第4話 壬生の屯所 2
客間の床の間を背に、内藤新三郎は座っていた。
まだ、誰の姿もない。
土方は小さく舌打ちすると、癇性に襖を後ろ手で閉め、内藤の正面に座った。
内藤は挨拶がわりにかすかに会釈をした。
「土方さん」
「何しにきた」
挨拶も交わさずに土方は言った。
「お旗本がくるほど京は剣呑としたところではない」
無礼なもの言いを内藤はついぞ気にした様子もなく、
「物見遊山」
と、言ってのけるとからからと笑った。
「冗談だ。少々へまをやらかしてね。家督を弟の矩良に譲った。堂々の隠居だ。江戸にいると母や親類がうるさいので、気鬱の病につき転地療養ということにした」
土方は二の句が告げなかった。もともと大身の旗本らしからぬ男だったが、時を経てそれに拍車がかかったらしい。
「何をやらかしたんだ」
「城中で上役に茶をかけてやったんだが、これが嫌な野郎でね。事あるごとに私のことを讒言する。腹に据えかねた」
「やっかみか」
内藤の義父は、譜代の旗本衆のなかでも、群を抜いた切れ者だった。
「さあね。どちらにせよ、私に城勤めは向かん。妙には悪いが、かえってせいせいした」
「奥方もご苦労なことだ」
土方は、まだ誰も客間へくる気配がないのを確かめると、表情を改めて内藤に膝を近づけた。
「実は、折入って話したいことがあった。手紙を出そうかとも思っていた」
「私に? 青天の霹靂とはこのことだな」
内藤は混ぜ返そうとしたが、土方の真剣な表情に口をつぐんだ。
「ここではまずい。しばらく京にいるのならば、席を設ける。いつがいい」
「何があった」
「その時に話す」
「新選組副長殿のたってのご所望とあらば、否とは申せませんな」
内藤は目を細めた。
「上木屋町に“きぬ笹”という店がある。相模屋という商人の持ちものだが、少々縁がある。なんだか知らんが立て込んだ話にはいいだろう。そこに今晩五ツ(午後八時)ではどうだ」
「相模屋利平か?」
土方は目を見張った。
「知っているか」
土方はむっとしたように、口をへの字に結んだ。
相模屋は大坂に本店を構える、幕府御用達の回船問屋である。格式は三井、鴻池に及ばぬものの、わずか一代で巨万の富を蓄え、今紀文と評される大商人である。利平の一言は幕閣さえも容易に動かすとさえ囁かれていた。
「義父の口利きで相模屋の寮に逗留している。機会があれば紹介しよう。何とも食えない男だがね」
内藤の顔に嫌悪ともとれる表情がよぎった。
「今晩五ツだな」
その時ようやく廊下の奥から、話し声と足音が聞こえてきた。と、障子が勢いよく開いて、原田左之助を先頭に斉藤一、沖田総司らが続いて入ってきた。
「よう」
原田は豪快に笑って、内藤の横にどさりと座った。江戸の試衛館に居候していたひとりで、宝蔵院流の槍術を遣う。以前、中元奉公で些細な口論になり、切腹をしてみせた腹傷が自慢だった。
「生憎、山南さんは巡察に出てしまわれて、井上さんは取り込み中でした」
沖田は座りながら、土方の表情を見て肩をすくめる。
「お話ははずんでいましたか」
「知らん」
土方は袴の裾をはらった。
「俺は黒谷へ行かねばならん。失礼する」
黒谷の金戒光明寺には、新選組の抱え主である京都守護職会津松平公の本陣があった。
「例の辻斬りの件ですか」
「──いや」
「京は物騒だな」
「ここ十日ばかりで、町人が四人斬られているんです。あまりに立て続けなので、所司代から新選組へ探索依頼が」
「よけいなことはしゃべるな」
土方は内藤を一瞥して、廊下を踏み締めるように自室へ戻っていった。
「ね、土方さん、相変わらずでしょう」
足音が聞こえなくなったのを見計らって沖田は言った。
「でもね、これも相変わらずの大もてなんですよ。祇園や島原に行くとすごいんだから。あんな無愛想な人のどこがいいのかな」
事実、遊里の土方の周りには、綺麗どころが争うようにはべっていたのである。
「なに言ってんだ、沖田君。島原なんぞめったに行かんくせに」
斉藤一に沖田は舌を出して見せた。斉藤は沖田に比する剣技の持ち主である。明石藩浪人を自称し、神道無念流を遣うが、どこかとらえ所のない瓢々とした人物だった。
「沖田だって捨てたもんじゃないんだぜ、内藤さん」
後を受けて原田が人の悪い微笑を浮かべる。
「この間も文を貰っていたよなあ。ありゃ、どうしたんだい。たまには切ない恋心に応えてやったらどうだい」
「原田さん!」
沖田は真っ赤になった。
「しかしなあ、珠に疵ってえのはこのこった。聞いてくれよ、内藤さん。沖田に文を付けるのは、これがまあ、男ばっかりでね、こんな男所帯じゃ無理もないと思うが、それだけじゃねえんだ。この間なんか、さる堂上方が沖田を見初めてね」
「嘘は言わないでください」
「そうだったかな。じゃあ、どっかの藩士だったかな」
「原田さん!」
沖田の必死の形相に一同が一斉に笑い転げた。
「助けてくださいよ。この人たち、いつもこれなんですから」
沖田は肩で笑う内藤を恨めしそうに見て訴えた。
「で、結局誰から文が届いたのかい」
「内藤さんまでよしてください」
沖田はがっくりと肩を落としてため息をついた。
「歳さん、丁度よかった」
自室の前で、井上源三郎が土方を呼び止めた。
「ちょっと、部屋まで来てくれないかね。手間は取らせんよ」
言いにくそうに口ごもり、
「また、あれが来とるんだ」
「せんあれか」
井上はため息とともに首肯した。
(続く)
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