第5話 暴走授業

 チャイムが鳴り数分の休憩時間の後、次の先生が教室へ入ってくる。魔法実技の授業だ。

 俺は実技が好きだったが、何人かのクラスメイトは体を固くし、この世の終わりのような顔を浮かべた。


 試験を通り、魔法学校に入学したものの、うまく魔法が扱えないと「ドロップ」として特別クラスへ収容される。それは魔法学園に通う者にとって、死刑宣告にも等しかった。

 一年のときは理論などの座学が多かったが、二年からはこのような実技の授業が多くなる。応用課題も増えるため、何人かのドロップ候補生が生まれていた。


 実技ではまず、魔法の構成方法を簡単に教師が説明し、数人の生徒が教壇で実演してから個別練習へと入る。

 誰しも、みんなの前で失敗なんかしたくないだろう。俺も一発でこなす自信がないので、「当たりませんよーに」と小さく願掛けをする。


「それでは実践してもらおうか。西牧にしまき

「ハイ」


 先生に当てられ、ひとりの生徒が教壇へと上がる。

 彼は教壇の上で意識を集中させ、パァンと大きく手をたたき合わせた。数秒もしないうちに、彼の姿がぐにゃりとゆがむ。


 彼本人がゆがんだのではない。

 霧が発生して屈折率が変化し、蜃気楼しんきろうのようにゆがんで見えたのだ。


 さまざまな魔法の基本となる、水の生成。

 簡単なように見えて、細かい水の粒を等間隔に並べなければならない高度な技だ。

 配列もキレイで、像が波のようにゆったりと揺らいでいる。コイツ、なかなかやるな。

 知らずのうちに笑みが浮かび、闘争心を胸で燃やす。


 魔法は主に、『凝縮ぎょうしゅく』『構成こうせい』『発動はつどう』と言った、三つのステップで行われる。

 意識を集中して魔法の材料となる魔法粒子を近くに『①凝縮』し、頭の中でどのような魔法にするか『②構成』する。そして、なにかしらの音を発して、構成した魔法を『③発動』するのだ。

 ほとんどの人は『発動』の切っ掛けとして声を発していたが、どうやら彼は両手をたたき合わせる動作を好んでいるようだ。

 俺はそのときの気分によって発動動作を変えていたが、大きな音を出せる分、発動が安定して見えた。今度自主練のときにマネしてみるか。


「よろしい、見事な配列だ。では次、松岡まつおか

「ハイ!」


 教室内に凜々りりしい声を響かせて、松岡獅恩まつおか しおんが立ちあがる。

 何人かの女子の視線がハートマークに変わった。男でも、彼に尊敬のまなざしを向ける奴は多い。


 華やかな金髪に長い手足。誰もがうらやむ甘いマスクは、俺が毎日縮めと呪っているのにも関わらず高い位置にある。

 新入生代表としてあいさつをした際、生徒のみならず保護者からも陶酔した声が上がったことは、いまや伝説のように語られていた。


 学年トップの成績を誇る、長身のイケメン。十全十美じゅうぜんじゅうびという四字熟語はコイツのために用意されたようなものだ。


 彼は魔法学園内でもエリートが集まる特進科に入学したが、二年になって気まぐれに普通科へと編入を果たした変わり者だった。

 魔法の才能がある優等生しか特進科へは入れない。


 俺も何度か編入試験を受けているが、なかなか合格することができなかった。

 編入することができれば、将来の道は約束されたも同然なのに。それをわざわざ蹴って普通科へ降りてくると言うのだから、つくづく天才の考えは理解できない。


 変人ではあるが魔法の腕は確かなので、ほどほどに親しくしていた。

 むこうが「下の名前で呼べ」とうるさいので、望み通り「シオン」と呼んでやっている。他に友人がいないのか、なんだかんだで懐かれていた。

 面倒くさい相手だが、優秀な成績をキープし続ける彼から学ぶことは意外と多い。


 元特進科のエリート。この程度の魔法、彼に取ってはたやすいものだろう。

 自信満々に笑むシオンの顔を、ほおづえをつきながら眺める。


 端正な顔を崩さずに目を閉じ、魔法構成に集中する。

 彼にしては珍しい、長い構成。なんとなく嫌な予感がした。

 当の本人は俺の予想を裏付けるべく、ニヤリと笑みを浮かべてから指を鳴らす。


「な……なっ?!」


 パチン、という発動音のあと。

 一瞬にして、教室の壁がすべて鏡張りになったかのようにキラキラと光を放った。

 教師が驚きのあまり声を失う。クラスのいたる所から、歓声の声が上がった。


 あちらこちらで光が乱反射し、アイドルのステージのような華やかさだ。霧の配列を操作して、光を反射する鏡のようなものを教室中に発生させたらしい。


 言葉にすると簡単そうだが、鏡のような屈折率を生み出すのは非情に難しい。

 水の制御と配列、なおかつその場に固定し続けるという高度なコントロールが必要だ。

 俺は一枚分の鏡を創りだすので精一杯だというのに。それをこの男は、教室中に。実力の差を思い知らされてつくづく嫌になる。


蜃気楼しんきろうを作るならこのくらいやってもらわなければ困る! 見よ、この花も恥じらう美しさ!」

「おまえが恥じらえ」


 思わず口をついて出たつぶやきだったが、幸いにして本人には聞こえなかったらしい。隣に座っていた笹生だけがクスクスと忍び笑いを漏らす。

 ライトアップされたかのように輝く中心で、シオンが高らかに笑う。

 ルックスも勉強も、魔法までもがいいというのにこの性格。残念なイケメン代表だ。

 みなが嫌がる実技演習も、自分の力を誇示したがるシオンにとっては格好の場だったらしい。


「ま、松岡くん分かったから、もう納めなさい」


 先生の制止に不満気に鼻を鳴らし、炎を発生させ一瞬で周りの水滴を蒸発させる。

 あとに残るのは物質を変化させた時に生じた衝撃音だけ。

 その手際の良さに今度こそ先生は腰を抜かした。


 室温も上げず、発生させた水蒸気だけを狙って消滅させる。

 果たしてこれほどの魔法を使える人間が、教員を含めて何人いるだろうか。


 教室がざわめきに包まれる。

 シオンはそれを気にすることなく自分の席へ着いた。


 元特進科の成績トップ。

 普通なら嫌みのひとつもあっていいだろうが、あまりの実力差に誰もが圧倒されていた。

 女子なんかはアイドルのライブを生で見たかのようなテンションで騒ぎまくっている。


 ――この後の実技だが、みな散々な物になるだろう。


 すばらしい魔法を見せつけられて、その差に自信をなくす者と、対抗して制御できない魔法をぶっ放す者と。

 二年になったばかりで、クラスメイトのほとんどはシオンの魔法に免疫がない。間近であんな魔法を見せられて、平静で居られる人間はおそらく少ない。


健人たけと、教室の端のほうに行かない?」


 この後の惨劇を予想したのか、笹生さそうが俺を安全そうな場所へと誘う。

 すぐに同意し、俺は教室の真ん中らへんに居た愛すべき実羚みれいを呼び寄せた。

 常に笹生の動向を気にしている実羚は、軽く手で合図するだけですぐさまこちらへと駆け寄ってくる。


「ひゃ~、松岡、やっぱすっごいね。私もあーゆーのできるかなぁ?」


 キラキラとした尊敬のまなざしをシオンに向ける。

 これは負けていられねぇなと魔法を組み立て始める横で、笹生が心なしか強い口調で実羚をたしなめた。


「制御できない魔法は凶器と変わらないわ。無理しないで、自分のできる範囲で魔法を使いなさい」


 課題で出された蜃気楼しんきろうでなく、シオンが出したような鏡を作り出そうとしていた俺は、笹生の言葉に決まり悪く魔法の構成を変更する。


 対抗して制御できない魔法を使って、誰かを傷つけたりしたら大変だ。

 一応事故のないように、教師が皆の魔法を注意深く見守っているが……


 さっきのシオンの件で、案の定、失敗する奴が増えていた。

 失敗した魔法を教師が都度相殺していくが、手が足りなそうだ。

 なにを血迷ったか氷の粒が飛んできたので、慌てて実羚をかばって腕で払いのける。

 消しゴムくらいの大きさの氷だが、当たると地味に痛かった。


「課題をこなしたら、教室から出たほうがいいかもしれないわね……」


 冷たい視線で、笹生がつぶやく。

 元凶となったシオンをにらみ付けると、彼は彼で責任を感じたのか、教師を助けるように、失敗した魔法の相殺を手伝っていた。

 教師と同じことをしてのけるなんて、生徒としてここにいる意味あんのか? って感じだが。


 混乱した教室内で、自分もなんとか課題をこなす。

 一度目は配列がぶれて汚くなってしまったが、二度目はちゃんとキレイな蜃気楼しんきろうを生み出すことができた。

 実羚が苦戦しているので、俺なりに気づいたことや並べかたのコツを伝えてやる。


「斜めに霧を~、えい! ……わ、ホントにできた! ありがとタケト!」


 アドバイスがうまくいき、彼女から礼をもらえて、じわじわと多幸感で満たされた。

 心の奥が震えるほどうれしい。キミの役に立たせてくれてありがとう、と逆にお礼を言いたいぐらいだ。


律花りっかは大丈夫?」

「ええ。問題ないわ」


 実羚の心配をよそに、笹生は自らの唇に指を当て、ちゅっと投げキッスを放つ。

 その行き先にたまたま俺が居て、一瞬ドキリとしてしまった。


 笹生の魔法の発動方法、色気があって目のやり場に困るんだよな。

 すごくサマになっているだけに、クラスメイトの間でもセクシーだと評判だ。

 一発で生じた蜃気楼しんきろうは、俺と実羚を隔てるようにしてゆらゆらとその身をくねらせる。


「すげぇ……笹生、魔法うまいな」

「こういう細かい作業は得意なの」


 にっ、と赤い唇を引いて笑う。

 そしてそのまま、俺の腕に自らの手を絡ませてきた。ビクリと体が跳ねるが、できるだけ平静を装う。


「外に出ましょ。演習が終わるまで廊下で待機したほうがいいわ」

「え、あぁ」


 教室の外まで手を引かれる。やわらかい女の子の手に、不覚にもドギマギしてしまった。

 笹生にとっては何気ないことかもしれないけれど、いままで彼女がいたことがない純情男としては結構心臓に悪い。


「律花、待ってよぉ~! おいてかないで~!」


 蜃気楼しんきろうに阻まれて少し遠回りしながら、実羚が駆け寄ってくる。

 やろうかどうか迷ったが、笹生は普通に手をつないできたし。変なことじゃないよな? と確認しながら、実羚に向かって空いている手を伸ばしてみた。


 彼女は一瞬目を見開いた後、笑顔で俺の手をつかんでくれる。

 ひんやりと冷たい、けれどもふわふわとやわらかい手。手汗を気持ち悪がられないか、とつなぐ手が少しだけ控えめになる。


 初めて、手。つなげた……。

 うれしさと気恥ずかしさで緩みそうになる顔を見られないよう、慌てて廊下のほうを向く。


 すると今度は笹生と目が合って。

 顔赤くなってないよな? と不安になり、決まり悪く下をうつむいた。


 ヤバイ、これすっげぇ恥ずかしい。


 両手がふさがっているため、顔を覆うこともできずに足を進める。

 蜃気楼しんきろうの授業で良かった。いたる所に霧が発生しているため、クラスメイトに見つかってからかわれる心配はなさそうだ。

 じわじわと、顔に熱が上っていく。


 早く来いとばかりに笹生に強く手を握られるが。

 廊下までのわずかな距離が、とてつもなく長く感じた。

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