第5話 壬生の屯所 3

 井上の自室には、いかにも百姓然とした若い男が二人、落ち着かなげな様子で座っていた。ふたりは土方の顔を見た途端、嬉しそうに目を輝かせた。井上源三郎はというと、柔和な顔つきを精一杯しかめて二人を睨んでいる。

 井上も沖田と同じ、試衛館の内弟子であり、人斬りを生業とした新選組におよそ不釣り合いな好人物だった。副長助勤という戦闘分隊長の役職にあるものの、井上の隊は留守番隊として配置されることが多く、陰で「ご隠居隊」などと呼ばれていた。

「お前ら、なにしにきた」

 土方は二人を睨み付けた。

「なにって、歳さん。おらたち、歳さんや若先生のことを聞いて、助太刀に来たんだ。いやあ、びっくりだ。都ってえのはすげえもんだなあ」

 飯がうまいだの、女がきれいだのと、口々にまくしたてた。井上は、それをはらはらしながら見ている。

 試衛館時代、土方も出稽古に多摩の農村へ行ったが、世慣れていたためか、近藤、沖田より教え方がうまく、自然、在所の若者たちに親しまれていた。もっとも、悪処にも通じていたので、そちらの手解きを受けた者も多かったのだろう。

 現在、鬼副長として隊の内外で恐れられる土方をかれらはまったく知らない。馴染みの「歳さん」に加え、師匠筋である試衛館の面々が京の町で名を挙げたと聞き、一旗あげようと上洛したのである。そんな男たちがすでに二組、壬生を訪れていた。

 しかし土方はにべもなく断って、数日京見物をさせたのち、多摩へと帰していた。

「ここは、お前らの来るところじゃねえ。さっさと帰れ」

「だけどよう、歳さん」

「二、三日京見物をして、多摩へ帰れ」

「若先生は」

 なおも食い下がるのへ、

「近藤さんは江戸だ。そのあいだ、俺が近藤さんの代わりをしている。その俺がいかんと言っている。これ以上、手間かけさせるな」

 少しも表情を崩さずに、突き放した。

 二人は、土方の変わりように、おどおどと互いに目を見交わした。

「ほら、旅籠に行こう。歳さんはこれからすぐに出掛けにゃならんから、あんまり世話かけんなよ」

 井上が、助け舟をだした。

 二人はうつむいたまま頷くと、渋々といった態で廊下に出る。

「井上さん」

 二人の背を押していた井上は心得た、と笑って頷いた。

「すまん」

 庭向こうの客間で内藤らが談笑しているのが見える。勢い込んでなにやら抗議する沖田をちらりと見ると、土方は目を閉じて嘆息した。




 指定された時刻を半刻ばかり遅れ、土方は上木屋町の「きぬ笹」へ上がった。

 一間ほどの間口のこじんまりとした店である。水浅葱に笹を意匠した暖簾のむこうには、奥行きがある京の町屋独特の造りがうかがえた。

 丸石を埋め込んだ土間には打ち水がされ、手前の大きな水盆には竜胴が生けてあった。

 土方が小女に来訪を告げると、すぐに奥から女将らしい影が近づいてきた。土方が名乗るまでもなく、女将は慇懃に腰をかがめ、先にたって奥へ導いた。どこをどう通ったのかわからぬほど廊下を曲がり、ようやく藍いろの襖の前で女将は膝をついた。

「内藤様、お連れいたしました」

 襖を開けて女将が促す。土方は薄暗い室内へ足を踏み入れた。

 まるで遊廓のような瀟洒な造りの室内だった。ぐるりと見回し、酒肴がととのった卓のむこう、盃を傾けている内藤の前にどっかりと座り込んだ。

「少々遅れた」

「宮仕えは大変だろう」

 内藤は面白がっているようだった。

「私が悠悠自適の身で、あんたが宮仕えなどと冗談のような境遇だな」

「近藤さんがいれば、俺は隊務だけを見ていればいいのだが。やはり性に合わん」

「そこが私と土方さんの少ない共通点だね」

 内藤は土方の盃を満たした。

「しかし、この店はなんだ。この部屋へ来るまでに誰ともすれ違わなかった。つきあたりの手水もこの座敷専用のようだが」

 かすかに三味線の音や謡の声が聞こえてるので、無人ではないはずである。

 内藤はそれを聞いて薄く笑った。

「さすが、新選組副長殿だ。よく観察したものだ。つまり、この店はそういった用向きに使われているのだろう。密談、接待、外聞を憚るお楽しみだの」

 内藤は肩をすくめる。

「相模屋の悪徳の源だ」

 ふと土方は、内藤は以前からこれほど皮肉めいたもの言いをする男だったろうかと思った。

「奥方はどうされたんだ」

「実家へ戻した。義父は事の成り行きを心得ているから、時がくればまた考えようと言われてね。それまで私は島流しになったんだ」

 もっとも、と内藤は続ける。

「私にはこの生活のほうが向いている。一番哀れなのは私のようなものの妻になった妙だね」

 内藤は盃を置いた。

「土方さん、折り入っての話とはなんだ」

 土方は舐めるように傾けている盃に視線を落とした。元々、あまりいける口ではない。

「私はあんたが好きではないが、話は聞くぞ」

 内藤が重ねて促すと、土方はようやく盃を置いた。

「総司を江戸へ連れて帰ってくれないか」

「どういうことだ」

「どうにかして、あれを一緒に江戸へ連れて戻ってくれないか」

「総司は新選組にとって、大切な戦力ではないのか」

 土方は唇をかんだ。

「六月の池田屋の件は聞き及んでいるだろう」

「大変な働きだったそうだな」

 徳川将軍家のお膝元である江戸では、新選組の奮戦はさらに誇張され、拍手喝采で迎えられたのである。

「池田屋で血を吐いた」

「なんだと」

「労咳だ」

 土方は、内藤を見据えた。

「医師には、このままの生活を続ければ、三年と言われた。新選組にいたのでは、養生もできん。それどころか、斬り合いの最中に咳き込みでもしてみろ、いくらあれが手練でも命取りになる。かといって、俺が無理やり連れて戻るわけにもいかんのだ。だからこそ、あんたに頼みたい」

 土方は立て続けに盃をあおった。

 労咳(肺結核)は死病である。完治は望めなかった。滋養を取り、養生に勤めれば天寿を全うできるかもしれないが、それも新選組にいたのでは叶わない。

 土方の脳裏に、熱く、薄暗い池田屋のなかで、血を吐きながら倒れていく沖田の姿が浮かんだ。宵山の祇園囃子が耳の奧で鳴り響いている。

「新選組などやめてしまえばどうだ。みんなやめて、江戸へ戻ればいい。いくら肩入れしたところで、幕府の先はもう見えている。土方さんだって上洛してわかっただろう」

 土方は内藤を睨み付けた。

「それだけは出来ん。だからこうして頼んでいる」

「勝手ではないか。総司の病に気付かずに、放っておいたのは土方さんだろう。そんなに新選組が大事か」

「違う」

 土方は、薄暗い部屋の隅へ視線を泳がせた。

「いや、俺にとって新選組は一から作り上げたものだ。直参のあんたにはわからんかもしれんが、これが俺の城だ。ようやく日の目を見はじめた新選組で、どこまで勝負できるか、俺はやってみたい」

 内藤はふと表情を和らげ、尋ねた。

「総司を帰して、本当にいいのか」

「あたりまえだ」

「総司が望んでいたらどうする」

「俺は、総司に人斬りの手伝いをさせたいわけではない」

「私に頼んでもいいのか」

「いいも、悪いも、あんたしか頼める人がいないだろう」

 土方は声を荒らげた。

 内藤は盃を置いた。

「あんたは馬鹿だ、土方さん。総司を手離してよいはずがなかろう。あれの気持ちを考えたことがあるのか。知らぬはずはあるまい」

「どういう意味だ」

 内藤は首を振ると小さくため息をついた。

「わかった。総司には、私と江戸へ戻るように言おう。その変わり、以降、何を言っても私は総司をあんたの所へは帰さん。それだけはここで私に約定してくれ。それが条件だ」

 土方は馬鹿にしたように口元を歪め、無言のまま金打した。

「これでいいか」

「何も見えんのだな」

 独白のように内藤は言うと、冷めた酒を一気に干した。



(続く)

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