第69話 十年ぶりの告白ー前編ー

「そっか……。わたし達、昔会ってたんだね……」


 眼前に広がる夜の海を眺めながら、雲璃くもりの話を聞いていた。


 彼女の一つひとつの言葉がまるで雪のように、肌に触れてふわっと溶け体に浸透していく。


「なんで忘れてたんだろ……」


「私が勝手に雨愛あめを好きになって、一方的に意識してただけだから。だから、気にしないで」


 わたしは友達を作るのが苦手だった。そんなわたしにも、晴夏はるかというたった一人の親友が傍にいてくれた。たぶん慢心してたのだ。晴夏がいることに甘え、故に友達を作る努力をしなかった。


 中学の時にこのままじゃ駄目だと思って、雷花らいかのグループに入れてもらった。しかし、上手く行かなかったし、他の子と接するのがもっと恐くなった。


 嫌な記憶を消し去り、わたしの中には「子どもの頃の晴夏と遊んだ幸せな記憶」しか残らなった。


 だから、雲璃のことも憶えていない。苦い過去と一緒に雲璃との楽しかった思い出も封印してしまった。


「初めて雨愛が家に来たときはびっくりしちゃった」


 雲璃の家は『あがさ商店』――わたしが晴夏に連れられてよく遊びに行っていた駄菓子屋だ。


「お父さんとお母さんが事故で亡くなってからは、いつも両親の絵ばかり描いてた。でも、雨愛と南橋みなばしさんが遊びにくるようになってからは、二人の絵を描くようになったの」


「わたしと晴夏の絵を?」


「結局、私は店の陰から見てることしかできなかったけどね。ばあちゃんに背中を押されても『友達になって』って声を掛けることもできなかった臆病者だった」


 雲璃は柔らかく苦笑する。


 きっと店に訪れていたのがわたしだけだったら、雲璃は声を掛ける勇気を出せたと思う。しかし、隣に晴夏が居たことで彼女は遠慮してしまったのだ。


 それを理解しつつも、いや、理解しているからこそ。彼女の本心が知りたくて、意地の悪い質問をしてしまう。


「雲璃は、晴夏のこと嫌いだった?」


 雲璃は目を丸くしてわたし一旦見つめると、その視線を海に戻して軽く微笑んだ。


「そんな訳ないじゃない。私は雨愛が好きだったから、雨愛がどういう風に南橋さんを見てるかも気付いてた。南橋さんといるときの雨愛は楽しそうだった。自分の好きな人と一緒にいてくれる人のことを嫌いになるわけないよ」


「雲璃…………」


 晴夏は完治の見込みがない病から逃れるために自ら命を絶つ決断をした。しかし、生の執着が最後まで決断を鈍らせた。雲璃に自身の自殺を手伝ってもらうように頼み、雲璃はそれを受け入れた。


 優しさだけに満ちた世界に憎しみの感情が入り込む余地はなかったのだ。


「安心した。雲璃は晴夏を嫌ってたわけじゃないんだって、雲璃の口から聞けて」


「雨愛が大切に想ってた人だよ。嫌いになれるわけがないよ。それに、南橋さんは人を元気させる絵が描ける。私にはできない裏表のない純粋な笑顔を作れる。美術の好敵手としても、人間としても、すごく尊敬してた」


 その言葉がただ嬉しくて、温かい波が体に広がっていく。


「私ね、たまにこう思うの。南橋さんは、もしかしたら私と雨愛の関係を知っていて、引き合わせるために雨愛を駄菓子屋うちに連れて来たんじゃないかって。完全に邪推だけどね」


「それは晴夏しか知らない。でも……そうだったら素敵だね」


 晴夏は学校の勉強はできないけど、人の機微には鋭い一面もあった。彼女の性格も鑑みると、やりかねない。

 もう永遠にできない答え合わせは、不思議とわたしの心を温めてくれた。



 そして、わたし達は中学生になった。


「中学になると、雨愛は雷花たちとつるむようになった。雨愛、楽しくなさそうだった。南橋さんとも仲悪くなって……。あの頃の雨愛は、見てるのが辛かった。でも、私が出る幕じゃなかったし、ただただ、陰から見守ることしかできなかったの」


「雲璃はずっとわたしのこと見ててくれたんだね」

「ストーカーみたいな真似してごめん」

「いいよ、雲璃のストーカー気質にはもう慣れてるから」

「その言い草はなんか引っかかるけど……」


 くすっとお互いに微かに笑うと、雲璃は木製の柵に体重を預けて、遠くの水平線に視線を投げる。


 夜も深くなり、海に面した『あかり岬』には街灯がない。辺りは真っ暗だけど、夜目も慣れて、遥か遠い世界に浮かぶ満月が届けてくれる月光のおかげで、雲璃の顔がくっきりと見えた。


 さらさらと揺れる黒髪。海と呼応するような碧い瞳。少しだけ物憂げな表情は、どこか愛おしく思えた。


「私は南橋晴夏さんを――雨愛の大切な人を殺した。この罪は一生消えない」


「……うん」


「殺人が一度目の罪なら、今も雨愛に恋し続けてることが、きっと二つ目の罪」


 家族を失ったことと、罪を犯した過去に同情を求めているわけではないのは、彼女の凛とした表情から一目瞭然だった。だからわたしは黙って頷く。


 雲璃は優しい口調の中に確かな力強さを滲ませて言った。


「私はずっと雨愛を見てきた。これからも……、いや、これからはずっと雨愛の傍にいたい。一番近い距離で雨愛の笑った顔が見たい。悲しいことがあった日は夜まで話を聞かせてほしい。雨愛と一緒に過ごしたい……だから……ッ」


 雲璃は夜の海から視線を切ると木の柵から手を離して、わたしと向き合った。

 海と似たゆらゆら揺れる碧眼はしっかりとわたしを捉えた。


「私は、雨愛のことが好き」



***



 以前から雲璃はわたしに愛情を向けてくれていた。けれど、歪んだ愛情にしか思えなかったわたしは、彼女の本当の気持ちを許容できなかった。


 でも今は違う。


 ――私は、雨愛のことが好き。


 今までにも聞いた告白の台詞は、今までと全く違う感情を伴ってわたしの耳に届く。


「ただ『好き』って伝えるだけなのに、十年以上かかちゃった。こんな短い言葉なのにね」


 はにかみながら零した彼女の声が優しく鼓膜撫でる。


 雲璃は勇気を出して告白してくれた。精一杯の想いを伝えてくれた。

 だから、わたしはこう返す。


「わたしは、晴夏と居られれば幸せだった。でも、ある時それだけじゃ満足できなくなった。友達の輪を広げようとして、失敗して、新しい友達を作るのが恐くなった。さっき雲璃は自分のことを臆病者って言ったけど、わたしの方がよっぽど弱い人間だよ」


 わたしは視線を逸らし、木製の手すりを撫でながら続ける。


「そんないくちじなしのわたしだったけど、晴夏は戻って来てくれた。晴夏だけじゃない。雪原さん、クラスメート、喫茶コトカの佳代さん、セバスチャン、常連のお客さん……。いつの間にかわたしの周りには優しい人たちが増えていた。それに――」


 わたしは一度言葉を切って、心を乗せるように口を開く。


「それに――雲璃と再会できた。わたしの方は忘れちゃっててポンコツだったけどね」


「雨愛…………」


「でも、今の雲璃と過ごした時間はまだまだ短いけど、色んな顔が見れた。笑った顔、泣いた顔、何かを隠している顔、からかう時の悪戯っ子な顔……。全部、覚えてるよ」


 出会いは最悪だったね。勘違いに間違いを重ねたわたしは、雲璃に復讐しようとした。それは失敗に終わって、弱みを握られてデートを強要された。


 夏休みに図書室でデートもしたね。隣同士で本を読んでいた、ちょうど十年前みたいに。


 思えば、あのデートは雲璃が叶えたかった十年ぶりの願いだったんだろう。


 あかり流しで晴夏を見送って、修学旅行も一緒に回って……。


 全部、…………全部、覚えてるよ、雲璃。


「雲璃のおばあちゃんとも、佳代さんとも約束したんだ。わたしが雲璃の傍にいるって。もう雲璃を一人にさせないって」


「雨愛……それって……」


「わたしは、……雲璃のことが――っ」


 そう言いかけた所で、不審な音が耳朶を打った。足音だ。夜の『あかり岬』――波の音だけが木霊する静かな海岸線に、砂利道を踏みしめる音は思った以上に響き渡る。


 ジャリ……ジャジャ…………ジャリ、ジャジャジャ、ジャリ…………。


 次第に砂利の上を歩く音が大きくなってくる。不規則な足音から、近づいてくるのが一人ではないことが分かる。


 二人だ……、二人分の足音が近づいてくる。


 こんな夜更けとはいえ、散歩でふらっと立ち寄った人かもしれない。でも、どうしてもわたしには、嫌な影が足元から忍び寄ってくるように感じられた。


 いや、遠回しな表現はよそう。その足音は明白な敵意のある響きに聞こえたのだ。


 隣に立っていた雲璃も気づいたらしく、わたしの視線と同じ方向に目を遣った。

 言葉を発しないは闇の中で蠢く。その時、林の中から人影が現れた。


 生い茂った林から現れた二人分の影は澄み渡った月の光によって、その正体を暴かれることになる。足音の主は同年代の二人の女子生徒だった。


 一人はやや小柄で、おとぎの国の住人が寝巻で着ていそうなふわふわな服を纏っている。中学の時のクラスメートである御津木みつぎさんだった。


 そして、


 まるで周りのすべてに服従を誓わせるような嫌な威圧感を放っているもう一人の少女。腰まで伸びたカールヘアに高圧的で支配的なオーラ。

 同じくかつてのクラスメート、雷花弥文らいかやぶみ


 雷花は自慢のカーリーヘアーを人差し指でくるくる回しながら、いやらしく口を開いた。


「こんばんは、お友達の笹希ささきさん。それと、葵ヶ咲あおがさきさん。んふふ……。こんな真夜中にデートかしら?」

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