第75話 乙女の恥じらい

「お待たせいたしました。紅茶とパンケーキのセットでございます」


 透き通る声の方を向くと、注文の品をトレーに載せた雲璃くもりが綺麗な姿勢で立っていた。わたしと雪原さんも姿勢を正すと、雲璃の白く整った手によってティーセットがテーブルに置かれていく。


 音を立てずに置かれたティーカップからはダージリンの華やかな香りがテーブル上空いっぱいに広がる。


 その横に置かれたパンケーキは厚みのある生地ながら触れただけで溶けてしまいそうなふわふわな見た目。ホイップクリームとベリーソースが添えられていて、その上から粉砂糖が雪景色のように降りかけられている。


「わぁ! すごくおいしそう」

「クラスメートのお父さんが洋菓子店の勤務でね。レシピを参考にさせてもらったんだ」


 わたしが感嘆の声を漏らすと、目の前に座る雪原さんが自慢気に言った。


 ”レシピを参考にした”と雪原さんは言ったけど、話を聞いただけでその味を再現できれば苦労はない。本格的な調理環境なしでお店顔負けのメニューが出せているんだから大したものだ。


 人魚のコスプレが印象的な模擬店だけど、きちんと味でも勝負できている。


「それではごゆっくりどうぞ」と残して雲璃がその場から去ろうとすると、

「そんな畏まらなくていいのに」と雪原さんが呼び止めた。


「クラスメートといってもお客さんだからね。公私混同はよくないよ」

「私は気にしないのに。しっかりしてるな~葵ヶ咲あおがさきさんは」


 雲璃と雪原さんが言葉を交わす間も、わたしは可愛いマリンの制服を身にまとった雲璃をチラチラと見てしまっていた。

 それに気づいた雪原さんが口角を吊り上げて言った。


「そういえば、葵ヶ咲さんの衣装姿めっちゃ可愛いって、さっき笹希ささきさんが褒めてたよ」

「んなぁ!? ちょっと、雪原さん!」


 慌てるわたしを目の前の小悪魔女が半目でニヤニヤと笑い返す。


「私も、他のウエイトレス役の子だって同じ服装してるのにさ、笹希さんってば、さっきから葵ヶ咲さんのことしか見てないんだもん。さすがに嫉妬しちゃうよね」


 本当にこの子はいちいち言わなくていいことを……。


 照れ交りに恐る恐る雲璃を見ると、わたしよりも恥じらいの表情を浮かべていたのは彼女の方だった。


「ほ、本当? 雨愛あめ


 雲璃がトレーを胸元にぎゅっと抱いて、頬を桜色に染めながら上目遣いでわたしの反応を窺う。丁寧な口調も崩れて、太ももをモジモジさせている。


「いや、確かに言ったけど、その……」


 恥ずかしさから前髪をつまんで目を泳がせるわたしを見て、雲璃が唇をきゅっと結んで赤面する。こんなに恥ずかしがる雲璃を見れるのは、ある意味レアかもしれない。


 そんな甘酸っぱい沈黙の時間を切り上げたのは雪原さんだった。


「あーはいはい。もうお腹いっぱいですわー。まだパンケーキ食べてないのに胸焼けしそうですわー。ごちそうさま、ごちそうさま! いや、パンケーキは食べるけどね」


「ご、ごゆっくり……」


 モジモジしていた雲璃が体を反転させると、涼やかな人魚衣装をはためかせてバックヤードに行ってしまった。

 

「もうっ! いちいち言わなくもいいじゃない! 雪原さん!」

「にひひ、ごめんごめん。二人の距離がめっちゃいい感じに見えたからさ」


 雪原さんがミルクキャンディーのパッケージに描かれた女の子のように舌をペロッと出して悪びれる。


「てかさ、あなた達どんだけラブラブなのよ」


「ラブラブなんて……、付き合い始めたのだってつい先日だし……。自分の気持ちに気付いたのだって最近だし……」


「甘酸っぱい! 甘酸っぺぇなぁ~~~笹希さん! まるでこのパンケーキとベリーみたい。いいよ……いいねいいね! まだ開花したばかりの乙女達が紡ぐ恋の季節……! いいよ~~~笹希さんッ!」


 雪原さんが一人で盛り上がる。


「私ね、アニメはアイドル系と冒険ファンタジーが特に好きなんだけど、女の子同士のそういう趣向もイケる口だから。ハァハァ……。いや、次のコンテストの作品、これで勝負してもいいかもしれない。ね、笹希さん。次に描く美術作品のモデルになってくれない? もちろん葵ヶ咲さんも一緒にね!」


「お断りします!」


「なんで~~~っ!? あっ! 見世物じゃないと?! 二人の恋は秘密の花園でゆっくり育てたいと!? くぅ~~~っ! 蕩ける! 蕩けるよ、笹希さん! まさにこのパンケーキに添えられたホイップクリームのように!」


 一人で火がついて、勝手に暴走を始めた雪原さんを尻目に、わたしは軽い溜め息をひとつ吐いてパンケーキにナイフを入れた。


 カットした感覚さえ無いフワフワなパンケーキの一片にホイップクリームを贅沢に乗せて口に運ぶ。甘さを前面に押し出す感じではなく、脳で感じる甘さという感じ。


 柔らかい味が口の中に広がるけど甘さが舌に残らない。二口、三口とフォークとナイフを動かす手が止まらない。トッピングのベリーソースの酸味が味に変化をつけてくれるのも楽しい。


 控えめに言わずとも凄くおいしい。


 そんなパンケーキに舌鼓を打ちながら、雪原さんと会話を続ける。話題の中心はやっぱりわたと雲璃についてだった。


 純粋にわたし達の馴れ初め話を期待している一方で、それを材料にして次の作品に活かそうとする”クリエイターとしての顔”を時々覗かせていた。


 結局、好奇心に駆られた雪原さんから質問責めされる状況が最後まで続いた。


 終始からかいの手を休めなかった雪原さんだが、最後だけはフォークとナイフを持つ手を一旦止めて、優しい口調でこう言った。


「葵ヶ咲さんと仲良くなれて良かったね、笹希さん」


 パンケーキが片付いたテーブルの上には紅茶の優しい香りが漂っていた。



***



 ――ありがとうございました。


 パンケーキセットを堪能したわたし達は受付の明るい笑顔に見送られて教室を後にした。


「なんか興奮しちゃってごめんね? アニメとか創作のことになるとつい歯止めが効かなくなっちゃって、てへへ」


「まぁ、雪原さんのクリエイター魂は垣間見えた気がするよ」


「そういう意味では、文化祭は創作の祭典だからね。たくさん見て回らなきゃ。まだ正午を過ぎた辺りだけど、笹希さんはこれからどうするの?」


「一度クラスに戻ろうと思う。評判とか何か問題が起こってないかとか確認しておきたいし」


「そっか。私は部活メンバーと午後からの演劇見る約束してるんだ。じゃあ、ここら辺でお別れだね」


「うん。パンケーキおいしかったよ、ご馳走様」


「笹希さんの考えた脱出ゲームも楽しかったよ。あっ、時間あったら美術室にも足運んでね。私の絵も展示されてるから」


「ありがとう。それは絶対に行く」


「にひひ。の作品もあるからでしょ?」

「もうっ! からかうのやめて、雪原さん!」


 最後まで茶化す雪原さんと手を振って別れる。その足で自クラスに戻ろうとした瞬間、背後から透き通った声が耳朶を打った。


「雨愛…………」

「雲璃!」


 ミディアムショートの黒髪に澄んだ碧眼。現実離れした美しさを魅せる人魚コスプレに身を包んだ雲璃がいた。


「来てくれてありがとう」

「こちらこそ。パンケーキおいしかったよ」

「本当? よかった。雨愛の分は私が焼いたやつなの」


 胸を撫で下ろして安堵する雲璃を見てわたしも嬉しくなる。


「雨愛はこれからどうするの?」

「いろいろ見て回ろうと思ってる」

「それなら一緒に見て回らない? もうすぐ私もシフト終わりだからさ」

「もちろん。わたしも雲璃と文化祭回りたいと思ってたんだ」

「どうだか。私をほったらかして、雪原と楽しんでたじゃない」

「もしかして雲璃、嫉妬してる? わたしが他の女の子と一緒に居て」

「べつに………………」


 雲璃は艶のある横髪を弄りながら不満気に視線を斜め下に逸らした。半分冗談のつもりで言ったのに、雲璃のそれっぽい態度に体がむず痒くなる。


「雪原さんはうちのクラスに遊び来てくれて、その流れでこっちにも足を運ぼうかってなっただけだよ。それに……」


「それに、何?」


「その衣装すごく可愛いよ。さっきは雪原さんが居たから面と向かって言えなかったけど。わたしの中では雲璃が一番かわいいから」


 偽りのない言葉を並べると、雲璃は耳まで真っ赤にして、誤魔化すようにさらさらと揺れる横髪をかき上げた。


「も、もう! おだてれば何でも許すと思ってるんでしょ、雨愛は」

「実際そうでしょ?」

「うぅ……」


 反論できずに唇をきゅっと結ぶ雲璃。いつもは立場が逆なだけに、雲璃に対して優越ポジションをとれるのが気持ちいい。


「でも、可愛いと思ったのは本当だから。それに雲璃と一緒に回りたいと思ってたのもね。シフトが終わるまでここで待ってるよ」


「調子いいんだから、ふふっ。その代わり、雨愛の残りの時間、全部私がもらうから。雨愛の時間は私が独占するから」


……でいいの?」


「ううん…………よくない」


 小指同士をそっと絡め、すぐにほどいてその場を後にした。

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