第6話 流謫 1


 今にも泣きだしそうな曇天の下、沖田総司と内藤新三郎は清水へ登った。十月も下旬。すでに晩秋である。

 舞台の欄干にもたれ、見事に紅葉した東山を眺め渡す。低く垂れ込めた雲と霧に、境を無くして溶けこもうとしていた。

 朝からいっこうに晴れる気配のない空を見上げ、沖田は衿元を合わせた。

「寒いか」

 微笑を返した沖田に、内藤はおのれの羽織をぬいで差し出した。

「着なさい」

「平気です。剣術で鍛えていますから」

「いいから、着なさい」

 夕暮近いせいか、広い舞台に人はまばらである。東寺から東西本願寺、三十三間堂へとまわり、最後に清水寺を訪れた。

 薄暮の中に浮かぶ沖田の顔は、熱があるのか、頬がうっすらと紅かった。

「お前は変わらないね、総司」

「いろいろとありましたけど、私は私で気楽にやってますから」

 口唇がふっくらと笑みを含んだ。

「土方さん、ひとづかいが荒いんですよ。昔、多摩の河原で出稽古帰りに昼寝をしたことが懐かしいな」

 そうだ、と沖田は振り返った。

「今度、近藤先生が江戸へご下向の時、私も連れていてもらおうかな。内藤さんも江戸にいらっしゃるし、姉さんにも」

 云いかけてすっと口を噤んだ。頭を掻く。

「無理かな」

「帰りたいか、江戸へ」

 答えずに、沖田は小首をかしげた。

「お前が望むなら、連れて帰る。江戸の屋敷で一緒に暮らしてもよい。昔も言ったが、私が仕官の口を見つけてやれる」

 沖田はゆっくりと首を左右に振った。

「ここにいると次に何が起こるか判らないから退屈しないんです。だから私は京にいたい」

「ああ、確かに退屈だけはせんようだ。そろそろ夕餉の時刻だ。どこか寄っていくか。それとも、早く帰らんと土方が心配するか」

 拗ねた口調に、沖田は笑い声をたてた。

「内藤さんこそ、お変わりになりませんね。お二人とも顔をあわせるとすぐ喧嘩なんですからねえ」

「あの乙に澄ました顔が気に入らないのさ」

「土方さん、あれでも可愛いところ、あるんですけどね」

「行くぞ」

 踵を返した内藤の背を、沖田はあわてて追った。

 舞台からの石段を下りると、名水として名高い音羽の滝がある。

 内藤は、すぐ茶店の親父に、幾許かの金子を渡して提灯を借り、先に立って歩きだした。

 急に寒くなったようだった。

「木屋町へ行こう。いい店を知っている」

「私は全くの下戸ですよ」

「久し振りだから構わんだろう」

「食べる方に徹しますからね」

 突然、頭上から烏が一斉に飛び立った。沖田は聞き耳を立てるように左右に目配りした。

「どうした」

 真顔で内藤を制し、提灯の火を吹き消す。

 薄暮のなかにぼんやりと影が浮かびあがって見えた。

 沖田は内藤と背中合わせになり、そろりと刀身を抜く。

「なにか、いるね」

 押し殺した人の気配があった。

「内藤さんはその先で待っていてください。目的は私でしょうから、あなたには手出ししないはずです」

「そうもいかんだろう」

「いえ。待っていてください。あなたはお旗本だ。滅多なことで刀を抜いてはいけない。すぐに追いつきますから。それに、」

 敵に後ろを見せ逃走することは新選組の五箇条の隊規のひとつ、「士道ニ背キ間敷事」に触る。処罰は切腹である。沖田はぶっそうなことを世間話のように軽くいって、ひらりと笑った。そして周囲に問いかける。

「どなたかは存じませんが、私は新選組の沖田総司と申します。人違いであれば、このままお引き取りください」

 返答に、刀が鞘走った。

「では、お好きなように」

 五つの影が闇にすべった。沖田は、構える様子もなく立っている。

 内藤は提灯を捨て、木立の濃い闇のなかへ退いた。沖田の技量は承知している。手をだせば、返って邪魔になるであろう。

 頬に冷たいものがさわった。

「降ってきたぞ」

「ええ」

 いきなり沖田よりふたまわりは大きい影が、飛び掛かってきた。

 沖田はすべるように、相手の刃へおのれをさらすと、くぐり抜けて胴を凪いだ。

 器用に返り血を避け、小さく舌打ちをする。

 初太刀から胴を斬っては刀身に脂がまく。切れねば棒切れと同様である。

 右手から襲ってきた男の鋒刃をかわし、のどもとへ切っ先を繰り出した。ぶつりと音がして血飛沫が石畳を打つ。

 残った四人は一斉に間合いを詰めて、沖田を取り囲んだ。

 闇のなかに荒く、浅い息づかいが聞こえた。沖田は刀を下段に構えたまま、少しずつ移動して一本の幹を背にした。

 大上段に振りかぶった刀を、身を落として避ける。

 喉もとを狙って刀尖が閃く。

 頬へ生温かい血がかかった。

(これはひどいな)

 うまく返り血をよける間がない。のしかかる新手に、沖田は飛び退いて、体勢を整えた。

「あと三人」

 ことさら無感動な声音をつくった。

 男たちに動揺が走ったのを見届け、自分から撃って出た。

 出ばなに小手を斬り下げ、返す刀でもう一人を逆袈裟に斬り上げた。獣のように咆哮して転げ回る刺客を沖田は省みず、残った一人に詰め寄った。

「ば、……化け物!」

 男の罵声に、沖田はにやりと笑った。

 血を浴びて笑う沖田に何を見たのか、絶叫して目茶苦茶に斬りかかると、内藤が身を潜める木立へ突っ走った。

「気をつけてください!」

 沖田が叫ぶと同時に、刀がぶつかる金属音が聞こえ、足音は駆け去っていった。

 沖田は抜身を下げたまま走った。

「大丈夫ですか!」

 闇に慣れた視界のなかで、内藤はだらりと刀を下げて立っていた。

「ご無事でしたか」

「すまん、とり逃がした」

「お怪我がなくてなによりですよ」

 よいしょ、と沖田は足もとの男を転がして面体を改める。内藤は放り投げた提灯を拾って、火を付けた。

 男の顔にかざす。

「この人、内藤さんと茶店で争っていた人ではないですか」

 沖田は次々と死体を確かめていった。

「やはりそうです。あの時の人達だ」

 遺恨があったら来いといったのを、実行したのであろう。

 沖田は合掌したあと、死人の着物で刀身を拭った。

「まずお届けですね」

 沖田は内藤を覗き込んだ。提灯を持つ内藤の右手が血で汚れていた。

「怪我を」

「大したことはない。かすめただけだ」

 沖田は眉をしかめると自らの袖を抜き取って細く裂き、内藤の手に巻いた。

「後で消毒しましょう。刀傷はこわいんです」

 内藤は返り血を浴びた沖田にニヤリとした。

「その前に、その恰好もどうにかしないといけないね」

 身体中からたちのぼる血生臭さに顔をしかめ、沖田は空を仰ぐ。

「このまま、びしょ濡れになるまでいられるといいんですけど」

「本当に風邪をひくからな」

「はいはい」



(続く)

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