第51話 空白の時間と罪滅ぼし
翌日の日曜日。
昨日遊びに浪費した分を取り返そうと、改めて勉強会を開く運びとなった。
本日は
昨日誰よりもはしゃいでいた
「
「ここから主語が変わってるんだよ。この動詞って特定の官職の人にしか使わないから、それをヒントに動作主を整理してみて」
「笹希さん私もいいかな? 数学の問三なんだけど……」と竹坂さんが控えめに手を挙げた。
「平面図形だね。うん、辺の長さと角度は一通り書き込んであるね。与えられた情報を整理したら補助線を引けないか考えてみて」
「笹っちぃ~~~~~!」
「猫貝さんはどこが分からない?」
「全部ッ!!」
無言のまま参考書とにらめっこしていた猫貝さんだったが、全然理解できなかったらしい。
「英語の文法問題はね、最初に問題集から解いた方がいいよ。で、分からなかった部分を参考書で補う感じ」
ローテーブルを囲んで一対三の構図で勉強を見る。わたしが先生役で、竹坂さん・海音さん・猫貝さんが生徒役だ。
竹坂さんは苦手な数学を、海音さんは古文・漢文の課題を、猫貝さんは全科目赤点の危機なのでとりあえず英語から……という風に各々取り組んでいる。
「笹希さんすごいよね。一度に三人の勉強の面倒見るだけでもすごいのに、それぞれ別の科目だし」
「今教えてるのは基礎的な部分だから、そこまで苦じゃないよ」
「むふふ。笹っち、それ遠回しに私達のレベルが低いって言ってるもんだよね~」
「あっ、ごめん! そういう意味じゃなくて! わたしでも教えられる範囲だし、みんなも飲み込みが早いから、わたしなんかよりも地頭が良いし――」
「大丈夫だよ、笹希さん。猫貝はからかってるだけだから。それに笹希さんはそんなに自分のこと過小評価しなくていいんだよ?」
と海音さんがフォローしてくれて竹坂さんも続いて優しい相槌を打ってくれた。
「むふん。私は少し棘のある台詞を天然で口にしちゃうSっ娘な笹っちも好きだよ」
と猫貝さんは舌をペロッと出して笑った。
「それにしても笹希さん教えるの上手だね。私の脳みそが低スペックだから理解するのに時間かかっちゃうけど、説明はすごく分かりやすいよ」
「海音さんにそう言ってもらえると家庭教師冥利に尽きるかな」
「前にも人に教えたことあるの?」
「うん……。友達の入試の勉強を見てたんだ」
「へ~……じゃあ、その子もうちの学校なんだ?」
「……うん、そうだね」
思い出すのは中学三年の秋。たった二年前……そして二度と戻らない二年前のこと。
***
冬の訪れを予感させる木枯らしが吹く中、わたしは晴夏の家で勉強を教えていた。
「ねぇ~
「さっきもしたでしょ。今日のノルマはこの単元最後までだからね」
「鬼教官だぁ」
晴夏が机に突っ伏して足をバタバタさせる。
「モリオパーティーしようよ! モリオパーティー! 気分転換にさ!」
「やだよ。晴夏いっつも意地悪するもん。わたしからばっかりコイン盗って」
「ミニゲームで勝てばいいんだよ」
「わたしこういうゲーム苦手。ていうか、ゲーム自体あんまりしないし」
「仕方ないな~。そんな雨愛に、この晴夏お姉ちゃんがミニゲームの極意を伝授してあげますかね」
「は~る~かぁ~。なんのためにわたしが家庭教師に来てるか忘れたの!」
「少しくらいは休憩しようよ~。もう頭が熱暴走してて、これじゃ入るものも入らないよ」
「晴夏がもうちょっと成績良かったらゆっくり教えられたんだけどね」
「嫌味ですね。頭悪くてごめんなさい」
「わたしを悪者にするのやめてよ」
「にしし」
わたしだって酷な指導をしてる自覚はある。ガミガミ小言ばっかり言ってるし、心に余裕が無いから口調もキツくなる。
でも時間がないのだ。
あと一ヶ月弱で今年も終わる。年が明ければ日は瞬く間に過ぎていき、あっという間に入試当日を迎える。
お世辞にも晴夏の成績は良いとは言えない。
昔から絵を描くのが好きで、外で遊ぶのが好きな女の子だった。反面、机に向かうことを苦手としていた。
晴夏が間違えたポイントを分析するに、まず基礎が理解できていない。三年分の勉強を残りの三~四ヶ月で詰め込まなければならない。相当タフなスケジュールだ。
頭を万力で締め付けられるような苦しみの表情を見て、わたしだって早く解放してあげたいと思う。でも時間がないのだ。心を鬼にして勉強を教えなければいけない。
「晴夏、聞いて」
「モリオパーティーする気になったの!?」
「晴夏……聞いて。大事な話だよ」
「はい……」
わたしとの温度差を察したのか、晴夏は大人しくなった。
「わたしは晴夏と一緒の高校に行きたいと思ってる。だから、晴夏が合格できるように一生懸命教える。晴夏はどうなの?」
「私だって! ……私だって雨愛と一緒がいい。雨愛と……」
未来を視る期待と過去を遡る寂しさの両方を滲ませた表情だった。そんな複雑な顔色を見て晴夏の言わんとしている心の内が痛いくらいに伝わってきた。
この時はまだ晴夏の病気を知る由もない。中学の時、わたしのつまらない意地のせいで晴夏と喧嘩してしまった。その結果、晴夏とはあまり思い出を作れなかった。
これは、わたし自身の罪滅ぼし。
失ってしまった中学時代の空白期間を埋めるため。そして、晴夏と同じ高校生活を過ごすための。
今だけは嫌われてもいい。晴夏と同じ春を過ごせるならそれでいい。
「高校に入ったらいくらでも遊べるんだから。今は頑張って勉強しよ、ね?」
「そうだね……うん、そうだね! いくらでも……毎日だって遊べるよね」
「いや、さすがに毎日は……」
「にしし! 雨愛! 私は今日から入試まで本気で頑張るよ。好きな絵も描かない、漫画も読まない、ゲームもしない。やって後悔もしないし、やらずに後悔もしない。四ヶ月後笑っていられるように、今やれることをやるよ」
小さい頃からの幼馴染がこんなに力強い意思表明をしている姿をかつて見たことがあっただろうか。比喩ではなく晴夏が神々しく、一回り大きく見えた。
そして、その言葉が、わたしと一緒に居たい気持ちの表れからくるものだと知って、心の中が甘酸っぱい感情で満たされた。
「私は尽力する! だから、雨愛もモリオパーティー練習しておくこと! 同じ高校に入学したら対戦だよ!」
「ふつうモードのCPUに勝てるくらいには腕を上げておくよ」
当時の晴夏がどんな気持ちだったか、もう知る術はない。
今思うと、あの時点で晴夏は自分の余命を悟っていたのかもしれない。もしそうなら、入学して長くない日々のために――わたしなんかと一緒にいる少ない日々のために闘病しながら机に噛り付いていたことになる。
そう考えると老朽した床板を踏む締めるような、軋んだ音が心から聞こえた。
それから晴夏は受験勉強に精を出すようになった。
晴夏は美術のセンスに恵まれていた。そのセンスはきっと努力の賜物。もともとポテンシャルがあり、本気になった晴夏は赤子が言語習得する勢いでどんどん吸収していった。
年が明けて雪が積もる頃には、晴夏は自主的に勉強するようになった。わたしは横で自分の勉強をしつつ、時折晴夏が分からない部分を質問しては教えてあげていた。
必要最低限の会話でペンを走らせる音と紙をめくる音だけが部屋を飾る。
べつに嫌な感じとか、緊迫した空気とか、そういうのじゃない。一緒に居るのが心地いい優しい時間だった。
雪がしんしんと降る中、暖房器具さえ不要に感じさせる暖かい空気。
それを思い出した――。
***
「その子も笹っちの指導で受験合格したんでしょ。なら、私達も安泰だね」と猫貝さんが言った。
「あんた笹希さんの話聞いてたの? 笹希さんの友達はめっちゃ努力したんだって。あんたは何もしてないじゃん。てか、猫貝どうやってうちの高校入ったの?」
と海音さんが茶化した。
「テストが終われば文化祭だね。頑張らなきゃ」と竹坂さんが気合を入れた。
「笹っちどうかした?」
「え? あ、ううん……なんでもない。続きやろっか」
「お手柔らかにね~」
中学の思い出は苦い過去だって思ってた。でも、温かい記憶だって確かにあった。そして、幸せな時間は今も、こうして目の前に広がっている。
裏切った親友に合わせる顔がないってずっと悔やんでた。
でも違う。
変えられないものと、変えられるもの、そして変わったものがある。
変わったものを見せて行きたい。
変えられるものを大事にしていきたい。
それが、わたしが晴夏の為にできる罪滅ぼしなのだから。
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