第72話 未来の約束

 スマホの時刻を確認すると、ちょうど日付が変わった午前零時。真っ暗な海を目の前にして、わたし達は十一月一日を迎えた。


「お誕生日おめでとう、雲璃くもり


「知ってたんだ、私の誕生日」


「うん……。偶然、雲璃の手帳を見ちゃって。勝手に見てごめん」


「ううん。雨愛あめに祝ってもらえて、雨愛と一緒にいられて、すごく嬉しい」


 雲璃の誕生日に彼女の両親は他界した。手帳に記された印は自分の誕生日のものでなく、両親の命日という意味で付けたものだった。


 雲璃にとって十一月一日は、自身の誕生日ではなく、両親の命日という意味の方が強かったのだ。


「もう私の誕生日なんて祝ってくれる人なんていないと思ってた」


 雲璃は少し寂しそうに目を伏せたけど、すぐにもとの調子で隣に座るわたしを見つめた。


「でも、今年は雨愛が祝ってくれた。それに、までもらっちゃって」

「結婚指輪じゃない!」

「違うの?」

「違うよ!」

「ずっと一緒に居てくれるっていうさっきの言葉は嘘だったんだ……」

「それは本当! でも、その指輪は永遠を誓うものじゃなくて……。その、そういうのは、また改めて……っていうか」


 ああ、もう。口を開けば開くほど墓穴を掘る。


「くすっ……、雨愛の言う通りだね。焦る必要なんてない。これからは、ずっと一緒なんだから」


「からかった後にそういうこと言うの、なんかズルい……」


 隣に座る雲璃が指と指を絡めてきたので、そっと握り返した。


「雲璃はこれからどうするの?」

「親戚の家に引き取られることになるんだって」

「親戚の方って、確か県外に住んでるって……」

「……うん」


「そんなっ! じゃあ離れ離れになるの? せっかく一緒になれたのに!?」


「落ち着いて雨愛。引っ越すのは来年の春。それまでは佳代かよさんが居候させてくれる話なの」


「コトカに住むってこと?」

「そういうこと」


 わたしと雲璃のバイト先である喫茶コトカ。オーナーの佳代さんは雲璃のおばあちゃんとは古くからの知り合いである。雲璃の事情を全て知って、一時的に引き取ることを申し出たらしい。


 親戚の人も理解を示していて、来年の春までは凪ヶ丘なぎがおかに残ることを了承してくれたのだ。


「でも、春になったらお別れなんだよね……」

「雨愛……」


 声を沈めるわたしに、雲璃は握っていた手の力をぎゅっと強めて、勇気づけるような明るい口調で言った。


「雨愛。最後の一年は別々の学校になっちゃうけど、高校を卒業したら同じ大学に通おう」


「でも雲璃はきっと美術大とかに進学するんでしょ?」


「私は雨愛と一緒の大学がいい。雨愛が進学する大学に私もついていく」


「そんなのダメだよ。雲璃には絵の才能があるんだから、専門の学校で勉強した方がいいよ」


「絵なんてどこでも描けるよ。でも、雨愛と一緒に過ごすのは、雨愛と同じ大学じゃないとできない」


「それなら、わたしが雲璃の進学先についていく。県外でも、美術大でも、芸術大でも、雲璃が選ぶ進路にわたしもついていく」


 雲璃はゆっくりと首を横に振った。


「言い方悪いかもだけど、雨愛、芸術系の大学に進学してやっていけるの?」


「うっ……それは……」


 勉強の成績は悪くないけど、体育や美術などの実技科目は不得意だ。それはもう致命的に。ここで見栄を張っても、大学で芸術に打ち込んでいる自分を想像することなんてできない。


 『愛があれば関係ない』なんて陳腐な虚勢すら張れないくらいには、自分の力不足を痛感してしまった。


 そんなわたしの表情を見て、雲璃はくすっと笑った。


「私は雨愛についていく。だから、雨愛は自分の進路のことだけ心配して」


「わたしにばっかり合わせてくれるなんて、なんか嫌だな」


「私が一方的に雨愛を好きになって、勝手にお願いを突き通そうとししてるんだから、別に雨愛が気にすることじゃないよ」


「ちがう。もう一方的でも、勝手な願いでもない。わたしだって雲璃のことが好き。だからこれは、わたし達二人の問題なんだよ」


 はっ……と我に返ると柄にもない熱い台詞を口走ってしまったと気付き、二人とも顔を赤くしながら視線を逸らした。夜の風でさえ冷ましてくれない頬の火照りを感じながら、空気を改める。


「わかった。まだ時間はあるからゆっくり考えてみよう。でも忘れないで。私は雨愛と一緒ならどこでもいい。雨愛の居場所が私の居場所だから」


「雲璃……、うん! 残された一年で真剣に考えてみよう。将来の事、そして、お互いに納得できて幸せになれる進路の事を」


 過去に束縛されてきた人生だった。それももう終わり。これからは未来を視る。隣にいる少女と紡ぐ未来の形を。


 同じ大学に進学して、肩を並べてキャンパスを歩き、同じ講義を履修する。県外の大学なら一人暮らしをすることになるだろう。お互いの家に遊びに行ったり、お泊りしたり、もしかしたらそのまま同棲とかも……。


 恥ずかしい想像をしながらも胸が膨らむ。未来には夢がつまっている。高校三年の一年間はきっと寂しい。でも辛くない。その先の未来を考えれば。


「雨愛、もしかして大学生になったときのこと想像してる?」

「ちょっと、してた」

「一人暮らしの延長で、私と同棲してるところを想像してたりして」

「思考が漏れてる!?」

「ふふっ。私は雨愛と同じ部屋に住みたいなって思ってるよ」

「えっ?!」

「あっ、びっくりしてる。可愛い」

「そうやってすぐからかうんだから」

「一緒に住みたいっていうのは冗談じゃないんだけどな……」

「えっ……!」


 小悪魔的な微笑みでわたしをからかう。この関係が半年後になくなると考えると、やっぱり寂しい。


 そんなわたしの心情を読むように、雲璃はもう一度優しく言った。


「大丈夫。少しの間お別れになっちゃうけど、たった一年の辛抱だよ。一年後、必ず再会しよう」


「うん、絶対に。そのためにはまず来週の文化祭、成功させないとね」


「そうだね」


 重ねていた手の小指に力を入れて未来への約束を交わす。



 随分と長く話し込んでいたらしく、曙の刻を迎えた。暗闇が晴れてきて、早朝の澄んだ涼しい風が髪を撫でてていく。


 海の彼方に目を遣ると一筋の朱い光が水平線に宿る。朝焼けのグラデーションが空を明るくしていく。


 一日が始まっていく様子を雲璃と見守る。肌寒い気温を、隣合わせのぬくもりが中和する。


「ねぇ、雨愛」

「なに?」

「もし、私が死んで南橋みなばしさんが生き返るなら、どうする?」

「やめて、そういう質問」

「ごめん。でも、どうしても聞いておきたくて」


 透明な声が耳の奥に届き、澄んだ綺麗な瞳がわたしを覗き込んでいた。


 訊かずとも理解できた。雲璃は、自分と晴夏、どっちが好きなのか不安なのだ。


 やっぱり雲璃はクールな表情を繕うのが上手い。でも、その涼やかな仮面の下にどうにもならない不安が渦巻いていることを、わたしは知っている。


 彼女の心境を理解しているからこそ、わたしは一点の曇りもない自分の気持ちを話すことにした。


「わたしは晴夏が好きだった。それはこれからも変わらない。でも、雲璃も大切な存在だし、これから一緒に生きていきたい」


「なんか複数女作ってるナンパ師みたい」


「雲璃だって、ここで潔く晴夏のことを忘れるわたしなんか認めないと思うんだけど?」


「うん……その通りだね。南橋みなばしさんをずっと大切にできる雨愛だからこそ、私も好きになったんだ」


 わたし達は微笑み合い見つめ合う。


「わたしの方こそ雲璃に好きになってもらえる資格あるのかなって思ってた」


「どういうこと?」


 雲璃がわたしを好きになってくれたのは、両親を失った傷を埋めてあげたからだ。でも、当時のわたしにそんな自覚はない。ただ、一緒に本を読んで、本の感想を語らっていただけ。それが雲璃に好きになってもらえる理由になるのだろうか。


「親も学校での居場所も失った私にとって、雨愛と過ごす時間だけが楽しかった。雨愛は無自覚だったかもしれないけど、私は救われた。特別な感情を持たないわけないよ」


「雲璃……」


「お父さんとお母さんが亡くなって、学校でも腫れ物みたいな扱いをされて辛かった。でも、私が一番辛かったのは雨愛に自分の気持ちを伝えられなかったこと」


 過去を噛みしめるように雲璃は話す。


「雨愛の隣にはいつも南橋さんがいた。中学の時だって舞台袖で見守ることしかできなった。雨愛はずっと遠い存在だった。こんな嫉妬の形、醜いよね……」


 ごめん、と言いかけたところで、その台詞が適切でないことに気付いた。


 雲璃はずっと見守ってくれていた。なら、わたしはどうだ? 『晴夏の死の秘密を共有する関係』以上の気持ちを持ち合わせていたか? 雲璃と同じベクトルの想いを伝えられていたか?


 一人の女の子として、雲璃を見れていただろうか?


 そう考えると、わたしが口にするのは謝罪ではなくて、もっとシンプルなもので良いと気付いた。


「ありがとう、雲璃。わたしを好きなってくれて」


 朝焼けに照らされた彼女の顔が柔和に綻んだ。

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