第81話 清らかな涙は真実を語る

 屋上の扉を開けると、目が眩むような空の青さが広がった。


 一足先に屋上に到着していた雲璃くもりは、三人の女子生徒と対峙していた。


 雷花らいか喜多河きたがわさん、御津木みつぎさんである。


 言葉を発するのも躊躇われる空気の中、先に口火を切ったのは雲璃だった。


「単刀直入に聞く。このビラを配ったのはあなた達ね?」


 佐倉先生から渡されたチラシを雷花たちに見せた。


 すると、雷花は腕を組んだまま鼻で笑った。


「そんなの知らないわよ~。あたし達はたまたま文化祭に遊びに来ただけなのにぃ、なんでそんな恐い顔されなきゃいけないの~んふふ」


「吐くならもっとマシな嘘をつきなさいよ」


 雲璃が指をさした喜多河さんの手元には、同じチラシが束で収めらている。


 これはさっき中庭で配っているのをもらっただけだと、雷花がくすくす笑いながら白々しく答える。


「家庭科室から食材を盗んだものあなた達の仕業でしょ?」

「何のことぉ~?」

「……作品を壊したのは?」

「それこそ証拠ないじゃない」

「……っ!」


 あくまでしらを切る雷花たちに雲璃が奥歯を噛む。怒りの矛先は一旦、雷花の隣で悠然とした表情を浮かべる喜多河さんに向けられた。


「なんで雷花なんかに加担するんだ。あんたバドミントン好きなんだろ? 真っ当なスポーツライフを送る方がずっといいのに」


「お前に何が分かるんだよ……」


 余裕の表情を浮かべていた喜多河さんの声が低くなり、くらさの宿った瞳で雲璃を睨みつけた。


「小さい頃からバドミントン一筋で、地域の大会でも何回か優勝したよ。でも、パパもママも家を空けることが多くて、あたしがいくら結果を残しても褒めてくれなかった」


 喜多河さんの両親はどちらもジャーナリスト。昔から海外の取材も多かった。娘と接する時間も少なく、オフの時も疲れが溜まっていたんだろう、喜多河さんと向き合う時間がなかなか作れなかった。


「大会で結果出しても労ってもらえない。バドミントン辞めようって思ったときもある。そんなときに声を掛けてくれたのが雷花だった。あたしに居場所を与えてくれた。バドミントンを続けてもいいんだよって言ってくれた」


 それは、わたしも初めて聞く話。


 雷花のグループにいるせいで色々と良くない噂が立つ喜多河さんだけど、根は良い人なんだ。


 好きなことには真摯に取り組み、人情を大切にする――喜多河さんは、そういう子だ。


「……私と同じだ」


 心の中で喜多河さんを再評価していると、雲璃が静かにそう呟いた。


「私も両親を交通事故で失くした。絵のコンクールで入賞しても虚しいだけ。一番ほめてほしい人が褒めてくれない。でも、……雨愛あめに出会えた。私にとっての居場所は雨愛だったんだ」


「……、一緒にするな」


「しないよ。むしろ、似た路線を辿って来たのに、どうして終着駅が異なるんだろうって疑問に思うよ」


「あ?」


「あなたが雷花の側にいたい理由は分かった。でもね、恩の返し方が違うんじゃないかしら」


「まるで、あたしが間違ってるみたいな物言いだな、葵ヶ咲」


 そこで、わたしは堪らず声を上げた。


「ねえ雷花! どうしてこんなことするの!? みんな今日のために一生懸命準備してきたんだよ!? それを――」


「うっさいな……」


 人を呪うような昏い声が耳朶じだを打った。


「うるせーんだよ! 笹希ささきも、葵ヶ咲も、全部お前らが悪い」


「わたしと雲璃は雷花に何もしてない!」


「知った口利くな! 犯罪者ども!」


 パシンッ……、と強い叩打音が乾いた空に響いた。


 わたしは一瞬、雲璃が怒りにまかせて雷花を殴ったと思った。


 でも違った。


 その場にいた全員が沈黙する。


 引っ叩かれた頬を手でおさえながら、雷花は目を丸くしている。彼女自身、なにが起こったか分からない様子だ。


 思考がまとまらないのは、わたし達も同じ。


 だって、雷花の頬を強打したのは、隣で静観していた御津木さんだったからである。


 仲間割れ?


 そもそも、大人しい性格の御津木さんがリーダー格の雷花に歯向かうことなんて一度もなかった。なぜ?


 状況が呑み込めない中、御津木さんが口を開くことで、止まった時間が動き出した。


「もういいでしょ、雷花さん。私が全部話します」


 呆然とする中、御津木さんが言葉を紡ぐ。


「葵ヶ咲さんのご両親は交通事故でお亡くなりになったと、さきほど仰いましたよね。あれは対向車の過失運転が原因だったんですの」


「それは雷花から聞いたけど……、どうしてあなたが知ってるの?」


 雲璃が口にしたのは当然の疑問だった。御津木さんは数秒間沈黙を作ると、意を決して口を開いた。


「あの時、運転していたのが、私の父上でしたの」



***



「やめろ、ミッツ―」


「いいえ。葵ヶ咲さんと笹希さんには知る権利があります」


「あたしの言う事が聞けねーのかッ!」


 言葉で気圧しようとする雷花に御津木さんも一瞬顔を引きらせたけど、まるで自分の魂にムチを打つように確固たる瞳を向けた。


「私は雷花さんの親友です。でも葵ヶ咲さんの言う通り、認め合う事と恩を別の形で返すことは違います」


 苛立ちを隠せない雷花に毅然とした態度をとる御津木さん。大人しい性格の彼女がこんなに意志の強さを見せるのはめずらしい。


「私の父が交通事故を起こし、結果、二人の尊い命が失われました。葵ヶ咲さんのお父様とお母様です。しかし、葵ヶ咲さんの耳には違った事実が伝えらたはずです」


 御津木さんが軽く雲璃を見ると、雲璃も透き通った碧眼を彼女に向けた。


 そうだ……。事故の原因は雲璃の両親の方だと、雲璃には教えられてきた。


「雷花さんのお父様が警察・報道関係各所に根回しして、事故の記録を捏造したのです」


「どうして、そんなことを……?」


 乾ききった声で尋ねる雲璃に、御津木さんは俯きがちに答える。


「私と雷花さんは子どもの頃からの知り合いでした。いわゆる幼馴染というものです。子ども同士が仲良ければ、自然と親同士の関係も近くなります。父上と雷花さんのお父様も親しい間柄でした」


 御津木さんの父親は凪ヶ丘なぎがおかに本社を構える企業の取締役である。


 御津木さん自身は英才教育の類を施されてこなかったが、それでも良家の血筋を受け継いだ末柄。佇まいや言葉のしなやかさから育ちの良さが垣間見える。


「業界では、父は著名人です。事故が発覚すればこんな小さな町では立場がなくなるでしょう。移住を余儀なくされます。それを雷花さんのお父様は懸念されたのです」


 ああ、そうか……。


 事故のニュースが流れれば、御津木さんのお父さんは辞職を迫られただろう。勤め先の企業が地元に根差したものだけに、知名度もある。


 家族ぐるみの付き合いだったのだろう。友人の立場が危うくなるのを、雷花の父親は看過できなかったのである。


 そして、事故が発覚すれば、幼馴染の関係にあった雷花と御津木さんも離れ離れになる。


 雷花の父親はそれを懸念したのだ。親として、娘と仲のいい友人が別れるのを案じたのだ。


 娘とは喧嘩が絶えなかったと聞いていたけど、娘思いの父親だったのだ。


「雷花さんのお父様が私達を守ってくれました。今、私が凪ヶ丘で生活できるのも、雷花さんとお父様のおかげです。でも、……」


 御津木さんは改めて雲璃に目を遣った。


「葵ヶ咲さんに謝らなければいけなかった。黙っててごめんなさい。あなたの大切な家族を奪ってしまって、ごめんなさい」


 御津木さんは深々と頭を下げた。


 雲璃も目を伏せて言葉を探す。すぐに答えは出なかった。


 けれど、たっぷりの沈黙のあとに御津木さんの目を見ながらなんとか気持ちを紡ぐ。


「それは、事故を起こしたあなたの父親と、雷花の親がするべきもので、あなたがする謝罪じゃないわ。どうせ、じゃべるなってあのビッチに脅されてたんでしょ」


「それでも真実を伝えるべきでした。確かに雷花さんからは口外するなと圧力をかけられていました。でも、私が彼女に抱いている恩も本物です。だから、言い出せなかった……。結局、私の弱さが原因だったんです」


 御津木さんの目からぽたぽたと滴る涙が屋上のアスファルトを濡らす。


 この涙をわたしは知っている。雲璃が自身の罪を告白する時に流したものと同じものだ。心が流す清らかな涙だ。


「軽蔑しましたよね……」


「ううん。教えてくれてありがとう。まだ、気持ちの整理はつかないけど、あなたは悪くない」


 御津木さんはしばらくの間、「ごめんなさい、ごめんさない」と謝罪を重ねた後、手の甲で目元をふいた。


「笹希さんもごめんなさい。本当は笹希さんとも仲良くなりたかった。でも、雷花さんの手前、言い出せなかったの。本当にごめんなさい」


「大丈夫だよ、御津木さん。そう言ってくれて嬉しいよ」


 もしかしたら、御津木さんと、……ううん、喜多河さんとだって仲良くなれた世界があったかもしれない。


 彼女の目尻に溜まった涙の残滓を見て、わたしはそんな風に思うのだった。

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