第60話 静かに祭りへのカウントダウンは始まる
「えっ?
午前中の授業がひと段落したところで雲璃のクラスを訪れると、入り口で応対してくれたクラスメートが彼女の不在を教えてくれた。欠席理由は風邪となっている。
軽く頭を下げて来た道を戻る。LIMEの履歴を見ても雲璃からの返信はなく、既読もついていない。こんなに会話が途絶えたのは初めてのことだ。
<体調、大丈夫?>
<お見舞いに行こっか?>
追加でメッセージを送る。風邪じゃないことなんて薄々気付いている。
なら、わたしにも相談してほしい、一人で抱え込まないで欲しい。わたしなんかじゃ荷が重すぎるかもしれないけど、それで雲璃の負担が少しでも軽くなるなら、過去の傷を一緒に背負わせてほしい。
わたしは雲璃を『信頼』したい。『信じたい』し『頼り』にしたい。でも、この思いは一方通行では意味を成さない。雲璃もわたしのことを『信じてほしい』し『頼りにして』ほしい。そうして初めて『信頼』関係が結ばれる。
虚しいのは、応答のないトーク画面が擬人的にわたしの気持ちを嘲笑しているように感じられたからだ。
焦燥に駆られながらも、惰性で午後の授業を過ごしていった。
***
翌日。
今日も授業は滞りなく終わり、放課後のチャイムが校内に響く。しかしそれは一日の終わりを告げるものではなく、むしろ、ここからが本番と言わんばかりの勢いで各教室、各フロアから賑やかな声が轟きはじめた。
まるで放課後のチャイムを境に世界が変わるように、今日もまた文化祭の準備が始まる。
ダンス練習に励む生徒、衣装を制作するグループ、買い出し組み……各々がそれぞれの仕事をする。
「
「あっ、はい。今行きます」
わたし達のクラスはリアル脱出ゲームを企画している。問題を解きながら出口を目指すあれだ。わたしはその問題作成係という大役を任されている。
準備は
「ふぅ……」
打ち合わせを終えて椅子に腰かける。少しでも隙間時間ができるとスマホを弄って雲璃からLIMEが届いてないか確認してしまう。
ちなみに雲璃は今日も欠席していて、一昨日と昨日送ったメッセージは依然として既読がつかないまま。
「…………雲璃」
トーク画面の名前を思わず口ずさむと、丸眼鏡をかけた女子生徒が声をかけてきた。クラスメートの竹坂さんである。
「雲り? 今日は晴れてるよ? 笹希さん」
「え!? あ、うん、そうだね……」
「はい、お疲れ様」
「ありがとう、竹坂さん」
竹坂さんは差し入れの緑茶を渡しながら、「なんだか楽しいね」と言ってわたしの隣に座った。
「私ね、小中の文化祭ってほとんど準備に加われなかったんだ。ピアノの稽古があって、放課後はすぐに帰らなきゃいけなかったの」
「竹坂さんピアノやってたんだ」
「もう辞めちゃったけどね。自分から始めたんじゃなくて、『小さい頃にピアノを習わせると将来頭良くなる』みたいな噂をお母さんが真に受けてね」
「英才教育みたいなもの?」
「そこまできちんとしたものじゃないけどね。でも、稽古がある日は放課後遊べなかったし、こういう学校行事の準備にもあまり参加できなかった。手伝いたいって気持ちはあるのに陰から応援することしかできなかった」
竹坂さんは缶のフタを開けると一口飲んで喉を潤した。
「クラスの子とも関係がぎくしゃくしちゃってね。ぁ、いじめとか喧嘩があったわけじゃないよ? いつも忙しそうに見えたんだろうね、放課後もあまり誘われなくなったし、文化祭シーズンに入っても仕事を振ってもらえなくなった」
竹坂さんの言うように、別に竹坂さんのことが嫌いで周りが距離を置いたのではないだろう。むしろ、優しかったクラスメートだからこそ、ピアノの練習に集中してほしかったんだと思う。
境遇は違うけど彼女の気持ちはなんとなく理解できた。
「わたしも自分から声を掛けるのが苦手だったから、文化祭とか体育祭は嫌だったなぁ。何を手伝えばいいか分からないし、周りも変に気を遣ってくれてる感じだった。あの空気好きじゃなかったな」
「うん、ものすごく共感できる」と竹坂さんは興奮気味に言った。
――でも、今年は違う。その台詞は言葉にしなくともお互いの表情を見れば一目瞭然だった。
「楽しみだね、文化祭!」
「そうだね」
眼鏡越しに綺麗な瞳を覗かせて微笑む竹坂さんはとても可愛らしかった。本当に”今この瞬間”を楽しんでいないとこんな笑顔は作れない。
「それにしても、あんな問題を考えるなんて笹希さんはやっぱりすごいよ」
「昔から本が好きだったから。昔読んだ推理小説とかの謎を参考にしてみたんだ」
「私も読書は好きだけど、問題を考えるのは別の脳のお仕事だよね~。やっぱり笹希さんは才能あるよ」
「そう言ってもらえて嬉しいな。子どもから大人まで楽しめるように難易度は工夫したつもりなんだ」
「たくさん遊びにきてくれるといいね!」
「うん!」
自分が作った問題をお客さんに解いてもらう。そう思うと背中が痒くて、足元がふわふわするようだった。緊張と期待が入り交ざる。
雲璃や雪原さんたち美術部も、自分の描いた作品をみんなに観てもらうという意味で、心境は同じなのかもしれない。
目の前の女の子のような楽しそうな顔をお客さんにもしてもらいたい――竹坂さんと話してて改めて思った。
***
金曜日。
今日も作業の合間を縫って雲璃の教室、次に美術室へ赴く。雲璃がいないことを知りつつも、体に染みついたルーティンを止められない。
「…………やっぱり今日もいないか……」
土日を除けば文化祭の準備に充てられる時間は一週間ほど。それなのに、クラス準備にも部活の作業にも顔を出していない。異常である。
みんなが一致団結する学校行事にはきちんと参画するし、絵を描くことが何よりも好きなことを、わたしは知っている。
だからこそ、この時期にその両方から姿を消している状況が異常なのである。
気付けば、雲璃とのトーク画面はわたしから連投されたメッセージでいっぱいになっていた。既読も返信もつかない不安に新しい不安を重ねていく悪循環。周りからしたら相当重い女かメンヘラ女子に見えるに違いない。
「そういえば前にもこんなことあったな……」
たった三ヶ月前の夏休み。雲璃はサイコパス的な勢いでわたしに執着していた。今のわたしはそこまではいかないけど、状況的にはかなり類似したものがある。
あの頃のわたしは雲璃が恐かった。彼女がわたしを奪うために
「雲璃に命狙われてる……なんて馬鹿なこと考えたときもあったなぁ。ふふ、本ばっかり読んでるからそんなこと考えちゃうんだよなぁ」
懐かしい記憶に思いを馳せていると廊下の真ん中で自然と足が止まった。
ビデオの巻き戻しみたいに自分の発言を遡っていく。
「…………命を…………狙う……?」
最初は小さな違和感だった。それは思考の力を借りて増幅する。足元から急激に体温が奪われるのが分かった。
「いや、……でも……そんなはず…………」
その思考は駄目だと理性が促す。しかし、それを無視して頭の中では最悪のシナリオが構築されていく。
――
――秘密が明るみに出れば、わたしと雲璃は離ればなれになってしまう。
――雲璃はきっと、わたしと一緒にいる未来を第一に考える。
――あの三人がいなくなれば、秘密は永久に守られる。
だとしたら……、雲璃の取り得る行動は――。
ぞっとする。あらゆる内臓の機能を停止させるような寒さが体中を巡る。まだ十月下旬なのに、本格的な冬が到来したかのような凍える冷たさを覚えた。
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