第59話 待っていてくれる人
帰り道は特に会話はなかった。わたしと雲璃は無言のまま歩いて、分かれ道にさしかかったときに「またね」とだけ残して別れた。
数メートル歩いて最後に振り向いた。雲璃はわたしの方を振り返らずにそのまま行ってしまった。
夕飯も喉を通らず、家族とした会話すらもう思い出せない。わたしはベッドに横になって溜息をつく。
「神様って意地悪だよね……
晴夏の死を忘れたわけではない。忘れられるはずもない。でも、前に進もうとする罪を見逃そうともしてくれない。
雷花達は間違いなく雲璃の過去を確信している。そして、遠からずその推測は当たっているのだ。
「……最悪のパターンかも」
雷花の父親は警察官である。警視階級だったか、キャリアを積んだベテランの役職である。非常に正義感の強い人だと聞く。反面、娘は言動が荒く正義心の欠片もない。それで父親とはよく口論になったらしい。
けれど、彼女は妙に勘が鋭い一面もあり、物事の隠された部分を見つけ出す能力に長けていた。そこは父親の血を引いているのかもしれない。
そして
親がそういう特殊な職業に就いていれば学校でもなにかと話題になる。雷花達のグループがカースト上位に君臨していたのも、もしかしたらそういう認知の経緯があったのかもしれない。クラスメートの親が警察やら報道の仕事をしていると言われたら、たとえ自分に関係がなくても自然と身が締まるからだ。
きっと雲璃もそのことを知っている。だから余計に恐怖に駆られた。あの日の真実が白日の下に晒されるかもしれないと考えたからだ。
「一番知られたくない奴らに勘づかれちゃったな……」
片手を額にのせて天井を仰ぐ。
「雲璃…………」
雲璃の声が聞きたい。雲璃の顔が見たい。別れて数時間しか経ってないのに、彼女がいない空白の時間が彼女のことで埋め尽くされていく。
でも、今のわたしに何ができる? なんて声をかけたらいい?
無力を痛感したまま瞼は自然と重くなっていった。
***
「
「……?」
雪原さんがわたしの顔を下から覗き込んでいた。我に返って、雪原さんと中庭でお昼ご飯を食べていたことを思い出す。
「大丈夫? 笹希さん」
「う、うん、ちょっと考え事してて」
「まぁ私みたいな可愛い子とランチしてたら、そりゃ上の空になっちゃうのは分からなくもないけど」
「…………」
「ちょっと、そこは否定するなり、ツッコんでよ」
「…………」
「笹希さーーーん!」
なんだろう。べつに悲しいとか、気落ちしているとかじゃない。細い棘が心に刺さっているチクチクしてる感じ。その棘は微量の毒を持っていて、静かにわたしの体を侵食していく。
雪原さんと食べる楽しいはずのランチも、その一口一口が無機質なものに感じられた。わたしの異変を察知したのか雪原さんは話題を変えた。
「そういえばバイトの方はどう? もう慣れた?」
「うん。お店の人もお客さんも優しい人ばかりで、なんとかやっていけそうかな」
雪原さんにはバイト探しの時にお世話になった。あの恥ずかしいメイド服姿を見られたくないし、雲璃が一緒に働いていることも伏せておきたいので、詳細は伝えてないけど、とりあえずカフェに務めることになったという報告だけ済ませておいた。
「喫茶店っていえば、雪原さんのクラス出店もカフェだったよね?」
「そっ! マーメイド喫茶だよん」
「メニューは?」
「紅茶とパンケーキ!」
「あっパンケーキおいしそう」
「今のご時世、一番インスタ映えして、いいねがもらえるのはパンケーキだからね。可愛い人魚コスチュームとのコンボでもう覇権よ」
ちなみに文化祭は一般開放される。近隣の住人、他学校の生徒なども来場する。雪原さんによれば、小さい子ども達も遊びに来ることを考慮して、コーヒーではなく紅茶を選んだ経緯があるらしい。
しばらく文化祭準備の進捗具合などについて他愛もない話を交わした。でも心の棘は一向に抜けない。わたしのお弁当の減り具合が遅いのを見て雪原さんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「笹希さん、なにかあった?」
「ちょっと心の整理が必要で……」
「相談に乗ろうか?」
「ごめん」
「そっか……」
「あっ、誤解しないでね? 雪原さんのこと信頼してないとかじゃないからね。ただ、わたし一人の問題じゃないし、少し時間が必要というか」
雪原さんの優しさを断るのは心苦しい。しかし、今の状況を相談するとなると、雲璃の過去にも触れなければいけない。いくら雪原さんでもそれはできない。彼女の優しさが余計に辛い。
わたしの複雑な表情を見て雪原さんは良く晴れた秋の空を見上げながら口を開いた。
「私ね、美術部では人物画を専攻してるの。今までたくさんの人の表情を見てきた。じっくりと、色んな角度から。人の心ってねある程度は顔に出るの。でもね、あくまでもある程度……なんだよ」
雪原さんは言葉を継ぐ。
「人の気持ちなんて言葉にしなきゃ分からない。人物画だって『見たまま』を描いてそうだけど、作者の
――人の気持ちは言葉にしなきゃ分からない。
そんな当たり前のことが、経験則に裏打ちされた重みのある言葉に聞こえた。
「笹希さんが話したくなければ無理には聞かない。話したくなったら相談してくれればいい。私は笹希さんのことを待ってるから」
優しい表情を維持しながらも、その言葉には確かな芯が宿る。
「前にも言ったよね。ちゃんとお話して、醜い部分を見せ合って初めて本当の友達になれるって。でも急かすのは違う。相手が話したくなるまで待つ、それで、ちゃんと言葉にしてくれたら真摯に聞いてあげる。それが友達だと思う。だから、笹希さんが話したくなるまで、私待ってるから」
その言葉に少しだけ心の棘が抜かれた気がした。
雪原さんとは夏休みに喧嘩してしまったけど、その時も彼女の人柄に助けられた。我がままなわたしをずっと待っていてくれている。
「ありがとう、雪原さん。ごめんね、わたしみたいのが友達で。雪原さん、素敵な友達いっぱいいるのに、その中にわたしなんかが混ざっちゃってごめん」
「なによーその言い方! 笹希さんと友達になれてよかったに決まってるじゃん」
「……そういうところだよ、雪原さん」
落ち葉を散らすような秋風が髪を揺らしていった。
***
夜の自室に戻ったわたしはスマホを取り出した。手慣れた操作でLIMEのアイコンから雲璃のトーク画面を選ぶ。
<こんばんは>
<今日学校お休みだったね>
<風邪でも引いた? 最近寒いからね~>
<笹希雨愛がスタンプを送信しました>
当たり障りのない文面を送る。雲璃は今日学校を休んだので、これが今日一日の最初で最後の会話になる。
雲璃は昨日の一件で落ち込んでいる。そして恐れている。わたしだって雷花たちが恐い。
でも、雲璃の側にいるっておばあちゃんと約束したのだ。大口を叩いておいて具体的な励ましができない自分が情けなくなる。
わたしにもっと雷花と立ち向かう勇気があれば、雲璃にあんな沈んだ表情をさせなくて済んだのではないかという後悔が残る。
このまま傷口に触れない会話を続けるのが正解なのか。もし雲璃の方から昨日の話を持ち出してきたらどう返すのが正解なのか。わたしの態度次第で行く末を明るくも暗くもできるだろう。
「どういう風に接してあげるのがいいんだろう……」
答えの出ない問いが泥の海で泳ぐ。
「既読つかないな……。雲璃って今日シフトだっけ?」
仮にシフトが入っていたとしても既に午後十一時。とっくに家に帰って落ち着いている時刻だ。もしかしたらもう寝ているかもしれない。
時計を確認したらほどよく睡魔が襲って来た。部屋の灯りを落としてミュートにしたテレビの液晶画面をぼんやりと眺めながら意識をフェードアウトさせていった。
結局、その日は雲璃から返信がくることはなかった。
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