第83話 幕切れの咆哮
わたし達の罪を暴くチラシは、
その光景を見て、雷花の隣にいた
「あーあ、終わったなー
「違う! 笹希さんと葵ヶ咲さんはそんなことする人じゃない!」
雪原さんが強く反論した。
――
誰かのイタズラとして相手にしない人もいるだろう。文化祭の企画として誤解してくれる人もいるかもしれない。
しかし、もはや真実かどうかは問題じゃない。
噂は噂を呼ぶ。尾ひれが付いて、わたし達の社会的信用を揺るがす。
それだけで、雷花の目的は達成されたに等しいのだ。
「あたし回収してくる!」
「あっ、待って! 海音さん!」
喜多河さんはフェンスに身を乗り出して、空から降ってきたチラシを拾い上げる人を指さしながら笑っている。
予想に反したのは
「楽しい? キー子」
非常に冷たい声色だった。
「最高だよ、やーちゃん! 見てよ、記事を読んでる奴らを。今どんな気持ちなのかな? 本気にしちゃってる? 悪戯だと思ってる? どちらにしても、明日から笹希たちを見る周りの目は変わるだろうね~。真相を暴くための有志団体が結成されたりして、きゃは!」
興奮気味に話す喜多河を雷花は冷静に見つめていた。その温度差に喜多河もさすがに気付いて、小首を傾げた。
「やーちゃんは楽しくないの?」
「……なんか、思ってたのと違う」
感情が抜けたように、退屈そうに言う。
「こんなことしても何も報われた気がしない。怒りがあたしの手元を離れて、虚無感だけを残していく感じ……」
雷花は空を仰いだ後、こちらに目を遣った。
「ほら見なよキー子、こいつらの顔を。あたしはね、絶望の底に叩き落されて瞳から光が失われていくのを見たかったんだ。なのにこいつらはずっとあたしのことを睨んでる。法を犯したのはこいつらだ。あたしは真実を暴いた。正義はあたしの方だろう? なのに、なんであたしの方が間違っているような目で見られなきゃいけないの?」
雷花の視線の先には未だ警戒心を解かず、敵対の意志を浮かべるわたし達がいた。
「あたしが見たかったのはこういうのじゃないんだよ……」
脱力する。そして、彼女は遠くの彼方に視線を飛ばすと、ゆっくりと口を開いた。
「どうせあたしの冷めきった家庭は元に戻らない。お前らだって、社会から迫害されて、明日からは違う日常が待ってる……。でも、それがあたしにとっての何の価値がある?」
諦観した台詞は空気に混ざって秋の空に消えていく。
長年積み重ねた負の感情は、目的が果たされた瞬間に、虚無感に変わる――雷花はそれを今、身をもって実感していた。
そして、雷花は意志を固めるように、あるいは心の中で何かを壊すように、その言葉を発した。
「もう……疲れた。いいよ、……。もうお前ら、……いらない」
そう言って雷花はスカートのポケットから何かを取り出した。それが、スマホを取り出すような自然で軽やかな動作だったので、手にした物を見た時は時間が止まったように辺りが凍り付いた。
「そ、それは……」
「や、やーちゃん……?」
佐倉先生が両手を口元に遣って目を見開く。雷花の隣にいた喜多河さんもその存在を知らなかったらしく、体を硬直させる。さっきまでの人を見下す笑顔は霧散していた。
雷花がポケットから取り出したそれは、一瞬にしてこの場の空気を変えてしまった。
――拳銃。
遠目からでも判る黒の光沢と質量感から、それがモデルガンやおもちゃの類などではないことが伝わってきた。リアルで見るのは初めてだけど、本能で分かる。あれは、本物の拳銃だ。
「や、やーちゃん……。それ、どーしたの……?」
喜多河が額に薄っすら脂汗を浮かべながら質問する。
「クソ親父からパクった」
「盗んだって……」
雷花の父親は警察の重役。当然、拳銃も保持している。しかし、いくら娘の雷花といえど、簡単に拝借できるほど
どんな陰湿な手口で入手したかは分からない。けれど、それは問題ではない。
今、彼女の手に、人の命を一瞬で奪うことのできる小さな兵器が握られていることが問題なのだ。
「そ、それを、今すぐ、お、お、下ろしなさい!」
佐倉先生が声を震わせながら言う。ギロッと鋭い目つきで雷花が睨むと佐倉先生は「ひっ」と怯んでしまった。
この中で一番幼く見える佐倉先生だが、れっきとした社会人であり、教育者。
しかし、そんな社会的立場を逆転させてしまう効力を、雷花の拳銃は持っている。
「ら、雷花さん、何かの冗談ですよね?」
その先には――。
「
乾ききった喉を虐めて息を呑む。雲璃の立っている場所と銃口が一直線に結ばれる。
「や、やめて……っ」
声を振り絞って懇願するわたしを雷花は一瞥した。
「親父はいつも、あたしと笹希を比べてた。比較されるほど、どんどん自分が惨めになった。他人に優劣つける親も憎かったけど、それ以上に、お前も嫌いだった。そして、――」
まるで氷の結晶のような雷花の鋭い目が雲璃を捉えた。
「葵ヶ咲。お前の親が死んでなかったら、事故を隠蔽する必要もなかった。親父は罪悪感に苛まれることもなく、あたしのことも見ててくれた。幸せな日々が続くはずだった。だから――」
「全ての元凶はお前だ、葵ヶ咲。あたしの鬱積した想いは消えない。両親亡き今、お前が死んで償え」
「…………」
無言のまま瞳を揺らす雲璃。雷花の言葉は最後の宣告に聞こえた。
「や゛めてーーーーーッッ!!!」
「駄目だよ、雷花さんッ!」
反射的に体が動いていた。最後の瞬間、視界の端でわたしと同じタイミングで御津木さんが駆け出したのが見えた。
それが、わたしが鮮明に記憶できた最後の映像。
刹那。
鼓膜を破るような音と、火薬の匂いが立ち込める。
「――ッッ!」
鋭い痛みのあとに、重々しい痛みが追い討ちをかけた。雲璃を庇ったわたしは共に地面に倒れ込んだ。
「
雲璃の声が聞こえた。でも、返事ができない。地面に倒れた衝撃で声が詰まっているのか? いや、体に力が入らないのだ。
「……っ! ……ッッ!」
まただ。また雲璃がわたしを呼ぶ声がする。キーンという耳鳴りの中でも彼女が呼ぶわたしの名前はとても澄んで聞こえた。
背中に走る鈍い痛み。いや、痛みなんてレベルじゃない。軋みながら体がバラバラに乖離していくような、言葉にならない激痛。
なんとか動く手で体をまさぐる。すると、べっとりしたものに触れた。
生臭さの中に酸味が混ざったような匂い。わたしの片手は、赤色の絵の具をそのまま出したかのような色をした鮮血で染まっていた。
ようやく理解する。
雲璃が撃たれると思って咄嗟に庇った。そして、銃口を逸らそうと、御津木さんも雷花に体当たりをした。
結果、弾丸の軌道は雲璃から外れ、わたしの左肩を貫いた……。
きっと、わたしと御津木さんのどちらの判断が欠けていても、銃弾は雲璃を捉えていたに違いない。そう状況を整理できるくらいには、まだ思考は保てていた。
でも、やがてその意識も薄らいでいく。
もう一度、震える手で傷口を触る。さっきまでの鮮やかな血の色は、今や赤黒く変色していた。
息が出来ない。
自分の血を見た瞬間、万力で体を裂かれそうな痛みを覚え、声にならない声を振り絞る。そして、一気に意識が遠のいていく。
(……っ! ……ッッ! …………っ!!)
涙ながらにわたしを呼ぶ声がする。雲璃の声だ。
顔と首に温かい人肌が触れる。雲璃の手だ。
愛しい人に抱きかかえられ、名前を呼ばれる。愛しい人がすぐ側にいる。でも、もう彼女の姿は見えないし、声も聞こえない。
雲璃は怪我してないかな……。無事ならいいんだけど……。
わたしのことは心配しないで……。それを伝えたいのに、鉛のように重くなった瞼はもう開かない。
それが悲しい。
安らかな微睡の中で芽生えた悲しみ。それが、消え行く意識での最後の感情となった。
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