第77話 嵐の前のティータイム

 トラブルを聞きつけて戻ってきた雪原さん達に、雲璃くもりが現状を説明した。


葵ヶ咲あおがさきさんが事態を収拾してくれたんだね。ありがとう」

「私は別になにもしてないよ」


 謙遜する雲璃に反してクラスメートは「そんなことないよ」「葵ヶ咲さんかっこよかった」と擁護する。そこにはもう近寄りがたいオーラを放っていた頃の雲璃の姿はなく、彼女の周りに円を描くように自然と人の輪ができていた。


「それで、これからどうしようか?」と雪原さんが口調を改めて訊いた。


「材料が補充されるまでは一時お休みだね。入口にはその旨のフリップボードを出しておいたし、生徒会にも事情は話してある」


「パンケーキの材料が足りなくなったんだよね? 紅茶だけでも提供できないかな?」


「口コミのおかげもあって、パンケーキ目当てのお客さんが多いみたいなの。せっかく足を運んでくれたのにパンケーキがなかったらガッカリすると思う。それなら再開できるまで臨時休業にした方が得策かなって、さっきみんなと話してたの」


「なるほど」と雪原さんは右手を顎につけて小さく頷くと、今度は雲璃の隣にいる女子生徒に目を向けた。


「どれくらいで再開できそうかな?」

「さっき、近隣のスーパーを巡ってもらったんだけど、やっぱり駄目だったみたい……」


 と、女子生徒は買い物班とのLIMEの履歴を雪原さんに見せながら残念そうにぼやいた。


「他の飲食系の出店も買い出しに行ってるからね~。文化祭の前日・当日は争奪戦になって、どうしても品薄になるよね」


 雪原さんと周りの生徒が同時に肩を落とす。そんな空気を払拭するように雲璃はスマホを操作しながら言った。


「今、に頼んでるところだから、もう少し待ってて」

「知り合い?」


 雪原さんが小首を傾げて他のクラスメートを見回すと、彼女達も同じように頭上にはてなマークを浮かべながら肩をすくめる。


 そして、十分くらい経った頃だろうか。


 教室の前扉が慎ましく開いて、二人の一般客が顔を覗かせる。SDキャラのような小柄なお婆ちゃんと、その横には金髪ウルフカットで秋なのに何故か小麦色に日焼けした体格のいい男性。


 愛嬌のありそうなお婆さんはともかく、横の外国人風の大男に教室の生徒たちは緊張して静まり返る。


「お疲れ様です、佳代かよさん、セバスチャンさん。お店あるのにごめんなさい」

「えっ!? 葵ヶ咲さんの知り合いなの!?」


 雪原さんが思わずつっこんだ。


 申し訳なさそうにする雲璃に佳代さんはニッコリと微笑みながら顔を上げた。


「べっつにいいよぉ、くーちゃん。今日はもう店じまいしてきたからさぁ」


「え、いいんですか!?」


「がっはっはっは! うちのオンボロ経営よりくーちゃんの学校行事の方がよっぽど大事さぁ。大切なくーちゃんの晴れ舞台だからね」


 その言葉に文字以上の想いを受け取ったのだろう、雲璃は少しだけ涙腺を緩ませた。


「それに今月の利益目標達成できなかった分はバカ息子の給料から引いとくだけさね」


「んなぁ!? おいママ!! それは聞いてねえぞ!?」


 横のセバスチャンが大きな体格とは見合わない情けない声を出して佳代さんに詰め寄る。


「あんたの小遣いとくーちゃんの文化祭の成功、どっちが大事なんだい?」


「そりゃあ…………雲璃ちゃんだろうよ」


「バカ息子のくせに分かってるじゃないか。それに、給料下げるなんて言っとらんだろうぉ? 今月分しっかり働けば何の問題もないさ?」


「うちの店、大半が冴えない会社員とおっさんの巣窟じゃねえか。どうやって利益出すんだよ……」


「ぶつぶつ言ってないで、ほら、さっさと例のモノ出しな」

「へいへい」


 悪態を吐きながらセバスチャンは肩に担いでいた大きな茶色の紙袋をテーブルの上に置いた。


「こっちの袋には薄力粉や砂糖、こっちはホイップクリームな」


 それを見て学級委員の子が声を上げた。


「あの、すみません。そちらの材料を融通していただける、という事ですか?」

「ああ、そのために来たからな」


 目を丸くするクラス委員にセバスチャンがイケメンボイスで応答する。


「ご厚意はうれしんですけど、たかが学校行事で、何も関係ない方々にご迷惑をおかけする訳にはいかないです」


 級長の言い分は正しい。楽しみにしてくれているお客さんには申し訳ないけど、これは文化祭。ここで模擬店を閉じても仕方ない。


 けれど、佳代さん達は違う。あの食材は店の在庫、あるいは経費から引っ張ってきたものだから、タダで譲っても二人に何のメリットもない。


 好意とか親切心とか呼ぶにはあまりにもお人好し過ぎる。


 話しに割って入ったのは佳代さんだった。


「困ってるときに学校の中も外もないんだよぉ。お互い様さぁ。それに、くーちゃんはうちの大事な戦力だからね。その大事なくーちゃんのクラスの一大事ってなれば、あたしらも無関係じゃないねぇ」


「お願いします、委員長。もらった材料費や外部から手伝ってもらった経緯は私の方から生徒会に説明しますから、ここは素直にお言葉に甘えませんか?」


 雲璃の熱心な提案にクラス委員もしばらく険しい表情をしたあと、軽く息を零した。


「分かりました。有り難く使わせていただきます」


 さっきまで意気消沈していた教室が息を吹き返し、歓喜と意欲の声が湧き上がる。

 雪原さんも雲璃のもとへ駆け寄り、手を固く握って感謝を伝える。


「お節介ながらホイップクリームはうちの店で作らせてもらったぜ。そっちの方が時間短縮になって再開の時間を早められるからな。生地のベースも作ってよかったんだけどよ、そうなるとうちの味になっちまう。それは雲璃ちゃん達とお客さんが望むものじゃないだろ?」


「何から何までありがとう、セバスチャンさん」


「いいってことよ! 食材はどこに運べばいい?」


「すぐに使用するものはバックヤードに。それ以外は家庭科準備室がストック場所になってます。私が案内します」


 学級委員に先導されてセバスチャンは教室から出ていった。それを見送ってから雲璃が佳代さんのもとへ駆け寄る。


「佳代さん、本当にありがとうございます。お店を早閉めさせた上に食材まで恵んでもらって」


「いいんだよ、くーちゃん。最初から文化祭には顔を出すつもりだったから、店の閉店時間を少し早めただけさぁ。それに、材料費はちゃあんとバカ息子の給料から引いとくから」


「んなぁ!?」と驚嘆の雄叫びを上げて再び親子喧嘩が始まる未来が目に浮かぶ。


「くーちゃんはうちの大事な仲間さ。それに、短い間でも『家族』になるんだ。困ったことがあったらいつでも話しんしゃい」


「うん…………、ぅん……。ありがとう」


 目尻に溜まった涙を手で払って雲璃が言う。


 身寄りのいなくなった雲璃を佳代さん親子は迷うことなく引き取ることを決めた。来年の春までという期限付きであっても居候なんて簡単に承諾できるものじゃない。佳代さんがいかに強い愛情を雲璃に注いできたかが分かる。


「それにしても、こんな短時間で完売なんてくーちゃんの出店は大人気だねぇ。うちもこんぐらい繁盛してほしいよぉ。その制服もヒラヒラしてて可愛いねぇ、ひっひっひ」


「あ、あんまり見ないでください……恥ずかしいです」


 そんな和気藹々わきあいあいとした雰囲気の中、雪原さんは右手を顎に付けて思考を巡らす素振そぶりを見せると、訝し気に口を開いた。


「……やっぱり変だ」


「どうしたの、雪原さん?」


 何かおかしいことがあっただろうか。


 閉会式まで時間は残されてるといってもかなり潤沢な材料を得られた。マーメイド喫茶の評判を鑑みれば確かに油断はできないけど、それでもこれで再びサービスを提供できる。


 教室内には一件落着したような安堵感と、リスタートに向けて士気を高めるクラスメートの姿。とてもいい雰囲気だ。


 でも、雪原さんは違った。


 もう一度「どうしたの?」と質問する雲璃に、彼女は疑問の正体を口にするのだった。


「確かに売れ行きは予想を上回る勢いだったけど、まだ午後一時半。おやつの時間にもなってない。もちろん、買い出しに不備があったわけでもない。それなのに、このタイミングで食材が底を尽くなんて、やっぱりおかしいよ」


「言われてみれば……」と雲璃は深く頷く。


 そこへ別の女子生徒がやってくる。彼女は買い出し班担当の折谷おりたにさん。今日は材料の搬入と運搬に徹していた。


「あたしも変だと思うんです」


「何が変だと思うの、折谷さん?」


「文化祭が始まってから五回、家庭科準備室からここまで運搬があったんです。全部あたしが担当したわけじゃないから何とも言えないんだけど、四回目と五回目の運搬の時に確認したら、明らかに在庫が減ってたらしいの」


「減ってた?」


 準備室から持ち込む食材の量は一定ではない。たとえば朝はまだ客足が遠いから少なめに、お昼時やティータイムは賑わうので多めに運搬する流れになっていた。


 折谷さんが言うには、それを考慮したとしても、明らかに材料の減り方が異常だったらしい。


「別のクラスが間違って持って行っちゃたのかな……?」


 確かに家庭科準備室には、飲食系の出店をするほぼ全てのクラスの材料が収納されている。テーブルや冷蔵庫も学年・クラス単位できっちりと分けられてはいるが、別に鍵がかかっているわけでもない、間違って運ばれた可能性も否定できない。


「あたし、買い物リストの食材ちゃんと買って来たよ? 品目も個数も間違ってないよ? 本当だよ? 信じて!」


「大丈夫だよ、折谷さん。折谷さんのこと疑ってる子なんかいないから」


 小柄な体格で瞳を揺らす折谷さんに雲璃が真摯に言う。


 折谷さんは少し天然な部分もあるが、こういう催し事の際にはきちんと役割を果たそうとする責任感のある子だということを皆知っている。


 じゃあ、どうして……?


 他クラスの搬入ミス? 純粋な思い違い?


 それとも……。


 時計の針は午後二時を告げようとしていた。折り返しを過ぎた文化祭に嫌な空気が忍び寄るティータイム前だった。

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