第52話 通い慣れた初訪ー前編ー

「ふーん。みんなと勉強会したんだぁ。ふぅん、へぇ」

「えっと……なんで機嫌悪いの? 雲璃くもり

「べつにぃ……」


 わたしは図書館でテスト勉強に励み、雲璃は部活動を終えての帰り道。川の水面には夕焼けの濃い色が反射し、川沿いの道を二人分の影が伸びる。


「なんか怒ってる?」

「怒ってないよ。もともと感情を表に出さないタイプだから、私」

「それもう遠回しにネガティブな気持ちを押し殺してるって言ってるのと同義なんだけどね」


 校舎を出る時はいつも通りだったのに、猫貝ねこかいさん達とテスト勉強をした話をしたら途端に機嫌が悪くなったのだ。


 猫貝さん達とも仲良くなって、最近は昼食を共にしたり、休日は一緒に出掛けたりしていることは雲璃にもそれとなく話している。そして、わたしが他の子とつるんでいる話をすると決まって雲璃の雲行きが怪しくなるのだ。


「雲璃も一緒に勉強したかったの?」

「そうだけど……そうじゃない」

「わたしが他の女の子と一緒にいるのが嫌?」

「………………」


 本当に素直じゃないなこの子は。でも不思議と、嫌な気分にはならなかった。


 黒髪のミディアムショートに明後日を見据えているような碧眼。わたしよりも少しだけ高い身長。

 外見はクールで思考はミステリアス。わたしのことになると独占欲が強くなる。それが、今の葵ヶ咲雲璃あおがさきくもりという少女を表すステータスに他ならない。


「次の休日一緒に勉強する? ほら、これがテスト前最後の土日になるから」

「私、別に成績悪くないよ?」

「ええ!? いまの一緒に勉強する流れじゃなかったの!?」

「ふふ、冗談よ。もちろん二人きりだよね?」

「うん……」


 少し照れくさい反応をしてしまった。


雨愛あめとの勉強たのしみだな。場所はどこにする?」

「図書館……はテスト直前だから絶対混むし……。うちはエアコンの修理工事で電気屋さんが来るってお母さん言ってたしなぁ」


「じゃあ私の家にする?」と雲璃が言った。


 まさか雲璃の方から自分の家に招待してくれるなんて思わなかったからちょっと驚いた。


「えっ、いいの?」

「うん。古い家だし、周りがちょっとうるさいかもしれないけどね」

「ううん。そんなの気にしないよ」


 周りがうるさい……道路や鉄道の近くの住まいなのかな?


「ふふっ」

「なに笑ってるの?」

「雲璃から誘ってもらえたのがなんだか嬉しくて。楽しみだな~どんな家なんだろう」


「雨愛は前に来たことあるよ」

「? いや、初めてでしょ?」


 雲璃はなぜかわたしの家を知っているが、わたしの方は知らないし、お互いの家に行くのもこれが初めてだ。前にも来たことあるってどういう意味だろう……。


 そんな些細な疑問を残しつつそれぞれの家路へとついた。



***



雨愛あめ、着いたよ」

「えっ……ここって」


 休日の午後。雲璃と待ち合わせて、彼女の家に向かった。そこまではよかった。


 途中で違和感を覚えたのだ。いや、違和感というよりは親近感。肩を並べて歩く道はわたしもよく知っている道だったからだ。


 わたし達が住む凪ヶ丘なぎがおか町はそんなに広くはないけど訪れていない場所はそれなりにある。それを差し引いても、雲璃と歩く景色は見慣れたものばかりだ。


 どんな家だろうといろいろ想像しながら到着すると、そこはわたしにとって馴染みの深い場所だった。それはもう子どもの頃から。



 ――駄菓子屋『あがさ商店』


 子どもの頃、晴夏はるかとよく遊びに来て、そして終業式の前日――晴夏が亡くなる前日、共に訪れた場所である。


「雨愛はよく知ってる場所だよね」

「え、なんで、えっ……」


 上手く状況が整理できないわたしに、雲璃は店の引き戸を開けて、そのまま店の奥の居住スペースに案内してくれた。


「雲璃おかえり、おや?」


 温かそうな羽織を着てテレビを観ていたおばあちゃん。わたしの存在に気付くと丸っこい背中が気持ちばかり伸びた。


「あめちゃんじゃないかぃ! おやおや、まあまあ、めずらしいこと」


 その「めずらしい」というのは来店の頻度ではなく、わたしと雲璃の組み合わせに対して言ったことだとすぐに分かった。


「え、だって、ここは『あがさ商店』で……、雲璃のお家?」

「雨愛、私の苗字は?」

葵ヶ咲あおがさきでしょ?」

「そう、あおがさき。き。で、あがさ商店」

「雑ッ!!」

「それは、ばあちゃんに言って」

「じゃあ、雲璃の祖母って、おばあちゃんのことだったの!?」


 そういえば昔からおばあちゃんのことは「おばあちゃん」としか呼んでいなくて、本名を気にしたことはなかった。『あがさ商店』だから、阿笠さんなのかなくらいにしか考えていなかった。


「通い慣れた駄菓子屋が雲璃の家……。ここが雲璃の住んでる場所……」

「ここは居間で、私の部屋は二階だけどね」


 居間には一年中出しているらしい炬燵とブラウン管のテレビがあって、なんだか懐かしい空間だった。


「夏休みぶりかねぇあめちゃんとは」

「うん。おばあちゃんは元気?」

「いっひっひ。わらべから元気もらっとるよぉ。そぉだ、冷蔵庫にシュークリームがあるんだわ」


「私がやるからばあちゃんは座ってて」


 雲璃はシュークリームとほうじ茶という和洋折衷な組み合わせをお盆に載せて運んできてくれた。


「それにしても、はるちゃんのことは気の毒だったねぇ」

「ぁ……」


 わたしは以前、晴夏が亡くなったことをおばあちゃんに。あれから二ヶ月。小さな町だから、話や噂も人伝で広まる。おばあちゃんの耳にも届いたのだ。


「ごめんさない。本当は晴夏ののこと知ってたのに、おばあちゃんに話さなくて」


「いいんだよ。優しいあめちゃんのことだから、ババアが悲しむと思って黙っててくれたんじゃろう?」


 ほうじ茶の温かな湯気が漂う中、おばあちゃんは豆粒みたいに小さな目をわたしに向けた。


「それよりも、あめあちゃんは大丈夫かえ?」

「うん。悲しい気持ちがなくなったなんて言ったら嘘になるし、この痛みを忘れることもないけど。でも、わたしは、前に進もうって決めたの」


「……そうかい」


 わたしはこの痛みを一生忘れない。でも、おばあちゃんにとっても小さい頃からお店に遊びに来ていた晴夏はるかは雲璃と同様に本当の孫のような存在だっただろう。おばあちゃんにとっても悲しいニュースだったことは想像に難くない。


 わたしだけくよくよしている訳にもいかない。心の整理はつかなくても、気持ちの折り合いはつけて無理にでも笑っていることが、おばあちゃん、そして雲璃の為にわたしができることなのだ。


「すみませーーーん!!」


 店頭の方から男の子の声がした。声の感じからして小学生くらいの子だ。


「私行ってくるよ。二人はゆっくりしてて」


 雲璃は小走りで店頭に向かっていった。


「たぶん、いつもの子達じゃろう。物好きだねぇ。テレビゲームでもしてりゃええのに、休み日までこげさ所来てぇ」


「それだけ愛されてるってことでしょ」

「こんなボロ屋がかえ?」

「おばあちゃんも含めてだよ」

「いっひっひ。あんな童どもに求愛されちゃあたしも若返っちまうよぉ。いっひっひっひ」


「雲璃もああやって店番を?」


「ええ、ええ。部活もアルバイトもあるのに、店番も手伝ってくれてるんよ。あたしが一日中店頭に居られる元気があればいいんだけどねぇ、もう腰が動かないんさ。雲璃には迷惑ばかりかけてるよぉ」


 わたしが幼かった頃はおばあちゃんは店頭に立ってバリバリ働いていた。駄菓子を売るのはもちろん、よく子どもたちにけん玉や竹とんぼのレクチャーなどをしていた。


 しばらくして、店頭には顔を出しているんだけど座りながら子どもたちが遊んでいる風景を眺める時間が多くなった。いつしか忙しくなければ店頭に出る機会も減ってしまった。


 子どもの時は上手く言葉にできなかったけど、おばあちゃんと遊ぶ頻度が減っていく日々をどこか寂しく思っていた。


「あめちゃんは雲璃と仲良ーなんかぇ?」

「うん。友達になったのはつい最近だけどね」


 晴夏の訃報を知って、色々あって、雲璃とは友達関係になった。三ヶ月くらいしか経っていない。たった三ヶ月なのに長い航海をしてきたような気分だ。


 それから休日によく遊ぶこと、修学旅行の話、同じバイト先で働いていることを話した。わたしの話におばあちゃんは優しい相槌を打ちながら聞いていた。


「アルバイトの店に同級生の子が入ったって聞いてたけど、あめちゃんのことだったんだねぇ」


 そう言えばオーナーの佳代かよさんも、おばあちゃんとは古くからの知り合いだと言っていた。雲璃が教えたのかもしれないし、佳代さんから聞いたのかもしれない。


「あのババアまだ生きてるんけ」

「佳代さんとは仲良しなんだね」

「仲良しなもんか! ただの腐れ縁だよぉ! どっちが先に三途の川渡るか勝負してるんさ。いっひっひ」


 体の調子が良くないと言っていたけど、おばあちゃんの良い意味で意地悪そうな笑い方や朗らかな笑顔は昔と何一つ変わらなかった。

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