第49話 私しか知らないあなた

「全員ッ!! 注~~~~~目ッ!!!」


 ノスタルジックな雰囲気の店内に雷鳴のような声が轟く。今日も喫茶コトカは常連客が五人ほど入っていて、その穏やかなティータイムをしわくちゃな声が壊した。


「マ、ママ……どうしたよ」


 セバスチャンがフライパンの手を一旦止める。雲璃も他の客も何事かと固唾を飲む。


「おまえらこれを見なぁッッッッッ!!!」


 カウンターの奥から一人の少女が姿を現す。屋敷勤めのメイドさんのような制服に身を纏っている。踏み出す歩幅の小ささから非常に緊張している様子が伝わってくる。


「さ、あーちゃん」

「は、はいっ……」


 背中をポンと押されて一歩前に出る。


「きょ、今日から、こ、こちらでお世話になましゅ! さ、笹希雨愛ささきあめですッ。よ、よろしくお願いしゃすっ!」


 あまりの緊張から声が震えた。顔は熟れたトマトのように真っ赤で、体は電気を帯びたようにガクガクしている。


 人前で話すだけでもあがるのに、こんなコスプレみたいな恰好をさせられて、今すぐにでも霧になって消えてしまいたい。


(ああ、お客さん達みんなこっち見てる。~~~恥ずかしい)


 みんなの視線はわたしに集まり、沈黙が支配した。緊張でガチガチになったわたしには時間が延々と拡張されたように感じられた。


 そりゃ突然こんな新参者が出てきたら反応に困るだろう。せっかくのリラックスタイムを台無しにしてしまった。ああ、もうなんか、死にたい……。


 そう思ったけど、


「「「「「おおおおおおおおおおお!!」」」」」


 空気が揺れるような歓声が店内に響いた。


「新しい子かい!? よろしくね、雨愛ちゃん」

「君、この前来てた子だよね」

「その制服、ボスの仕立てか。いい仕事するわー」

「クールな雲璃ちゃんとシャイな雨愛ちゃん! いいツートップだなぁ」


 お客さんが囲み取材のようにわらわら群がる。


「あー鬱陶しいッ! 注目しろとは言ったけど群れろなんて言ってないよ、この愚民共! ほら散った、散った」


 佳代さんが杖で客を払う。


「~~~っ!」


 わたしは恥ずかしさのあまりにスカートを両手でぎゅっと掴んで俯く。遠くの雲璃くもりに目を遣ると、手を口元にやって頬を朱色に染めながら瞳を揺らしていた。


「とういうわけで、今日から働いてもらうあーちゃんだ。おまえら、あーちゃんが困ってたら助けてやるんだよ。いいなぁ」


 は~いという、いい年した大人の低音ボイスが反響した。一般的に「お客様は神様」がスタンスの喫茶店で、その神様をしもべ扱いする店長。文句ひとつ言わず、心の底からこの空気感を楽しんでいる常連さん達。これが喫茶コトカのスタイルなのだろう。


 なぜ昨日の今日でここで働くことになったかというと、雲璃から一緒に働こうという誘いのLIMEが絶えず届くのだ。根負けしたわたしは渋々承諾することにしたのだ。


 まあ、店員さんもお客さんもみんな優しい人たちばかりたし、素性の知らないバイト先を選ぶよりも、喫茶コトカが自分には合っているのかもしれないと思ったのも事実。


 それに雲璃もいる。友達がいるだけですごく心強い。


「それじゃあ、あーちゃん。注文聞くところからやってみようかぁ」

「えっ、わたしまだ何も教えてもらってないんですけど……」

「大丈夫、大丈夫。こういうのは慣れる方が早いからぁ」


 オーナーに促されてカウンターから一番近いテーブルに伺う。


「ご、ご注文は何になさいますか?」


 ちなみに手に持っているのは百円ショップで売っているような普通のメモ用紙だ。どうやらこの店にオーダー表は無いらしい。


「お! 雨愛ちゃん! やったぁ、僕が雨愛ちゃんの初めてになるんだね!」


「気持ち悪い発言すると次は店から追い出しますからね、土屋さん」と雲璃が鋭い眼光で牽制を入れた。


「じょ、冗談だよ……。あはは、相変わらず手厳しいなぁ雲璃ちゃんは」


 常連の土屋さんが苦笑した。


「それじゃあコーヒーのおかわりをもらおうかな」

「コーヒーですね、ありがとうございます。えっと種類は……」

「ああ、大丈夫だよ、雨愛ちゃん。コーヒーって伝えてもらえば、それでOKだから」


 不思議そうな顔をしてカウンターの方を見るとセバスチャンが白い歯を見せて親指をぐっと立てた。


「コーヒーって頼めばセバスチャンが良い感じで淹れてくれるんだよ」


 セバスチャンは常連の味の好みを把握していて、それぞれに合ったテイストを提供しているらしい。


「せっかくあーちゃんが接客してんだよぉ。もっと注文しなぁ」

「ボスが俺たちから搾取したいだけだろ!」


 佳代さんと土屋さんが茶化し合う。ちなみにオーナーの佳代さんは、常連からは「ボス」の愛称で通っている。


「あ、あの……ご注文は以上でよろしいでしょうか?」


 上目遣いで土屋さんに再度確認してみた。


「――ッ! オムライス追加で!」


「なかなかやるね、あーちゃん」と佳代さんは二本目の葉巻に火をつけたのだった。



「セバスチャンの淹れてくれたコーヒーも悪くねんだけどさぁ。たまにはボスのコーヒーも飲みたいぜ」


「あたしがコーヒー淹れるなら指名料取るよ」

「その指名料バカにならないだろ! そのお代でランチ三日分は食えらぁ」


 それからは各テーブルを回りながら注文を聞いたり、料理を運んだりした。会計も雲璃からやり方を教えてもらって、基本的な操作はできるようになった。


 注文を聞く時にお客さん一人ひとりとお話できたので、顔も覚えてもらえた。最初は緊張したけど、そんなこんなで時間はあっという間に過ぎて、とっくに街灯が灯りはじめる頃になった。


「あーちゃん、お疲れ様! よく頑張ったねぇ。今日はもう上がっていいよ。くーちゃんもお疲れ様、ありがとうね」


「お疲れ様です。今日はありがとうございました」

「お先に失礼します。お疲れさまでした」


 わたしと雲璃は店奥の更衣室に向かった。


「ママ~俺もお疲れちゃんなんだけど~」

「あんたは残業。とっとと片づけて帳簿手伝いな」

「鬼ッ!!」



***



「アルバイト初日はどうだった?」

「うん、なんとかやっていけそうかな」

「それは良かった」


 華美な制服での登場に最初は公開処刑だと思った。きっと佳代さんはわたしの恥ずかしがりやな性格を理解していて、早く溶け込むにはああいう荒治療が一番いいと判断したのだろう。


 雲璃も前に言っていた通り、常連のお客さんも優しい。冗談が好きで、毎日がお祭り気分な人たち。ああいう人種は苦手だって決めつけてたけど、打ち解けたら良い人たちばかりだった。


「疲れたでしょ。今日はゆっくり休もう」

「うん。雲璃こそ、今日はお皿洗いとかお願いしちゃってごめんね」

「いいのよ。今日は雨愛のお披露目会なんだから」


 雲璃は手際よくエプロンの紐を解いて襟のホックも外していく。わたしも倣って制服を脱ごうとするけど、上手く背中のファスナーに手が届かない。


「ああ、それ慣れないと着脱するの難しいよね。手伝ってあげる」

「ありがとう」


 Yシャツ姿の雲璃が背後に回って制服のファスナーを下ろしてくれる。動き回って体中がポカポカしていたので、背中が外気に触れて、心地いいと感じた。


「雨愛の背中、すごく綺麗」

「は、はずかしいからッ、あんまり見ないで……」

「下着かわいいね」

「見ないでって!」

「ほら、動かない。うまく脱げないでしょ」

「ぅう……」


 自分の下着が色香を欠いているというか、子どもっぽいというのは承知している。オシャレは下着から……なんて格言をどこかで聞いた気もするけど、外見のファッションに無頓着なわたしがブラやパンツにこだわりがある訳もなく。


 そっと雲璃の方を見た。Yシャツの隙間から大人っぽい黒の下着が見え隠れしている。あんなのランジェリーショップの店頭でしか見たことがない。


 雲璃はゆっくり焦らす様に背中のファスナーを下ろしていく。徐々に肌色が露わになってきて、女の子同士といっても少し恥ずかしい。


「私ね、実はちょっとだけ機嫌悪かったんだ」

「え、どうして?」

「雨愛の制服姿がすごく可愛いくて」


 そういえば初めて店内に出た時、雲璃は顔を赤らめて硬直していた。


「うちの汚い常連共が色目使いしてた。雨愛なのに……」

「私のって……。常連さんなのに、そんな言い方よくないよ」

「ふふっ、冗談よ。でもね、こう思っちゃったの。外見でも、内面でもいいから、私しか知らない雨愛がいてくれたら、どんなに素敵だろうって」


「雲璃しか知らないわたし……」


 雲璃はなぜかわたしのことをよく知っている。


 反対に、わたしは雲璃のことをほとんど知らない。代わりに、他の人が知らない雲璃を知っている。


 わたしをからかうお茶目な一面があること。笑った時の朗らかな顔はとても安心できて、泣いた顔はその感情がダイレクトに伝わってくるように悲しいこと。そしてわたしなんかを好きでいてくれる一途な愛の形を示してくれること。


 出会った頃は冷徹に感じられた彼女も、今は触れるとそっと溶けてしまうような温かい雪に感じられる。


 わたししか知らない雲璃――それを考えると何だか特別で、優越感のような気分に浸れる。


 笹希雨愛は葵ヶ咲雲璃のことをほとんど知らない。代わりに、他の人が知らないような彼女の一面を知っている。


 反対に、葵ヶ咲雲璃は笹希雨愛のことをほとんど知っている。故に、彼女しか知らない笹希雨愛はほとんど存在しないのだ。


「だから私は、……私しか知らない雨愛がほしい。特別な雨愛がほしい」

「それは、友達として?」

「………………うん、そうだね」


 色々な感情を押し殺すような返事だった。自分から訊いておいて酷な質問だと思った。彼女の気持ちを知ってるからなおさら。


 着替えを手伝ってくれている雲璃から一度離れると、わたしは数歩前に出て彼女に向き直った。


「……雨愛」

「こ、こんな格好するのココだけだし。学校の人はたぶんこんな所に来ないし。だから、この制服姿を見せるのは雲璃だけ……っていうか」


「……。ふふっ、そうね、そうだね」


 少し間が空いて雲璃が笑った。拙い意思が伝わったのだろう、雲璃は小さく「ありがとう」と言った。


 まだ知らないことはたくさんある。知らなければ、知っていけばいいし、その分知ってもらえばいい。未来の寂しさに胸を痛めた夏休み。でも今は、これからのことを考えるのが楽しい。


「ちょっ! 何してるの!?」

「……? 上脱がせ終わったから、次はスカートを……」

「それは自分で出来るから!!」

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