえられ、次第に熱を帯びていくおのれに、悔しさから涙が溢れた。

 内藤は頬を流れる涙を舐めるように吸い取ると、徐々に息を乱していくかれを緩慢に追い上げていく。

「まだ、つらいか」

 その声の持つ淫らな響きに、素直に身体は反応した。

 全身を引き裂かれる痛みと、内藤の手で引き出された本能が、交互に体内を駆け巡っていった。

 目を開けているのか、どこにおのれがいるのか、なにもかもが二つの感覚に凝縮されていく。

「つらい……か」

 耳元で囁かれる深い声音に、沖田の身体はなおも朱を刷いた。

 内藤は苦痛と官能にゆがむ端麗な顔を見つめた。

 時折、漏れ聞こえてくる三味の音に、やわらかな笑い声に混じる。

 二人の浅く短い呼吸のなかへ、沖田の小さな悲鳴が交じり始めた。

 内藤の手に阻まれ、虚しく消えていく叫びは、かれから健全な思考を全く奪っていった。

 夢中で口に当てられた指を噛み、少しでも苦痛を和らげようとする。

 内藤は沖田が噛む指をそのままに、かれを両腕に抱えこむと蹂躪し続けた。

「……あ、……あっ」

 涙が途切れることなく、沖田の頬を濡らしていく。

 血の匂いが漂い、沖田は恐怖に目を見開いたまま悲鳴を上げ続けた。

「……たす…けて、た……」

 幼い子供のようにつぶやく沖田の涙をぬぐいながら、内藤はかれの首筋へ顔を埋めた。

「総司」

 身体が腕のなかで反り返り、そのまま絶えいるように沈んでいく。瞳が霞み、長い睫が蒼ざめた小さな顔に影を落としていった。

「歳…三さ…ん……」

 意識を失う寸前、吐息のように沖田の口から土方の名が漏れた。



(続く)

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