第70話 十年ぶりの告白ー後編ー

 わたしの日常は、いつも彼女によって壊されてきた。


「こんな時間に二人で仲良くデート? んふふ」


 雷花弥文らいかやぶみは魔性の笑みを浮かべながらジリジリとこちらに歩み寄り、対峙する形で足を止めた。

 彼女の一歩後方には御津木みつぎさんが品のある佇まいをしており、目を向けるわたしに無言でひとつお辞儀をした。


「だったら何?」


 わたしを庇うように雲璃くもりが一歩前に出て雷花を睨みつけた。


「え~~~っ!? やっぱりあんたらなの!? うわ、きっしょ」


 下水を口に含んだようにわざとらしく顔を歪めたあと、雷花は再び口元を緩めた。


「いくら男ができないからって、女同士は流石にないわ~。うふふ。まぁ、陰キャは陰キャ同士で馴れ合ってんのがお似合いだけどね」


「あんたらだってデートじゃないの?」と雲璃は言って、雷花と御津木さんを交互に見た。


「冗談でしょ。コイツはどっちかって言うと奴隷。奴隷と遊ぶわけないでしょ。そうだよね、ミッツ―?」


「……はい」


 感情を殺すように弱々しく御津木さんが応えると、雲璃が口を開いた。


「今日ははいないのかしら?」

「キー子のこと? あいつは毎朝自主練してるから、この時間はもう寝てんのよ」


 もともと雲璃と雷花の関係は険悪だったが、先日の一件があってから、喜多河きたがわさんのことも雲璃は敵視するようになった。


「立ち去りなさい。あんたらの顔なんて見たくない」と雲璃が敵意を隠さずに言うと、今度機嫌を損ねたのは雷花の方だった。


「立場が分かってないみたいだね。言葉と態度に気を付けなよ、

「そんなっ! 雲璃は――」


 わたしが口を挟もうとすると雷花は「チッ」とわざとらしく舌打ちをして軽蔑の眼差しを向けた。


「あのさぁ笹希ささきぃ。三ヶ月前、まさにこの場所で女子生徒の遺体が発見された。死亡推定時刻と同じタイミングで、ここから逃げるように去る葵ヶ咲そこの女の姿を、喜多河が目撃してんの。画像だってある。頭のいい笹希なら分かるよねぇ?」


 胸元で腕を組み、ニマニマと口角を吊り上げて冷淡な言葉を並べる雷花。言葉を詰まらせるわたしを見て「ふっ……」と鼻で笑う。


「仲の良い笹希が知らないわけないよなぁ? こんな時間にデートするような間柄だもんなぁ? とすると……笹希、お前も共犯か?」


雨愛あめは関係ないッ!!」


 爪が食い込むほどに両手を握りしめて雲璃が声を上げた。


ってことは、やっぱりてめーが殺してんじゃん! きゃはっ! やばっ! 死んだ奴、笹希の元友達だろ!? 笹希お前、親友殺した犯人とイチャイチャしてるわけ!? ウケる! 正気の沙汰じゃないよ、お前ら!!」


 まるで新しい化石を発見した考古学者のように、雷花は歓喜に声を震わせた。


「あたし本物の犯罪者って初めて見たわ。いいね~……、いいよ、あんたら! 最高だよ!!」


 膝を叩いて愉快に笑う雷花を、雲璃はずっと睨み続けている。後方に立つ御津木さんは憮然とした態度を崩さずに見守る。


「はぁ、お腹痛い……! そうだ、愉快な話聞かせてもらったお礼に良いこと教えてやるよ」


 雷花は目尻に溜まった涙を人差し指で払って口を開く。


 それは間違いなく良いニュースなんかじゃないのは分かっているけど、わたしと雲璃は雷花の話に耳を傾けるしか選択肢はなかった。


「今日、ボロ駄菓子屋の店主の葬式があっただろ。あれ、あんたのババアだろ、葵ヶ咲あおがさき


「なんでそれを……?」と小さく声が震えるわたしを横目に、雷花は言葉を継ぐ。


「これで葵ヶ咲の近親者は全滅ってことだよな!? よかったな葵ヶ咲! 要らないゴミが綺麗に片付いて!」


「……ッ!!」

「雲璃……っ!」


 今にも飛びかかろうとする雲璃の手を引いて抑制する。


「人の話は最後まで聞けよ、猿。聞き分けの無い猿とちがって、笹希はお利口さんだな~。ちゃんと獰猛な猿が暴れないように見張っておけよ」


 わたしが掴んでいる手をぶんぶんと振り解こうとする雲璃。目で分かる。雲璃は理性を失いつつある。あともう一つ起爆剤があれば、本気で雷花を殺しかねない……そんな目だ。


「で、話の続きだけど、これでめでたく葵ヶ咲は身寄りを失ったわけだ」


 そうか。この場にいる人間は全員同じ小中学校の出身。雲璃の両親が交通事故で亡くなっていることを雷花達も知っているのだ。

 たとえクラスが別々でも、そういうニュースは教室の隔たりを越えて学年中に広まるから。


 そう思ったんだけど……。


 次に雷花が口を切った刹那、わたしの思考は完全に止まることになる。彼女は邪悪に微笑みながら、こう告げた。


「あんたの両親が死んだ事故なんだけどね……、あれ、対向車の過失運転なんだわ」


 ……………………………………。


 は?


 長い沈黙に、時が止まったかと思った。雷花の言葉を脳で処理するのに時間がかかった。雲璃のおばあちゃんから聞いた話と違うからだ。


 雲璃の両親は自分たちの不注意から運転を誤り、事故を起こしてしまった。不運にも対向車を一台巻き込んでしまったが、相手の運転手も含め他に負傷者はいなかった。


 おばあちゃんからはそう聞いている。


 だからあれは誰も悪くないし、不幸が重なった事故なのだ。


「葵ヶ咲の父親が運転してた車が対向車と衝突しただろ?」

「それは、雲璃のお父さんが誤って相手方を巻きこんじゃって……」

「そういう風になったのよ、


「表……向き……?」


「簡単なことよ。葵ヶ咲の両親は事故なんか起こしてなかった。起こしたのは対向車の方。つまり、あんたの両親は事故に巻き込まれた被害者ってわけ」


「どういう……こと……?」


 目の表面が乾いて瞬きすらできない。雲璃も必死に雷花の言葉を解釈しようとして二の句を継げずにいた。そんな呆然と目を見開くわたし達を一瞥して、雷花は嬉しそうに笑う。


「けっこう大変だったらしいよ~


「揉み消す……?」


 言葉を復唱する雲璃に雷花が冷笑した。


「汚い金使ったり、関係者に色々と根回ししたり。いや~真実って金と権力で捻じ曲げられるんだね」


「私の両親を――ッ、二人も犠牲になっておいて、そんな簡単に事実を歪曲できるはずないじゃないッ!」


 奥歯を歯ぎしりして、雲璃が声を上げる。彼女の反応は当然だ。しかしながらその一方で、わたしは雷花の家族系譜に思考を巡らせていた。



 雷花のお父さんは、……警察官だ。


「警察ってなんかいっぱい役職あってよく分かんないんだけど、あたしのパパそれなりに重役なんだよね。警視正だっけ? 事故一つ揉み消すなんてワケないのよ」


 と雷花は簡単に言う。


 真偽の確かめようがない煽り文句を並べる雷花に、わたしは口を挟む。


「あの事故はもう終わったことなの。雲璃だって気持ちの折り合いを付けてる。たちの悪い冗談ならやめて。これ以上雲璃を苦しめないで」


「なぁんだよ~笹希、その言い方はぁ。真実を教えてあげたんだから、むしろ感謝してほしいくらいなんですけどぉ? あたしら友達だろぉ? 笹希のお友達なら、あたしにとっても葵ヶ咲は友達だ。友達にはちゃんと事実を教えてあげないとなぁ?」


「……ふざけるな」


 雷花には聞こえなかったみたいだけど、雲璃の微かな声がわたしの耳朶を打った。隣の少女に目を遣ると、表情は垂れた前髪に隠れて見えないけど静かな怒りで体を小刻みに震わせていた。


「加害者側もとんだ殺し損だよね~。あんたの親がちんたら走ってるせいで余計な前科ついちゃってさ。あっ、隠蔽したから前科はついてないのか。きゃははは」


「ふざけるなッ!!!」


 初めて聞く雲璃の怒声。憤りの表情に御津木さんが後退りしたけど、雷花だけは依然として余裕の笑みを絶やさない。


 しかし、雲璃が冷静さを欠いてるおかげで、不思議とわたしはまだ平然を保っていられた。だから、御津木さんが少しだけ寂しそうな目で雲璃を見たことに気付いた。


 けれど彼女の本心までは読めなかった。


「まぁ今更こんな昔話しても何にもなんないけどね。それよりも、立場を弁えろよ、葵ヶ咲? てめーの秘密なんていつバラしてもいいんだからな? 娘は牢獄、クソ親とクソババアは墓の中がお似合いだよ。あははははは」


「……ッ!! ら゛いかぁーーーーーッ!!!」

「ダメだよ! 雲璃! 落ち着いて!!」


 わたしの声が届かないくらいに雲璃は激情に我を委ねる。


「雷花! どうしてそんなこと言うの!?」


 渾身の力で雲璃にしがみつきながら雷花に憎しみを視線を投げる。


 雲璃はおばあちゃんが亡くなって失意の底にいる。なのに、たとえそれが真実であっても、どうして今さら掘り返すようなことをするのか。


「気に入らないんだよ。笹希お前も葵ヶ咲も。それに、やっぱあたしにも警察の正義の血が流れてるんだろうね。真実をちゃんと話さなきゃって思って。んふふ」


 雷花は魔女のような煽り文句を並べる。


 十年以上前の事故を今更告発しても、決定的な証拠もなく、権力者がこぞって黙殺した案件にメスを入れるのは不可能に近い。


 それと引き換えに、雷花にはいつでも雲璃を告発できる準備がある。昔から強者の椅子に座り、弱者の苦しむ顔を拝むのが好きだった雷花。その悪趣味な優越感に浸っているのだ。


「じゃあ、存分に楽しませてもらったから、あたしら帰るわ。さようなら、犯罪者の葵ヶ咲と、共犯の笹希。さっき笹希は共犯じゃないって言ってたけど、秘密を共有して隠すのは立派な共犯だからな。まっ、どっちでもいいけど」


 そう言い捨てて雷花と御津木さんは『あかり岬』から去っていく。


 御津木さんは最後まで忘れ物をしたような目線をこちらに向けていたが、雷花に呼ばれて背中を追いかけるようにしてこの場から去って行った。

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