第79話 雨上がりの初デート
中庭にはたくさんの屋台が出店していた。
十一月の少しだけ肌寒い気温に柔らかい陽光が降り注ぎ、とても快適だ。
売店でクレープを買うとベンチに座り、一息つく。
「もっとちゃんとしたご飯じゃなくてよかったの?
「もともと少食だからね。それに、
「わたしのことなんか気にしなくても雲璃の好きなもの注文すればよかったのに」
「雨愛と同じものが食べたかったの。雨愛は恋人を差し置いて雪原とお茶しに来るんだもん。嫉妬しちゃった」
「いや、あの時は雲璃まだシフト入ってたし……それに、せっかくの誘いだったし……」
「そっか、嫉妬してるのは私だけなんだ。もし私が他の女の子と一緒に居ても雨愛は嫉妬してくれないんだ」
「もーなんでそういう話になるの?」
「雨愛は嫉妬してくれないの?」
「どうせまたからかってるんでしょ?」
「ふふ、まあね」
「ほらぁー」
「でも、半分冗談でもないかな……」と雲璃は呟いてクレープを一口頬張った。
「私は雨愛さえいればよかったから、部活のメンバーとも距離を取ってた。もちろん雪原ともね」
「雪原さん、良い人だったでしょ?」
「うん。というか、最初から良い奴だなって分かってた。私が距離を置いてただけ。周りをちゃんと見てるし、純粋に他人を応援できる子。良い奴だよ雪原は」
きっと雲璃は今、この一年半を振り返っている。歩み寄っていれば、違った「今」があったんじゃないかという思いを馳せて。
「雲璃。今からでも部活の人達と打ち解けてみない? 雪原さん……ううん、部員全員と」
「でも、私はあともう少しで転校しちゃうし。なんか去り際に無理やり思い出作ろうとしてる感じにならないかな……」
「大丈夫だよ」と、わたしは優しく、けれど力強く肯定した。
「どんなに仲良くても一瞬で関係性が壊れることもある。それなら逆だって同じ。今まで不和であっても、何かのきっかけで簡単に仲良くなれるかもしれないでしょ?」
「そんな簡単にいくかな……」
「大丈夫。わたし達だって色々あったけど、たった三ヶ月で仲良くなれたし、こ、こ、恋人関係にまでなれたんだから。だから、雲璃もきっと雪原さん達と仲良くなれるよ」
暗い部屋に豆電球の灯りがぽっと照らすように、雲璃の表情にほのかな明るさが出た。
「ありがとう、雨愛。なんか元気でた」
「えへへ、どういたしまして」
「さっ、早く食べて文化祭回ろう」
「そうだね」
そう、時間なんて関係ない。
人間関係なんて、たった一つの切っ掛けで、良い方にも悪い方にも転ぶ。
だから、神様が出してくれた奇跡のサイコロの目を大事にしようと思った。
「雨愛のクレープは抹茶クリーム?」
「そうだよ。雲璃のは?」
「ブルーベリーチーズ。食べてみる?」
「ありがとう、じゃあ少しだけ……」
「はい、あーん」
「へ!?」
ちょっと雲璃さん!? そんな真顔で、しかも衆人環視の場であーんされても……。
し、しかも……これって、間接キス……だよね?
しかし雲璃はいつもと変わらぬ涼やかな顔で、自分のクレープを差し出してくる。
(え、雲璃は間接キスとか気にしないタイプ!? いやいや、でも、人の目の前での『あーん』はさすがに気にしようよ。ダブルで恥ずかしいんですけどっ!)
「雨愛……口開けて?」
「ぁ……ぁ……っ」
恐る恐る口を開け、そのまま一口パクっと頬張った。クリームの優しい味にベリーの甘酸っぱさが融合して蕩けていくが、ほんの少し雲璃の香りも混ざっている気がした。
「おいしい?」
「う……うん……」
どうやら気にしているのはわたしだけで、釈然としない。
まぁ、友達同士で食べさせ合うなんて普通のことだから、いちいち気にすることじゃないのかも。
そう思ったんだけど。
「間接キスだね」
「ぶっ! ケホッ……ケホッ……」
「大丈夫? 雨愛」
「雲璃が変なこと言うから……えっ、ちょっ、なに!?」
雲璃がおもむろに手を伸ばして、わたしの唇にそっと触れた。口に付いたクリームを掬って、そのままペロッと舐めた。
「雨愛のクレープもちょうだい」
「……はい」
「はい……じゃないでしょ。あーんしてくれないと」
「言ってて恥ずかしくないの?」
「あーんだって、間接キスだって、仲の良い友達はみんなやってるよ?」
絶対嘘だと思う。でも、友達経験の浅いわたしにそれを否定する根拠がない。
雲璃はさらさらと揺れる横髪をかき分けてわたしのクレープを味見した。
「雨愛の味がする」
「どんな味よ」
「ずっと食べていたくなる味、かな」
なんでこの人はいつもいつも蠱惑的というか、わたしを試すような発言をしてくるんだ。絶対内心でからかってるでしょ。
――ねぇ、あの子たち……。
――やっぱりそうだよね?
――ヤバくない?
ふと、周りの人たちがチラチラとこちらに奇異な視線を投げかけていることに気付いた。
そりゃあ白昼堂々と食べさせ合いっこなんかしてれば変な目で見られて当然だろう。
「ほらっ、雲璃のせいだからね。行くよ!」
「今度は間接キスじゃなくて、直接キスがいいね」
「そういう問題じゃない!」
反省の色が全くないと思いきや、さすがに少しは世間体をくすぐられて恥ずかしかったのだろう。
顔を紅潮させた雲璃の手を引いて中庭をあとにした。
***
それから、いろいろ回った。時間の許す限り。
言葉にはしなかったけど、これは雲璃と付き合ってから初めてのデート。
隣で雲璃が笑って、わたしが笑い返して。
わたしが繋いだ手をぎゅっとすると、雲璃も自然と握り返してくれて。
祭り気分にあてられてるのもあるけど、すごく楽しくて。
この時間が終わってほしくなくて。だから、スマホで時刻をチラチラ確認してしまう。
「文化祭、あと三十分で終わっちゃうね、雨愛」
「うん……そうだね」
雲璃が少し残念そうに言った。雲璃もわたし同じ気持ちみたいだ。
そして。
閉会式の後ろ姿が見えはじめた頃、並んで歩いていた雲璃がふと足を止めた。
「どうしたの?」
「おかしい」
雲璃が訝し気に言う。
「なにが?」
「さっきから皆、私達のこと見てる。それにヒソヒソなにか話してる」
わたしもなんとなく気付いていた。
周りの人たちがわたし達の方を一瞥しては、二度見したり、小声で何かしゃべっているように感じる。
自校の生徒、一般客、関係なく。
中庭であんな羞恥の行為をやっていたんだから仕方ないかもしれない。けれど、食べさせ合いしてただけで、陰口を叩かれるの? 単なる思い過ごし?
そんな居心地の悪い校内を歩いていると遠くからわたし達を呼ぶ声がした。
幼稚園児みたいなあどけない声だったので、さっきの
ロリっ子体型の佐倉先生はわたし達のもとまで走ってくると乱れた息を整えた。
「佐倉先生、どうしたんですか? そんなに急いで」
「
「わたし達に何か用ですか?」
「実は、悪いニュースと悪いニュースがあるの」
「どっちか一つは良いニュースであってほしんですけど」
冗談めかしに言う雲璃の手を、佐倉先生の赤ん坊のように小さな手が掴んだ。
「とにかく一緒に来て! 笹希ちゃんも!」
「え、せ、先生!?」
事態が読めないまま、わたしと雲璃はその場をあとにした。
***
佐倉先生に連れてこられたのは四階の美術室。
部屋の前には小さな人だかりができていて、扉は閉められ、立ち入り禁止の紙が貼ってある。
せっかくの展示室なのにどうして立ち入り禁止に?
そんな当たり前の疑問を抱きつつ、雲璃と佐倉先生と一緒に人混みの隙間を縫って美術室へ。
視界に飛び込んできた光景に絶句。
美術部員の力作が展示されている美術室。
いや、……違う。
展示されていた美術室に足を踏む入れる。
情熱と創造を注ぎ込まれた芸術の回廊。数時間前にはあったはずの、その光景が跡形もなく失われていたからである。
いくつかの絵画は油性マジックと思われるペンで黒く塗りつぶされ、またいくつかは紙ごと破かれ、彫刻などは粉々に破壊されていた。
「なんで……どうして……!?」
二の句を継げないわたしは僅かに残された意識の欠片をつないで我に返る。
「雲璃……ッ!」
隣にいる少女を見る。彼女の視線の先はある一点を見つめたまま固定されていた。
「雲璃……?」
わたしは彼女の視線をなぞるように、それを見た。
黒く焼けたキャンバス。辺りには煤と燻る匂いが立ち込める。
真っ黒に焦げたそれがなんの絵だったかもう判別できない。
でも、焼却を免れた額縁下のプレートが生前の姿を、わたし達に教えてくれたのだった。
――夢イストの夜明けに――
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