第3話 壬生の屯所 1
壬生はすでに郊外になる。
点々とした民家の間を壬生菜畑が埋め、爽やかな秋晴れの空に、壬生寺本堂の銅葺き屋根が鈍く輝いていた。
坊城通りと綾小路の角に、新選組が屯所としている前川荘司邸はあった。
二間ほどの長屋門をくぐり、中庭へと続く廊下をまわったところに副長土方歳三の私室はある。稽古のかけ声や隊士たちの点呼などもかすかに聞こえてくるが、その一角だけは、水を打ったようにひっそりと静まりかえっていた。
隣室の局長近藤勇は、九月下旬に永倉新八ら数名の隊士を連れ、会津藩士小森久太郎とともに江戸へ下っていた。下向の目的は二つ。ひとつは朝廷より幕府へ命じられた長州征討のため、一刻も早い将軍家の再上洛を幕閣へ要請すること。そしてもうひとつは、新規の隊士募集である。池田屋の一件以来、新選組は慢性的な人材不足に陥っていた。
「土方さん、沖田です。入りますよ」
殺風景な部屋の片隅で、土方歳三は文机に向かっていた。
「精がでますね。それにしても、あいかわらず土方さんの部屋は旅籠のようだ」
憎まれ口をたたきながら近づく沖田へ、土方は目を細めた。
くせのない髪を大髻に結い、物騒な印象の目元には、あるかなしかの微笑が浮かんでいた。濃い色目の着物が、猫めいたこの男にしっくりと似合っていた。
「また駄々をこねにきたか」
「ひどいなあ。土方さんの無聊をおなぐさめにきたのに」
「馬鹿ぬかすな。俺は忙しい。あっちへ行って稽古でもしていろ」
沖田は暇ができると土方の所へ押し掛けて、何だかんだと時間をつぶしていくのである。
「なんなら、俺が八木さんのところの坊ずたちに、話をつけてやってもいい」
「私をいくつだと思っているのですか。れっきとした大人をつかまえて、それは失礼じゃありませんか」
「おとなかえ」
土方は鼻で笑った。
「俺は、今までお前をおとななどとと思ったことはないがね」
「はい、はい」
沖田は適当に相槌を打って土方のすぐ近くに座った。
「実は、珍客をお連れしたので、お知らせに来たのです」
「俺にか」
「そういうわけでも、ないと思いますが」
土方はやっと筆を置いた。
「誰だ」
沖田はにやりとした。
「誰だと思いますか」
「馬鹿」
「内藤新三郎さん」
土方はめずらしく不意をつかれた表情になり、眉を寄せた。
「ね、驚いたでしょう。今、客間にお通ししたところです。一緒に行きましょう」
「いやだね」
土方は沖田をにらんでから、そっぽを向いた。
「そんなこと、おっしゃらずに」
「俺があの浮かれ野郎を昔から好かねえのは、十二分に知ってるだろう」
「そうでしたっけ」
沖田は土方へ顔をずいと近づける。大きな瞳がいたずらっぽく輝いていた。土方は、負けじと口をへの字に曲げて対抗した。
「それに、今、近藤先生は出張中です。ご名代としてお会いいただかなくては」
「山南がいるだろう、山南が」
「巡察に出張ってらっしゃいます」
「俺は知らん」
土方は、沖田を無視して墨をすり始めた。
「客間ですからね」
沖田はもう一度念を押すと、旧試衛館一党へ内藤の来訪を告げに行った。
「なんだって俺があんな野郎に」
土方はふと手を止め、思案するように腕を組んだ。
(続く)
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