第78話 くすぐったい関係

「ごちそーさまでしたっ!」


 春流はるちゃんの嬉しそうな声が響いた。


 わたしが時間稼ぎをしている間に、雲璃たちも喫茶店の立て直しを図ることができた。どうやら佳代かよさんとセバスチャンが一肌脱いでくれたらしい。


 春流ちゃんもわたし達が企画した脱出ゲームをとても気に入ってくれて、「もう一回! もう一回!」と母親にせがんでいた。


 その後、春流ちゃん親子はパンケーキを堪能した。味がお気に召したのか、よほどお腹が空いていたのか、春流ちゃんはお皿も舐め回さんばかりに綺麗に食べてくれた。


「本当にありがとうございました。パンケーキとてもおいしかったです。ね、春流?」


「うん!」


「こちらこそお時間を頂きまして申し訳ありませんでした。喜んでもらえて私たちも嬉しいです」


 雲璃くもりと他のクラスメートも出口で春流ちゃんとお母さんを見送る。春流ちゃんはその小さな姿が見えなくなるまで手をブンブンと振ってくれた。


「お疲れ様、雲璃」

雨愛あめもありがとう。機転利かせてくれて助かったよ」


 時刻は午後三時。口コミとおやつ時も手伝ってマーメイド喫茶は大繁盛である。


 そこに佳代かよさんとセバスチャンがぬっと現れた。


「それじゃあ俺たちはそろそろおいとまするぜ」


「パンケーキおいしかったよぉ、くーちゃん。うちの店でも出したいくらいさ」


「それは遠回しに俺の料理がまだまだって言ってんのか、ママ」


「そんなこと言ってないだろぉ。すぐ言葉の綾を取ろうとするんだから、バカ息子は。まぁ自覚があんなら、あんたももっと腕を磨きな。がっはっはっは」


 いつも通りの軽口を叩き合う二人に、雲璃は改めてお礼をした。


「佳代さん、セバスチャンさん、今日は本当にありがとうございました。二人のフォローがなかったらお店は再開できませんでした。本当にありがとうございました」


 雲璃が頭を下げると、それに続いて雪原さん達もお辞儀をした。


「ひっひ。若い子たちにお礼言われるのも悪くないねぇ。あたしゃ中心街で喫茶店やってる。よかったら今度遊びにきんしゃい」


 宣伝も忘れずに佳代さんが体を反転すると視線の先にわたしを捉えた。


「おお、あーちゃん。あーちゃんも居たんかい」


 目が合ったわたしに佳代さんが近づいてきた。招き猫みたいに手をちょんちょんとしたので、小柄な佳代さんの高さに合わせて腰を落とすと、佳代さんがこっそりと耳打ちして訊ねた。


はちゃんと渡せたかい?」

「はい。その節はお世話になりました」


 雲璃にプレゼントした指輪のことである。わたしの手持ちだけでは買えなかったので、佳代さんがバイト代に少しをしてくれたのだ。


「それで?」

「それで……って何ですか?」

「くーちゃんと付き合うことになったんかぇ?」

「……!」


 顔を紅潮させるわたしを見て佳代さんが豪快に笑った。


「がっはっはっは! 青春! 青春だねぇ~! あたしもしてみたかったよ、こんな甘酸っぺぇ青春」


「あ、あの……、一応そういう関係に……なりまして。で、でも、まだ実感とかあまりなくて……」


 モジモジするわたしに佳代さんが柔和な笑みを向けた。


「それでいいんさ。今のくーちゃんにはあーちゃんが必要だ。これからもね」


「来年の春までは『喫茶コトカ』に居候するって聞きました。三年生になったら県外に住む親戚の家に引き取られるって」


「本当なら今すぐにでも引き渡すのが普通なんだけどねぇ。無理やり来年の春まで延ばしてもらったんさ。あーちゃんと離れ離れになるのが嫌だって、くーちゃんも言うてたからさ」


「雲璃がそんなことを……」


 雲璃の方をチラッと見ると偶然目が合った。佳代さんとはコソコソ話しているので雲璃には会話の内容が聞こえていない。わたしの視線に気づいた雲璃は首を傾げた。


「あーちゃんの方は辛くないんかぇ?」


「そのことについては雲璃ともう話ましたから。いつかきっと再会するって約束したんです。それを考えれば一年の空白なんて短いくらいです」


「がっはっは! 強くなったねぇあーちゃん!」


 少しだけ虚勢が入っていたけど、瞳に確かな覚悟を滲ませると佳代さんも豪快な笑いで応えてくれた。


「くーちゃんのこと頼んだよ、あーちゃん」

「はい!」


「おーい、ママぁ! 置いてくぞ~」


 遠くの方で帰り支度を終えたセバスチャンが呑気な声で母親を呼んでいた。


「待ちんしゃいバカ息子!」


 どの親子よりも仲睦まじい愉快な親子は軽い足取りで帰っていった。


 二人が去った後に声をかけてきたのは雲璃だった。


「雨愛、佳代さんと何を話してたの?」

「うん……雲璃のことお願いって」

「そっか……。雨愛はなんて答えたの?」

「言わなきゃ分からない?」

「愚問だったね」


 頬に微かな朱色を滲ませて口元を綻ばせながら雲璃はそっとわたしの手を握った。


「んんっ!! コホンッコホンッ! こほっ……げほっ、げほっ!」


 わざとらしい咳払いをして、そのまま気管支をつまらせてむせた雪原さんが割って入って来た。


「イチャつくのは結構なんだけど~そういうのは他所よそでやってくんないかなぁ。甘々なのはうちらのパンケーキだけで充分。あとはうちらに任せて、葵ヶ咲あおがさきさんは上がっていいよ」


「でも雪原。店も軌道修正したばかりだし、これからお客さんの数も増えるし人手はあった方がいいでしょ?」


「なに言ってるの! 葵ヶ咲さんは十分に活躍してくれたじゃん。葵ヶ咲さんが知り合いにコンタクト取ってくれなかったらとっくにジ・エンドだったんだよ? ただでさえシフトの時間を延長して働いてもらってるのにこれ以上の無理強いはできないって」


「私は平気だよ。体力もまだあるし、日頃から喫茶店でバイトしてるし」


「分かんない子だなー。これ以上活躍されたらあたし達の面目が立たないんだって。今日のMVPは葵ヶ咲さんで誰も異論は唱えないよ。あとはあたし達に任せてよ、ね?」


 雪原さんは口角を上げながら屈託のない笑顔を見せた。


「それに、申し訳ないけど、誰も葵ヶ咲さんの都合なんて聞いてないんだわ。あたしが心配してるのは


「ん?」


 きょとんとしたのは雲璃だけではない。雪原さんの向けた視線の先に同じく小首を傾げるわたしがいた。


「葵ヶ咲さんには大事な使命が残されてるでしょ?」


「大事な使命?」


笹希ささきさんと残りの文化祭を満喫すること! デートしてこなきゃ!」


「「んなぁ!?」」


 思わず雲璃とハモってしまった。


「あなた達まだ付き合って間もないんでしょ? 初のデートが学校の文化祭っていうのも微妙な気がしないでもないけど……。まぁ、ともかく、あと数時間しかないけど楽しんできなよ」


 無言のまま雲璃と目を交わす。お互い顔が赤かった。


「葵ヶ咲さんが断るなら、私が笹希さんと校内デート決めちゃうよ?」

「それは駄目! 雨愛は、私だけの雨愛だから――ぁっ……」


 安い挑発に、つい恥ずかしい台詞を大きな声量で言ってしまった雲璃はばつが悪そうに俯いた。


「ほら、行った行った!」と雪原さんはわたしと雲璃の背中を押す。


「ありがとう、雪原。じゃあ、あとは頼んだ」

「おう、任せておけぃ」

「ありがとう雪原さん、楽しんでくるね」

「お土産よろ~笹希さん」


 そうしてわたしと雲璃は混雑する人の海に繰り出された。午後三時を回り、一般来場者の数はこの日のピークに達している様に思えた。


「……これからどうしよっか、雨愛」

「うん……どうしようね?」


 さっきまで忙しかった分、急に時間ができて体が慣れない。


 それに、雪原さんが「デート」なんて言うもんだから、余計に意識してしまう。


 横の少女をチラ見すると、雲璃も頬を染めながら目線を外し気味に髪を弄っている。どうやら落ち着かない心境はわたしと同じようだ。


「とりあえず何か食べに行こうか?」

「そうだね」

「雨愛は何が食べたい?」

「うーんとね……」


 雲璃が差し出した手を握って、わたし達は歩き出した。

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