第53話 通い慣れた初訪ー後編ー
「
「わたしのことを?」
「学校のこととか、休日に出かけた話とか」
「わたしのこと変に言ってなかった?」
「いっひっひ、なんもなんも! うれしそうに話すんよ。あんな顔見たことなかったよぉ。最近の雲璃は明るくなったんねぇ」
確かに出会った頃の雲璃は恐かった。鋭く冷たい瞳に、読めない思考。さんざん振り回されたっけ。あの頃に比べれば笑った顔も見せてくれるようになったし、表情も柔らかくなった気がする。
だからふと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしてみることにした。
「おばあちゃん。雲璃って昔はどんな感じだったの?」
「昔……昔ねぇ…………」
おばあちゃんは頭の中で記憶の旅をする。その小さな瞳に一瞬陰が見えたものの、すぐに頬をほっこりさせて、「あんまり楽しいお話じゃないけどねぇ」と前置きをした。
「雲璃の話なら何でも聞きたいな」
わたしがそう言うと、おばあちゃんは雲璃の昔話を聞かせてくれた。
それは、わたし達がまだ五~六才の頃。今よりも若いおばあちゃんは毎日のようにお店に立って、子どもたちの笑顔に触れていた。客の数は今よりも多かったという。
男子はコマのおもちゃで対戦し、女子はお菓子のオマケについてくるシールをコレクションするのが当時は流行っていた。あがさ商店の周りにはいつも笑い声が絶えなかった。
そこに今日も二人組の女の子がやってくる。一人は向日葵のような笑顔が素敵な活発な女の子。もう一人は内気で、”向日葵少女”の後ろに隠れている女の子。
その女の子二人組はいつも一緒だった。内気な方は、たぶん外で遊んだり、他の子とお話するのが苦手なのだろう。活発な方が無理やり連れだしている様子だった。
でも向日葵の笑顔につられて彼女もまた笑顔になる。
二人を見て周りの子ども達も嬉しくなる。笑顔が伝染していく。そんな光景を見るのが、おばあちゃんは好きだった。
そんな微笑ましい光景を店の奥からそっと覗くもう一人の少女がいた。彼女も内気な少女に負けないくらいの引っ込み思案だった。本当はあの輪に入りたいと思っていたのに、声をかける勇気が出せなかった。
同級生の子と遊ぶのが不慣れだったその少女は、いつも自分の部屋で絵を描いていた。自分が見た光景、自分が溶け込みたかった風景、そこに自分の想いを重ねてひたすら描き続けた。
そう遠くない将来、美術の腕を開花させることをまだ幼い彼女は知る由もない。絵を描くことは孤独を紛らわすための道具だった。皮肉にも、孤独が彼女の絵の才能を伸ばしたとも言える。
「雲璃はいつも、あめちゃんとはるちゃんのことを見てたんだよ」
「雲璃が……」
「一緒に遊んでおいでって何べんも言ったんだけどねぇ、『いいの』っていつも店の奥にこもってたんさ」
知らなかった……。
その姿を思い浮かべると、胸が締め付けられるような切なさを覚えた。わたしには晴夏がいた。でも、立場が違ったら、わたしも雲璃のように、指を咥えたまま外の楽しい世界を眺めるだけの日々を送っていたのかもしれない。
「あめちゃん、これ覚えてるかえ?」
おばあちゃんは小さな引き出しから何かを取り出すとわたしに見せてくれた。小さな紙で、随分昔のものだろう、端が黄ばんでいる。
「これは……本の栞?」
「小学生のあめちゃんが持っていた栞なんだわ」
「わたしの?」
言われてみればこんな栞も使っていたのかもしれない。本屋さんで本を買った時におまけで付けてくれるような栞なので、あんまり記憶に無いけど。
「ある日あめちゃんが帰る時にね、あめちゃんこの栞をここに忘れていったんさ。それでねぇ、雲璃に届けてあげたらって渡したんさ」
それが、おばあちゃんの心遣いだったと今のわたしには分かる。忘れ物を届けさせることで、雲璃とわたしに接点を作らせようとしたのだ。なんとも世話焼きなおばあちゃんらしい理由だ。
「途中まではあめちゃんを追いかけていったんだけど、最後の最後で渡す勇気が出なかったんだろうねぇ。そのまま栞を持ち帰って来たんさ。それからも、あめちゃんが遊びに来るたんびに渡そうとしたんさぁ。何度も何度も。でも、声を掛ける勇気が持てなかった」
ああ、そっか。雲璃が本の栞を返そうとして、わたしの家の近くまで追いかけてきてたんだ。だから、雲璃はわたしの住所を把握していたのだ。
「あたしは孫に友達を作ってほしかった。あめちゃんとはるちゃんと友達になってほしかった。世話を焼くと、あの子はひどく嫌がったんさ」
雲璃の気持ちは痛いほど理解できる。わたしには晴夏がいたから寂しくなかった。もし晴夏がいなかったら、他に友達なんてできなかったし、作る努力もしなかっただろう。
結局、晴夏といる日々に依存していたのだ。
人間社会は孤独を悪とする。わたしはきっと悪を正当化していただろう。
孤独が悪なら友達百人が善になるのか。それはまた別問題だけど、少なくともわたしにとっては晴夏がいることが善であった。
雲璃とわたしは似ている。
わたし達を区別する境界線、あるいは分岐点があったとするならば、ほんの些細な違いしかない。
初めて知った雲璃の過去。知られざる一面を知れた喜びは、秋の木枯らしに似た冷たい風にさらわれていく様だった。
「あめちゃん。はるちゃんがいなくなった後でこういうこと言うのもズルいかもしれんけど、……これからも雲璃と友達でいてあげてくれるかぇ?」
「……もちろん。わたしが、……わたしが雲璃のそばにいる。おばあちゃんに言われたからとか、晴夏のこととか、そんなの関係ない。わたしは、わたしの意志で雲璃の側にいる」
「ありがとうね、……あめちゃん」
「同じことを佳代さんとも約束したからね」
「あのババアのことなんていいんさ」
「ふふっ。二人って似てるよね」
「いっひっひ。あんな死にぞこないと一緒にするんじゃないよぉ」
わたしの言葉に嘘偽りはなかった。わたし自身が、今の雲璃の側にいたいと思ったんだ。
おばあちゃんは雲璃が晴夏の命を奪った事実を知らない。いつか、話せる日が来るのかも分からない。
でも、…………。
晴夏との思い出を大切にして、わたしが雲璃のそばにいてあげること……それが、おばあちゃんを安心させるために、わたしができる唯一のこと。
そんな話をしていると雲璃が戻って来た。
「二人でなんの話してたの?」
「いっひっひ。雲璃がかわええってお話だよぉ」
「本当?
「えっ!? あ、いや、その……」
困惑するわたしを見ておばあちゃんがまた邪悪な笑みを浮かべた。
「いつも店番すまないねぇ、雲璃」
「いいのよ。おばあちゃんは体調よくないんだから無理しないで」
「でも雲璃。文化祭も近いんでしょぉ? それにアルバイトだって」
「バイトは私が勝手にしてるだけ。文化祭の絵だってちゃんと完成させる。だから、ばあちゃんは体調を戻して、文化祭に来ること! いい!?」
「いっひっひ。楽しみにしてるよぉ」
そしてまた三人で他愛もない話に興じるのであった。
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