第74話 延長した答えの結末

「ほら、笹希ささきさん! はやく、は~や~く~ぅ!」

「ま、まってよ、雪原さん……っ」


 雪原さんに急かされて彼女のクラスに向かう。到着すると、部屋三つくらいまたぐ行列が既に完成されていた。


 わたしのクラスもお客さんを捌くのが大変なくらいの賑わいだったけど、それに引けを取らない。文化祭における喫茶店は定番ながらやはり強い。


「おっつ~まいちん」

「ゆっきーおっつ~」

「大盛況だね~」

「あんたがそのコスプレで出歩いているからね。いやでも宣伝になってるんでしょ」


 雪原さんが案内係と思われるクラスメートの子と挨拶を交わし、わたし達も最後尾に並ぶことにする。この距離でもパンケーキの甘い匂いが漂ってくる。


 ああ、どうしてパンケーキとかクレープの生地を焼く香りってこうも女の子のハートを鷲掴みにするんだろう。


「うちのパンケーキマジでおいしんだから。もうふわっふわなんだから! プロが作ってるみたいなんだから。先に謝っとくよ、笹希さん。うちの食べたら、もう他所よそのパンケーキ食べられないからね~にひひ」


「ハードル上げていくなぁ。でも、この繁盛っぷりを見れば納得だよ」


 さっきの案内係の子も言ってたけど、雪原さんが喫茶店の衣装で校内を歩いているのが客寄せに貢献しているんだろう。けれど、いくら宣伝しても肝心の味が微妙では意味が無い。

 メニューと接客のクオリティが宣伝の期待を裏切っていないことを如実に物語っている。


 雪原さんと雑談しながら列が少しずつ動くのを待つ。


 甘い香りが空腹を刺激し、待ち時間も長く感じられる中、ようやくわたし達が入店する番になった。


 ――いらっしゃいませ! マーメイド喫茶へようこそ!!


 入口の女の子が挨拶すると、他のウエイトレスさんも「いらっしゃいませ」と復唱してくれた。もちろん全員、雪原さんと同じコスプレを纏っている。

 水兵さんっぽいデザインの制服に、煌びやかな鱗が目を引く人魚の尾。教室内も海の中をイメージした飾り付けになっていて、まるで竜宮城に来た気分になる。


 こういうコスプレ喫茶を訪れた経験がないので若干緊張する。教室の中央テーブルに案内されて、強張った体のまま椅子に座った。


「にひひ、特等席だね。みんな可愛くて眼福でしょ? あっ、でもジロジロ見たらセクハラだからね! おさわりも禁止」


「しないからっ! もぅ、すぐそうやってからかう」


 にひひ、と雪原さんは両手で頬杖をつきながら眩しい笑みをこちらに向ける。


「もしかして、あの衣装のデザイン、雪原さんがしたとか?」


「よく分かったね! その通りだよ! 制作自体は衣装班がやるんだけど、原案のラフは私が描いたんだ」


「あれもアニメかなんかの影響?」


「うん。コバステの衣装を参考にしたの」


 『コバルトステージ』――通称、コバステ。倒産寸前の事務所に所属する男性ユニットを育成して人気アイドルに押し上げる、女子の間で話題沸騰のコンテンツだ。もとはソシャゲらしく、今季にアニメ化されたと雪原さんから教えてもらった。


 雪原久美ゆきはらくみさんは美術部に所属するアニメオタクだ。アニメから得たインスピレーションを部活の作中に活かすこともよくあるという。


 そんな他愛ない話をしていると一人の女子生徒がオーダーを取りに来てくれた。


「いらっしゃいませ。ご注文は何に……ぁ……」


 わたしは顔をゆっくり持ち上げ、そのまま視線が彼女に固定された。


 肩の辺りで綺麗に切り揃えられた軽やかな黒髪。透き通る碧眼。ウエイトレスのお手本のようなすらっとした佇まい。落ち着いた口調でこちらの注文を伺う、その女の子は、


雲璃くもり……」


 可憐な衣装に身を包んだ彼女に、わたしは言葉を忘れてしまい、声を振り絞って名前を呟くのがやっとだった。


「あたしパンケーキと紅茶で!」


 雪原さんは元気に手を上げてハキハキと注文した。


「かしこまりました。雨愛あめ……こほん、……お連れのお客様はいかがなさいますか?」


「……………………」


「お~い、笹希さーん?」


「…………はっ!」


 目の前で手を振る雪原さんに呼び戻されて我に返る。雲璃の人魚コスプレ姿を見たまま意識が遠くの世界に行っていた。


「ぁ……えっと、わたしも……同じものを……」

「かしこまりました、パンケーキと紅茶のセットをお二つですね。少々お待ちくださいませ」


 雲璃は綺麗な所作で礼をすると、ふわりと衣装をなびかせてバックヤードに去っていった。


「んん~~~? 笹希さん、どうしたのかな~?」

「いや……べつに……」


 まだ呆然と口を動かすわたしに雪原さんがニヤニヤしながら見つめてくる。ちょんちょんと軽く手招きしてきたので顔を近づけると、雪原さんは耳打ちするような姿勢でこう囁いた。


葵ヶ咲あおがさきさんに見惚れちゃった?」

「ばっ……! そ、そんなことないよ?」

「ホント分かりやすいよね笹希さんって」


 まるで魔法か金縛りにもあったようにわたしの目は釘付けになってしまった。顔を赤らめながら目を泳がせていると、出来上がった料理を配膳している雲璃の姿を視界の隅に捉えた。


「笹希さん、葵ヶ咲あおがさきさんのこと見過ぎ」

「え、いや、そんなこと……」

「つーん。あたしだって同じ衣装着てるんだよ? なのに笹希さんはあたしのこと見てくれないんだ? つーん」


 口を尖らせてあざとい不機嫌アピールをする雪原さん。彼女には悪いが図星だった。


 雪原さんも他の子も、みんな同じ制服を纏っているのに、わたしは雲璃だけを目で追ってしまう。


 バイト先のメイド服姿も魅力的だけど、こういう可愛さを前面に押し出した制服もよく似合う。洗練された所作はバイト先で培った賜物。他のクラスメートの子は良い意味で初々しい接客をしているのに対して、雲璃の接客術は別次元に感じられた。


 ふと、雪原さんが料理を運ぶ雲璃に優しい眼差しを向けながら言った。


「葵ヶ咲さん、最近変わったんだよね」

「どんな風に?」

「なんか表情が柔らかくなったっていうか、前よりも話かけやすくなった感じ?」


 雲璃は学校で浮き気味だと、前に雪原さんは言っていた。クラスも部活も同じで一緒にいる時間が長い分、雲璃の変化にも気付きやすいのだろう。


「笹希さんはさ、最近、葵ヶ咲さんとは……どうなのかな?」


 わたしの反応を窺うように雪原さんは尋ねた。その質問の意図をわたしは瞬時に理解する。


 夏休みの時、わたしの雲璃への感情は今のものとは全く違っていた。わたしの勘違いから雲璃には負の感情を持ち、彼女の素性を探るために雪原さんを利用した。


 わたしの勘違いが、雪原さんとのすれ違いを生んでしまったけど、今は関係も修復されて、雲璃を除けば雪原さんは一番仲の良い友達だ。


 他愛もない話から悩みの相談まで雪原さんとは何でも話せる仲になったけど、唯一雲璃の話題に関してだけはタブーというか、お互いに避けてきた節がある。


 わたしはいつか雲璃との関係性をきちんと説明すると、雪原さんと約束した。もう逃げてはいけない。だから、今が文化祭ということも忘れるくらいに、真剣な表情で彼女と向き合った。


「雪原さん。前に、わたしが雲璃……葵ヶ咲さんのこと好きなのかって訊いたでしょ?」


 雪原さんが小さく頷いたのでわたしも続ける。


「あの時は違ったの。好きとは真逆の感情だった。嘘じゃないよ」

「うん。笹希さんの言葉が嘘じゃないってことくらい分かるよ」

「でも、色々あった。色々悩んで、色々考えた。それで、わたしの気持ちも変わった」


 わたしの言わんとしていることを悟ったのだろう。雪原さんはテーブルから肘を離して、行儀よく姿勢を正した。


「うん……笹希さんの口から直接聞きたい。……聞かせて」


 周りが賑やかな会話を広げ、皿とフォークが小気味のいい音を奏でる中、中央テーブルに座るわたし達はその場に似つかわしくない真剣な面持ちを浮かべる。


 でも決して張り詰めた雰囲気ではない。雪原さんは穏やかな表情を保ちながらわたしの言葉を待ってくれている。


 彼女の心遣いを無下にしないよう、わたしは想いを告げる。

 ずっと引き延ばしにしてきた、自分の素直な想いを。


「わたしは、雲璃のことが好き」


 周りの人に聞かれたかもしれないと一瞬不安になったけど、室内は依然として楽しい会話を続けており、胸を撫で下ろす。


 愉快な喧騒が遠く聞こえる。まるでわたし達だけが切り取られた空間にいるみたい。


 雪原さんは無言のままわたしの瞳を観察し、たっぷりの沈黙を貫いて口を開いた。


「二人は付き合ってるの?」

「うん」


 迷わず答える。


「そっか。そうなんだね。……」


 雪原さんは少し視線を落としてぼそっと呟くと、再び顔を上げた時にはいつもの屈託のない笑顔に戻っていた。


「おめでとう、笹希さん」


「話すのが遅くなってごめん」


「気にしないで。笹希さんが倒れたとき、私が病院で言ったこと覚えてる?」


 ――綺麗事を並べ合う関係じゃない。喧嘩したり、お互いの醜い部分を見せ合って、認め合って、初めて本当の友達になれる――私はそう思っているの。


 忘れるわけがない。あの言葉があったから、雪原さんとはこんなに仲良くなれたんだ。


「そして、笹希さんは自分の本当の気持ちを教えてくれた。そんなの嬉しいに決まってるじゃん」


「雪原さん……」


 今が文化祭ということも忘れて涙が零れそうになる。

 言えてよかった。雪原さんと友達になれて本当によかった。心から思う。


「大切な友達が見つけた恋だもん。応援しない理由ないでしょ!」


 いつもは冗談交じりにからかう雪原さんだけど、嘘偽りない純粋な気持ちを向けてくれた。それが本当に嬉しくて、我慢してたのに結局少しだけ目尻に涙を浮かべてしまった。

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