最終話 夢明けの君へ
これは後日、学校の先生や警察から聞いた話。
文化祭の幕切れが見えた頃、屋上で銃を発砲した
他校への迷惑行為、銃刀法違反、殺人未遂……。罪を重ねた雷花は、非常に重い処罰となった。
父親が警察の重役だった雷花は、盗んだ拳銃で一人の女子生徒を発砲。もともと冷めていた親子関係に、最悪の形で父の顔に泥を塗る結末になった。
父親も事故の隠蔽を認め辞職。
壊れた雷花家の関係は修復できないと誰もが思った。しかし、父親は自分のせいで娘が精神的なストレスを覚え、生活態度が豹変してしまったと気付き、責任を痛感している。
今はまだ面会でしか会えないけど、親子の対話は以前よりも増えたという。
雷花の社会復帰も、父親との関係修復も遠い未来だろう。けれど、不可能じゃない。
ゆっくり時間をかけて、本来あるべきだった家族の形に戻っていく。
わたしも雷花には憎しみの感情を抱かなかった。憎しみから何も生まれないことを、わたしはもう知っているから。
皮肉にも、雷花と決別する時になってようやく、彼女に対してささやかな優越感を持てた気がした。
***
わたしはと言うと、結果から言えば、一命を取り止めた。
手術を経て、三年生になるまでの入院生活を余儀なくされたが、その後は順調に快復。
自分の怪我よりも、病室で泣きわめく両親の顔を見る方がずっと辛かった。
心配していた進級だが、既に進級要件はほぼ満たしていた。加えて、学校側の特別措置で週に数回のオンライン講義を受け、院内で簡易的な定期試験を受けることで、無事三年生に進級することができたのだ。
年が明け、様態が落ち着いた頃に
わたしを抱きしめ、謝罪と感謝の言葉を重ねた。わたしのために顔をぐしゃぐしゃにして泣く彼女を見て、やっぱりこの子のことが好きなんだなって思った。死ななくてよかったと思った。
落ち着きを取り戻した雲璃の口から発せられたのは思いもよらぬ内容だった。
――私ね、警察に自首する。
文化祭の日。雷花がばら撒いた『葵ヶ咲雲璃が南橋晴夏を殺害した』という記事によって、雲璃のニュースは瞬く間に広がった。
記事の内容を信じた者もいたし、噂が独り歩きして、様々な憶測も飛び回った。
それが自首の動機なのかと雲璃に尋ねたら、彼女は静かに首を横に振った。
曰く、
わたしとこれからも一緒に居るため、と。
わたしは雲璃と一緒に居たかった。でも三年生になるまでは病床で過ごさなければいけない。懲役刑が下れば、おそらく数年という単位で会えなくなる。
ただでさえ雲璃は春になったら親戚の家に引っ越す予定になっていて、大学に進学するまでの最低でも一年は空白の時間ができるはずだった。
たった一年でも、わたしにとっては茫漠とした時間。雲璃と数年会えなくなると思うと体中の骨が砕かれるようだった。
否定の言葉を口にするわたしに彼女は諭すように言う。過去を清算しなくちゃいけない、と。
――罪の上に築かれた恋愛を否定はしないし、価値が無いとも言わない。でも、私は嫌だ。私はこれからずっと
惨めたらしく最後まで縋るわたしに雲璃は優しく微笑んだ。柔和な笑顔の中に強い意志を感じて、最終的に彼女の意向を尊重することにした。
***
二人の決意とは裏腹に、雲璃には執行猶予の判決が下された。
彼女の年齢と同意殺人の経緯が認められたのが大きな要因だった。晴夏の両親とわたしの証言が元になって、雲璃の罪はかなり減刑された。
真相を知った晴夏のお父さんとお母さんは、最初は複雑な気持ちだったが、重要参考人であり一番の親友でもあるわたしの話を聞いて納得してくれた。
今では娘の意思を尊重してくれた雲璃に感謝しているという。
そして……。
雲璃は親戚の家に引き取られて県外へ。
引っ越し先は国内と言っても飛行機での移動となる場所。高校生にとっては簡単に会いに行ける距離ではなくなった。
事態が急変したのは数ヶ月後。
国内屈指のコンクールで入賞した雲璃はフィンランドの大学から推薦をもらったのだ。
雲璃は最後まで否定的だったけれど、親戚とわたしの強い説得の末に海を渡る決心をした。
わたしだって本心ではなかった。一年我慢すれば雲璃と再会できると信じていたのに、それが先延ばしになったのだから。
でも、自分の願望を押し付ける時期も関係性も終わったのだ。雲璃の未来を考えた時に、彼女が幸せになる道が、わたしにとっても幸せの形になるのだから。
それ以上に、雲璃の経歴とか関係なく、世界が彼女の腕に期待しているという事実が純粋にうれしかったのだ。
それに……。
過去を清算するための時間が必要だと、雲璃は言った。距離を置くことが過去の清算に値するのかは分からない。
でも、本当ならもっと長い間会えないはずだったのが短縮された。雲璃は日の当たる世界でまた歩いて行ける。
わたしにはそれが、晴夏が残してくれた贈り物のように感じられた。
晴夏が雲璃の罪を
遠距離であっても、際限なく会話してしまうことを懸念したわたしは、雲璃とのLIMEのトーク履歴を削除した。
『一度リセットする』という彼女の意志を尊重するために。
雲璃の顔が見たい……。雲璃の声が聞きたい……。
忠実な感情を殺して、雲璃とは必要最低限の連絡に留めた。
高校三年になり、連絡はどんどん減っていった。寂しかったけど辛くはなかった。
だって、……再会の約束をしたのだから。
***
一年後。
わたしは
雪原久美さんも同じ大学に進学した。学部は違うけど、たまにキャンパス内で顔を合わせるし、一緒に勉強したり、ご飯も食べに行ったりしている。
かつてのクラスメートだった
わたしは具体的な夢がなく、モラトリアム気分で大学に入ったので、もう将来の夢がある海音さんと猫貝さんがかっこよく思えた。
そして、
雲璃は単身でフィンランドで生活している。大学生になってからスマホでの連絡はなくなった。月に一回の手紙をやり取りして、お互いの近況を報告している。
引き出しの中に積み重なっていく手紙の数が、雲璃と離れ離れになった時間と、わたしの心の寂しさを物語っていた。
でも、海の向こうで元気にしている――そう思うと、落ち込んでもいられないって思った。
そうやって、みんなが、それぞれの夢に向かって歩きだした。
***
大学二年の夏。
学生達は一週間に渡る期末試験を乗り越えて、待ちに待った夏休みの到来に歓喜を震わせていた。
その頃、わたしの姿は霊園にあった。
悠然と佇む『南橋家』と書かれた墓石。花を添えて線香を上げると、静かに手を合わせて目を瞑った。
「わたしは晴夏が好き。そして、これからも一緒に居る」
わたししか居ないはずの霊園には、少女二人分の声が木霊した気がした。
「そして、わたしは雲璃が好き。晴夏のおかげで雲璃と出会えた。晴夏のおかげで、雲璃と生きていく決心がついた」
思えば、雲璃と出会ったのもこの場所だった。
三年前の夏のこと。
「ありがとう、晴夏。ずっと三人、一緒だよ」
***
「忘れ物ない? パスポートは? 酔い止めは? スマホの充電は大丈夫? いくらキャッシュレス時代だからって現金はお財布に忍ばせておきなさいね。それからそれから……あわわわ」
「おいおい、もういいだろ」
過保護なお母さんの肩にお父さんがそっと手を置く。
「
「そうだけど~~~っ! 雨愛ちゃん、何かあったらすぐ電話しなさいね! 何かなくても毎晩電話しなさいね!?」
「いや、通話料めっちゃかかるからね、お母さん……」
もともと優しい両親だったけど、あの文化祭の一件以来、お母さんの方はさらに心配性になった。
わたしは本当に良い家族に恵まれた。
「じゃあ、そろそろ行くね。いってきます、お母さん、お父さん」
「行ってらっしゃい、雨愛」
「気を付けてね、雨愛ちゃん」
キャリーケースを引っ張って自宅をあとにする。
午前五時の紫色の空には夜明けの赤い色彩がぼんやりと滲んでいた。もうすぐ朝が来る。
先日、一年間の休学届を大学に提出したわたしは、長期留学をすることにした。
留学先は……まぁ、言うまでもないだろう。
だって、……その先に彼女が待っているから。
コツンコツン……、コツン、コツン……。
ずっと、長い夢を見ていた気がする。
明けない夜はない。覚めない夢はない。いつかは現実に引き戻される。
けれど、今はこう考えるようにしている。
夢から覚めたあとには、もっと素敵な夢が待ってる、……って。
「すぅー……」
息を吸うと朝の新鮮な空気が肺に流れ込んできた。
コツンコツンと靴音を鳴らして、夜明けの街を歩いていく。
まだ眠りから覚めたばかりの、静かな街の中を――。
End
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