Episode7 晴れのち雨、時々雲り
第61話 日陰から見る庭
その二人組の女の子はいつも一緒に来ていた。
一人は内気で、恥ずかしがりやな女の子。もう一人は明るく、向日葵のような笑顔を咲かせる女の子。二人はいつも一緒で、よく私の家に訪れていた。私の家が駄菓子屋だからだ。
内気な方の女の子とは面識があった。名前はまだ知らなかったけど、同じ学校でお話したことだってある。だから彼女が初めて遊びに来たときは驚いたし嬉しかった。でも、その隣にいる向日葵の子と一緒に戯れる様子がとても親し気だったので、声をかけるのを遠慮してしまったのだ。
いや、”遠慮した”なんてかっこいいものじゃない。ただ声をかける勇気が持てなかったのだ。
今日も学校が終わって放課後――学校から直帰してランドセルを置き、祖母が用意してくれていたお菓子を食べて一息ついていると、やがて同年代の子たちの声で溢れるようになる。
まだかな……? まだかな……? 心がそわそわする。今日も遊びに来てくれるかなって考えてしまう。
…………ぁ。
私の気持ちに応えてくれるように、今日もあの子たちは遊びに来てくれた。向日葵の女の子が内気な女の子の手を引いて。
私には仲の良い友達がいなかった。
いつも店の奥から二人を眺めていた。テレビを観るような感覚で眺めているだけでよかった。テレビの番組を見て面白いなーと思っても、実際に自分がその映像の中に入りたいとは思わないでしょ?
そんなある日。
今日も遊びに来てくれた彼女達をいつも通り遠目から見守っていた私は、ふいにランドセルから画用紙とペンケースを取り出す。何気なく手にした紙と鉛筆。それを握る手は自然と彼女たち二人を描き始めていた。
明るく無垢な方を描いてるとその活力がこちらに伝染してくるみたいだった。恥ずかしがり屋な方はなんだか私に似ていると感じた。
夜に降る雨のような表情に、向日葵のような笑顔の二人組。いつしか私は雨ちゃんと向日葵ちゃんと心の中で呼ぶようになっていた。
***
今日は雨ちゃんと向日葵ちゃんは遊びに来なかった。別にお店なんだから毎日来る必要なんてない。彼女達にもお小遣いがあるだろう。毎回来ていてたらそのささやかな財産が破綻してしまう。
そんなこと分かってるのに、放課後にあの顔を見れないだけで、とても寂しく感じた。
次の日。
今日はいつもより授業がひとつ多くて帰りの会が遅くなった。だから来ないと思ったけど、私の予想に反して、二人は遊びに来てくれた。ただそれだけのことで、心の温度が高くなった。
雨ちゃんと向日葵ちゃんが遊びに来るたびに、二人の絵をこっそり描いていた。一枚が二枚、二枚が五枚……十枚、二十枚……その数はどんどん増えていった。
――”くーちゃん”も交ざって遊んできたら?
ある日、祖母が優しくそう言った。
私は素っ気なく「いいよ」と返事すると、祖母は特に理由を訊ねることもなく、「そうかい……」と呟くだけだった。
それからも何回か私があの輪の中に入れるように計らってくれたけど、私はその心遣いをことごとく無下にした。
声をかける勇気が出なかったのもある。それ以上に、あの二人が一緒にいる構図がなんだか一枚の完成された絵の様で、私なんかが土足で踏み入ったらその芸術品に泥を塗ってしまうのではないかと思ったのだ。
私は祖母の気遣いが嫌だったし、断って祖母の寂しそうな顔を見るのが嫌だったし、断ることしかできない弱い自分が嫌だった。
そんな私の心中を察したのだろう。祖母はそのうち何も言わなくなった。
私は私で変わらず絵を描き続けた。二人の少女の絵を。
両親が亡くなってから、私はお父さんとお母さんの絵ばかり描いていた。
それは解けた靴紐を何度も結び直すような感覚。しかしどんなに描いても、そのスニーカーを履いて広い草原を走り回るような満足感を与えてはくれなかった。
亡くなった両親を描き続ける娘。それを祖母も快くは思っていなかっただろう。決して埋まらない心の溝を、決して埋められない方法で、時間だけを徒に延長させていることに私も内心で気付いていた。
でも、雨ちゃんと向日葵ちゃんを知ってからは変わった。
たとえ、あの輪に入れなくても、二人を描いているだけでこんなにも心が安らぐ。
いなくなってしまった両親。
雨ちゃんと向日葵ちゃん。
私の手が届かないのは同じはずなのに、なぜか色彩が異なった。
やがて、二人の名前を知る。
――内気で心優しい少女、
――向日葵の笑顔が素敵な少女、
大好きだよ、雨愛。居場所を託してくれて有り難う、南橋さん。
二人のために私が居場所を守るんだ。
***
――雲璃は口封じの目的で
音信不通の状況から、不吉な予感が現実味を帯びてきた。だとしたら時間がない。わたしは居ても立っても居られず雲璃の家である『あがさ商店』に出向くことにした。
「おじゃましまーす……」
小声で扉を開けると決して清潔とはいえない店内がわたしを出迎えた。
豊富な駄菓子に、埃っぽさが混じった古めかしい匂い。十年前から何も変わらない『あがさ商店』がそこにはあった。
店に入ったはいいけど誰も現れない。
「あのーーー! すみませーーーん」
改めて声を大きくしても、やはり人が出てくる様子はない。
「雲璃ーーーッ! おばあちゃーん!」
呼べど呼べどその華奢な声はレトロな店内を木霊するのみ。
「ごめんなさい! 勝手にお邪魔します!」
靴を脱いで店の奥に入る。知り合いの店だからまだいいものを、商い所に無断で踏み入るという意味では普通に不法侵入である。しかし、それを気にしている余裕もない。
足音が軋む廊下を進むと、この前三人で談笑した居間に当たる。そこにはまだ夕刻だというのに一枚の布団が敷かれて、一人の老婆が仰向けで寝ていた。
「……おばあちゃん」
わたしが居間に足を踏み入れると同時におばあちゃんが目をそっと開けて顔をゆっくりとこちらに向けた。
「おや、……あめちゃん。いらっしゃい」
「起こしちゃってごめん。どうしたの!? 具合悪いの?」
「うぅん……風邪かねぇ。寒くなってきたからねぇ」
顔の皺はいつもより深く刻み込まれている様にも見えた。血色もよくなく、体調不良というよりもやつれている様に感じる。
「ごめんねぇせっかく来てくれたのに……お菓子売れなくて……」
「おばあちゃん、わたしもう子どもじゃないんだよ。駄菓子ばっかり食べないって」
「ぃっひっひ。そうだねぇ。あめちゃんはもう子どもじゃないもんねぇ……」
「いいよ、そのまま寝てて」
弱々しい声を発しながら無理に体勢を起こそうとするおばあちゃんをそっと寝かせた。
「雲璃はいないの?」
「ふぇ? 部活かお仕事じゃないんかえ?」
「ううん、居ないならいいの」
家にも不在だった。おばあちゃんにも行く先を知らせてない。実の祖母がこんな状態なのに……。
「おばあちゃん、ちょっとお台所借りるね」
制服の袖を巻くって調理を始める。出来上がった料理をお盆に載せておばあちゃんのもとへ運ぶ。
「少しだけ起きられる?」
一度体を横に倒し、肩に手を回しておばあちゃんをゆっくり起こした。
「お粥なんだけど食べられる?」
「まぁまぁ。あめちゃんが作ってくれたのかい? ありがとうねぇ」
介助が必要かなと思ったけど食事自体は自分でできるみたいで、水分が染み込んだお米をスプーンで掬って乾ききった口元へ運び、時間をかけて咀嚼した。
「うん……とってもおいしいよぉ、あめちゃん」
「本当!? わたし料理下手だし、こういう病人食も初めて作るから、マズかったら残していいからね?」
「そんなもったいないことしないよぉ。柔らかくて、味付けもちょっどいいよ」
その笑顔に胸を撫で下ろす。茶碗の半分くらい食べたところで静かにスプーンを置いてわたしに向き直った。
「ごめんねぇ。せっかく来てくれたのに、もてなしのひとつもできないどころか、ご飯までご馳走になっちゃって。雲璃も留守みだしねぇ」
「いいの。突然お邪魔したのはこっちなんだから」
気丈に振る舞いながらも、祖母の体調が良くないと雲璃が以前に話していたのを思い出していた。
「雲璃はいいお友達を持ったよぉ」
おばあちゃんは笑顔を作って言葉を継いだ。
「これからも雲璃と友達でいてくれるかい?」
「前にも言った通りだよ。雲璃はわたしの大切な友達だから、これからもそばにいるし、そばにいたい。だから……心配しないで」
それを聞いたおばあちゃんは大きな鳥の羽で包まれるような幸せそうな表情をした。
「ありがとうね、あめちゃん。やっと、……やっと、叶ったんだねぇ」
その言葉の意味はよく分からなかったけど、おばあちゃんの笑みは幸せに満ちていて、血色もさっきまでと比べて随分と良くなったように見受けられた。
そして、
優しい微笑みの中に真剣な面持ちを宿した。
「あめちゃんに話しておきたいことがあるんじゃ……」とおばあちゃんは前置きした。何か大事な話があると察したわたしは背筋を伸ばして正座し直した。
おばあちゃんは皺だらけの右手で左手を擦りながら語りだす。まるで、視線を落とした手の先に過去を映す鏡があるように口を開いた。
「雲璃がまだ小さい頃にね、あの子の両親は交通事故で亡くなったんさ」
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