第46話 友達のため

 今日から十月。二週間後には中間テストが控えている。


 雪原さんにテストの話をすると頭を抱えながらうめきだすので、彼女の前で勉強の話をするのはやめた。雲璃はどうなんだろう。まぁ、彼女のことだから心配はないと思うけど。


 中旬の定期試験に備える二週間。テストが終われば文化祭の準備がはじまる。わたしもこの二週間はテスト勉強に励みながら、バイトを探す。


「勉強もちゃんとするって、お父さんとお母さんと約束したもんね」


 中学の時、変わりたいと思った。でも、上手くいかなかった。そしてこの夏、かけがえのない物を失い、同じくらい大切な物ができた。


 だからわたしも前に進みたいと思った。変わるんじゃなくて、前に進むんだ。



***



雨愛あめ、バイト探してるんだって?」

「うん。誰から聞いたの?」


 今日は雲璃くもりと一緒に帰る。


「雪原が『他クラスの友達から人生相談受けちゃったよ~。私も隅に置けないね~』って自慢気に言ってたから、たぶん雨愛のことじゃないかなって」


「なんか随分と誇張されてる気もするけど……。雲璃は……バイトしてないよねぇ」


「してるよ」

「そうだよねぇ、してる訳ないよね……」


 …………………………。


「えええええええええ!? バイトしてるの?!」


「雨愛が訊いたんでしょ」

「そうだけど……」


 雲璃がバイトしてるなんて思わなかった。というか想像できない。とういうか、雲璃さん。我が校はバイト禁止ですよ? まぁ、これから始めようとしているわたしが言うのもなんですけど。


「何のバイトしてるの?」

「それは教えない」

「なんで?」

「恥ずかしいから」

「恥ずかしいバイトなの?」

「そうじゃないけど、……そうかもしれない」


「もしかして、雲璃。してるの? だ、だめだよっ!! アルバイトさえ禁止なのに、その上そんな……」


「何か勘違いしてない、雨愛? 飲み物運んだり、おじさんの相手してるだけだよ」


「そういうバイトじゃん!!!」


 なんてことだ。学校ではクールでミステリアスなキャラを演じている女子高生が、裏では秘密のアルバイト。いや、むしろ、こういう何を考えているか分からない子に限ってそうそうバイトしているイメージがある。


「ダメだよ雲璃! 高校生がそんなバイトしちゃ」


 この手のバイトの多くは高校生不可のはず。ということは雲璃は年齢を詐称している可能性が高い。校則だけでなく、社会のルールにも抵触していることになる。


 店側は気付いているのか。分かってて採用しているなら店側もアウトということになる。


「今からでも遅くない。退職届出しに行こ、ね?」

「雨愛。私にも色々と事情があるの」

「どんな事情があっても法律違反は駄目だよ」

「法律……って。別にやましい事はしてないから」

「悪いことしてる人はみんなそう言うんだよ」

「これはね、私の問題なの。いくら雨愛に言われてもやめるわけにはいかないから」

「ぁ…………」


 わたしが出る幕じゃない――そう言われてる気がして少し寂しかった。でも彼女の行動は問題でも、言っていることは正論だ。


 これは雲璃の事情。家庭の問題などもあるかもしれない。雲璃だって好きでやっている訳じゃないんだろう。部外者のわたしが口を出すべきではない部分もある。だから、わたしに唯一できるのはささやかに応援することなのだ。


「そう……だよね」


 わたしだって、ちゃんとした目的があってバイトを探している。その目的は、雲璃。あなたの為だよって本当は言いたい。でも、今は教えられない。


 きっと雲璃にはわたし以上に複雑な理由があってアルバイトをしている。そんな強い意志を誰が咎められようか。


「ごめんね、雲璃。わたし、何も知らないで勝手なこと言っちゃって」

「ううん、雨愛が気にすることじゃないよ」


 分かれ道にさしかかると茜色の空に紫のグラデーションが滲む。日が落ちるのが早くなったなと感じる。


「じゃあこの辺で。バイバイ、雨愛」

「うん。また明日、雲璃」


 わたしは彼女のことを何も知らない。夏休みに一波乱あって、紆余曲折の果てにわたし達は友達になった。友達になったのに、彼女のことをほとんど知らない。よくも知らないで他人の生き方に口を挟んではいけない。


 わたしはこうしてひっそりと陰から応援する。それが正解なのだ。


 がんばれ……雲璃。



***



 ………………ってそんな訳あるかー!!


 駄目でしょ! 友達ならなおさら、正しき道へ引き戻してあげなきゃ駄目でしょ! 見過ごせないでしょ!


 とういうことで、翌日の放課後。


 廊下の柱に身を潜め、雲璃のクラスを観察する。


 ホームルームが終わると生徒がぞろぞろと出てきた。同じクラスの雪原さんが顔を出して、そのまま階段の方に消えていった。部活に直行したのだろう。


 今日も部活があることは昨日の雪原さんとのLIMEで確認済みだ。そのまま部活に行けば問題ない。でも、もし部活に行かなかったら……と一抹の不安がよぎる。


 生徒の流出が落ち着いた頃、ようやく雲璃が現れた。


 カバンを左肩に下げて、水面を吹く風のような軽い足取りで歩いていく。今まで気にしたことは無かったけど、その一挙一動が洗練されたように美しい。


(いかん、いかん。何やってるんだ、わたしは)


 雲璃の雅な仕草に見惚れていると、いつの間にか距離ができてしまった。これでは見失ってしまう。追いかけなくては。


 彼女もそのまま東の階段の方向へ歩いていく。わたしはその後ろを距離を置きながら、時々柱に隠れながら跡を追った。


 そして、階段の踊り場にさしかかる。美術室は四階なので、本来なら上の階段を上っていくはず。ところが、


 おやおや、おかしいですね、雲璃さん。どうして階段を下りていくんですか? 美術室は上ですよ?


 わたしの姿が常に死角になるように距離をとりながら尾行を続ける。もしかしたら階下に用事があって、それを済ませてから美術室に戻るのかもしれない。


 そんな淡い期待を電光石火で裏切った雲璃はそのまま昇降口で外履きに履き替えて校舎を後にした。


 ………………ふむ。


 今日は部活がある、臨時で休部でもない。雲璃はそれを無視して帰宅した。家の用事か何かで部活を欠席したなら理解できる。


 でも、もし。正当な理由なく部活を休んだとしたら。


「いけない子だ……雲璃は」


 いずれにしても確かめる必要がある。雲璃を信じていない訳ではない。友達だからこそ心配なのだ。その反面、雲璃のバイト事情を知るチャンスかもしれないと心が躍るのも事実。


 半分の好奇心と、半分の懸念。わたしも靴を履き替えて彼女の背中を追った。



***



 わたしは雲璃の家を知らない。いつまで、どこまで歩くか分からない。いつバレるか分からない尾行に心臓が汗をかくようだ。


 しかし、十分ほど歩いた所で彼女は足を止めた。そこはバスの停留所だった。


(バスに乗るんだ。いよいよ怪しくなってきたね)


 いや、そう断定するのは時期尚早。バスで通学してるだけかもしれないし……。


 しかし困った。バスに乗られると追跡ができなくなる。乗り合わせるわけにもいかないし。


(どうしよう……見失っちゃう……ッ!)


 あれこれ迷っているとバスが到着してしまった。彼女はそのまま乗車して、バスは出発した。


「ああ、いっちゃった……」


 途方に暮れてバスの後ろ姿が小さくなるのを見送る。


「雲璃……」


 名前を呟くと、彼女がどこか手の届かない場所に行ってしまうような気がして寂しくなった。


「ひゃあ!」


 後ろからクラクションを鳴らされて思わず大きな声が出た。気付くと車道に身を乗り出していた。


 しかし、そんなことはどうでもよかった。クラクションを鳴らした車がタクシーだったからだ。


「これしかない!」


 それは神様からの贈り物――さしづめ、ペガサスが荷車を引く天の箱舟に思えた。


「すみませーんっ!」


 わたしは車道に立ったまま”だいもんじ”のように両手を広げてタクシーを止めた。キキーッというコンクリートとタイヤの摩擦音が響く。後部ドアが開いて勢いよく車内に乗り込む。


「お客さん! 道の真ん中で突っ立ってちゃ危な――」

「前のバスを追ってください!!」

「え!?」

「早くしてください!!」

「は、はい……」


 一度言ってみたかったんだよねこの台詞。まさかこんな場面で使うとは思わなかったけど。


 バスの後ろ姿はかなり小さくなったけど、まだ追跡できる距離。わたしの鬼気迫る雰囲気に気圧されて、運転手さんはクラッチを切った。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る