第57話 冷暗の刺客

 静寂を内部から壊すような声だった。


 暗がりの公園の闇をさらに深くし、夜の気温を一段と下げるような冷たい声。


「…………雷花らいか


 雷花弥文らいかやぶみ――中学の時の同級生で、今は別々の高校に通っている。着崩した制服に茶髪のカール、女のわたしでも重たいと思うような香水の匂い。


 雷花はブランコに座っている雲璃くもりを一瞥すると、雲璃もギロッと彼女を睨み返した。


 空気が険悪になるのを察知したけど喉に言葉がつまる。

 そんな緊迫したムードを解いてくれたのは別の女の子の柔和な声だった。


「やっほー笹希ささきさん。それに葵ヶ咲あおがさきさんも」

喜多河きたがわさん」


 喜多河さん……雷花の側近の一人だ。


「修学旅行ぶりだね~」

「うん、そうだね……御津木みつぎさんは?」

「いつも一緒にいるわけじゃないよ~。今日は用事だってさ」


 雷花たちとは修学旅行で再会した。手荒くしようとした過去など悪びれる素振りも見せず、喜多河さんは無垢に笑う。その節があるから、雲璃は二人に対して容赦のない鋭い眼光を向ける。


「なになに!? ふたりはデートかな?」

「べつにそんなんじゃ……」


 言い淀むと隣に座っていた雲璃が立ち上がってわたしの手を引いた。


「行こ、雨愛あめ

「あっ、ちょっ――」


「ちょっと待ってよ、葵ヶ咲さん。あたし達お話があるんだ」


 わたしの手を引く雲璃が一旦立ち止まり後ろを振り向いた。


「私達はあなた達みたいなビッチと話なんてないわ。時間の無駄」


 背後で舌打ちをする雷花を横目に喜多河さんも苦笑する。


「そんなおっかない顔しないでよ~葵ヶ咲さん。これでも同中オナ中出身のよしみじゃん~」


 きっと雷花だけだったら雲璃は今頃この場を去っていただろう。仲介役の喜多河さんに免じて話だけは聞く姿勢を取る。

 喜多河さんは綺麗に整ったポニーテールを揺らし、話を切り出した。


「葵ヶ咲さんは知らないと思うけど、あたしバトミントンやっててね、みんなからは『性格が軽い』とか『男と遊んでる』とか色々言われるけど、バトミントンだけはガチでやってるんだ」


 わたしも雲璃も何の話だろうと黙って聞く。


 でも確かにそうだ。素行が派手な雷花とつるんでいるせいで良くない噂が絶えない喜多河さんだが、スポーツに取り組む姿勢は本物だ。体力テストでは県内トップクラスのスコアを叩きだし、他の部活の助っ人にも度々呼び出されていた。


「食事管理までは流石にしてないけど、毎日の基礎練は欠かさずやってるんだ。ヒドイよね。こんなに頑張ってるのに『尻軽だー』とかあれこれ言われるんだから」


 プンプンとあざとい憤りアピールをしながら喜多河さんは続ける。


「あたしね、朝は近所で走ってるんだ。けっこうな早朝だよ!? こんなに早起きで健康的な生活してるのに夜遊びしてるわけないよねー!?」


 わたしと雲璃の様子を見ながらも、かといって反応を求めているわけでもなく、彼女は淡々と話す。雲璃の苛立ちが垣間見えた。


「あなたのスポーツ自慢は分かったから、で、本題は何?」

「ああ、ごめんごめん。前置きが長くなったね……にへへ」


 喜多河さんは指で頬を軽く擦ると改めて口を開いた。


「あれは……七月の終わり頃だったかな……。その朝も日課の走り込みをしてたんだ。早いよねーもう三ヶ月前だよ!? 今でもたまに気温上がる日あるけど、もうすっかり秋だよね~」


「きー子」


 そこで雷花が諫めるような言葉を発した。


「にへへごめんごめん。あたしってばすぐ脱線しちゃう」


 後頭部を掻く喜多河さんに、雷花が無言で続きを促す。


「朝練してたあの日……あたし達の学校はもう夏休みに入ってたんだけど、そっちの学校はちょうどその日が終業式だったよね?」


 ――夏休み前の終業式。それは晴夏はるかが亡くなった日。なんだか気分が悪くなる。過去の悲しみを思い出したから? それもゼロではない。

 けれど、


 分からない……。


 なんだ、この居心地の悪さは……。


「朝走ってるときに見かけたんだよね」

「…………なにを?」


 喉が渇く。喜多河さんはな依然としてニコニコしているが、その笑顔はさっきまでとは雰囲気が変わっていて、薄気味悪さに背中が疼いた。


 わたしの質問に答えるように喜多河さんはゆっくりと視線を移動させた。まるで、その視線の先に答えがあるかのように。彼女の視線はわたしを通り越して、背後にいる少女を捉えた。


「場所は、あかり岬。そこから去っていく葵ヶ咲さんを見かけたの」


 なんだ……。なんだこれ……。


 心臓から冷たい血がポタポタと滴る様だ。

 喜多河さんは気味の悪い薄笑いを浮かべながら雲璃を見つめた。


「ねぇ、葵ヶ咲さん。まだ明け方の早朝よ? しかもあんな場所で、一体何をしていたのかな?」


 体がぞくぞくした。ゆっくり雲璃の方を振り返ると彼女の顔も蒼白になっていた。彼女の手はまだわたしの腕を掴んだまま、小刻みに震えている。


「ねぇ、教えてよ。まさか葵ヶ咲さんも朝練してたとか言わないよねぇ? ねぇ、あの日、あの時間、あの場所で、あなたは何をしていたのかなぁ? んふふ」


 わたしはもう確信していた。喜多河さんは(そして十中八九、雷花も)勘づいているのだ。


「走っていく葵ヶ咲さんはすごく焦っているように見えた。不思議よね。ふつう、去っていく人間を気にするのに、あたしはどうしてか残された場所が気になったの。まるで、あかり岬に何かあるみたいな気がして」


 わたしの腕を掴んでいた雲璃の手から温度が失われていく。嫌な汗をかいていて、ゆっくりとわたしから手を放した。


 バトンタッチするように今度は雷花が一歩前に出てスマホを見せてきた。そこには一枚の画像が表示されていた。


「…………ッ!!」


 その画像を見た刹那、わたしは両手を口に当てて絶句した。


 一目で生きていないことが伝わってくる肉塊が岩場に横たわっていたからだ。


 四肢はあらぬ方向に曲がっており、辺りは生々しい血で染められ、頭部は歪に半壊している。


 無残な光景に吐き気を催す。耐えきれずしゃがんで口元を抑えるわたしを雷花は見下しながら口を開いた。


「エグイよね……。生のなれの果てってこんなに醜いんだね。痛かっただろうね……辛かっただろうね……フフ」


 憐みの表情をしながらも言葉の端々に魔女のような不気味さを滲ませる雷花。


「三ヶ月前。あかり岬で一人の女子生徒が命を落とした。ニュースでも少し取り上げられたね。捜査は程なく終了。現場の安全管理問題も役所の管轄に回された。人間一匹死んだニュースなんて一週間もすればみんなの記憶から消えていくのよ」


「でも……」と雷花は続ける。


「これ、笹希ささきが昔仲良かった子だよね?」

「ど、どうして……」


 どうして知ってるの……?


 ニュースでは実名公表されなかった。遺体の身元は関係者しか知らず、他校の二人は知る術はない。頭部も半壊していて顔のパーツも分からない。人物の特定は不可能だ。事実、警察サイドも遺留品くらいしか手掛かりがなかったのだ。


 遺留品……? そこまで思考を辿って、はっとする。


 再び喜多河さんが口を切る。


「葵ヶ咲さんが去った後、あかり岬に行ったわ。そしたらなんと死体があるじゃない!! しかも出来立てホヤホヤの! 興奮したわ。なまの死体見るのなんて初めてだったから」


 喜多河さんが鼻息を荒くして興奮気味に話す。


「ぐったりした肉の塊。血の匂い。皮膚には青黒い模様があって、打撲か死点かは分からなったわね。あっ見て見て! 他にもいっぱい画像あるのよ!!」


 そう言って喜多河さんはまるで旅行の記念写真を見せるようにスマホを差し出した。様々な角度から撮られた晴夏の遺体。彼女が着ている白のワンピースは彼女の一番のお気に入りだったことをわたしは知っている。その純白の衣装は赤黒い体液で染められていた。


 初めて目の当たりにする親友の死に言葉を失う。胃の中が逆流し、涙が出る。その涙が何の原因で眼から溢れたものなのかすらもう分からない。


「顔が損傷していたから初めは誰か分からなかった。どこかで見たことはあるなーって思ってたんだけど。そしたら、死体ちゃんが本を抱えてるのに気付いてね。拝借したら、ご丁寧に名前が書いてあるじゃない!」


 地球の神秘を発見した好奇心旺盛な研究者のように喜多河さんはケタケタと笑う。残酷な笑顔だ。


 遺体の第一発見者は、目の前にいるだった。死体に興奮し、写真をバシャバシャと撮り、現場を漁る。狂気染みた言動に二の句が継げない。


 そして、


 喜多河さんが最後に見せた画像――遺体の手元にあった遺留品の本だ。わたしもよく知っている思い出の本。そこには二人の名前が記されていた。


 ――南橋晴夏

 ――笹希雨愛

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