第45話 バイト探しは秋の色

「バイトやりたい!?」

「うん」


 目を丸くする両親に、わたしは毅然と背筋を伸ばす。


「でも雨愛あめちゃん。バイトはダメだって学校の決まりでしょ?」

「それは知ってる。でも、どうしてもやりたいの」


「何か欲しい物でもあるの? お小遣い少し上げる? 前倒しでもいいのよ。雨愛ちゃん最近、勉強も頑張ってるみたいだし」


「ありがとうお母さん。でもね、


 新しくできた目標。それを達成するには自分で稼いだお金じゃないと意味がない。


「お金が目当てじゃないってこと?」

「お金は必要なの。でもそれだけが目的じゃない」

「やってみたいアルバイトがあるとか?」

「それはまだ決まってない。これから探すつもり」


 お母さんの質問に淡々と返す。わたしは昔から物欲がなく、もちろん校則を破ったこともない。


 そんなわたしが、目的があるとはいえ、堂々と校則を破ると明言しているので、お母さんも驚きを隠せないのだ。


「お願いっ! お母さん!」

「でもねぇ、校則で禁止されてるし……」


 お母さんはチラッと委ねるような視線をお父さんに投げかけ、つられてわたしもお父さんの方を見た。お父さんは腕組みをしながら難しい顔をして、数秒の間を空けて口を開いた。


「まぁ、なんだ……。別にいいんじゃないか。アルバイトくらい」

「「お父さん!!」」


 明るい声と咎める声が同時に響く。腕組みを解くとお父さんは前傾姿勢になってわたしを見た。


「雨愛。それは、どうしても今じゃなきゃ駄目なのかい? もうすぐ冬だ。冬が終わればおまえも受験生。雨愛の学力なら問題ないと思うが、大学生になってからでもアルバイトは遅くないんじゃないか?」


「大丈夫、そんなに長くやるつもりはないよ。春になればきちんと受験勉強もする。それに、……”今”じゃなきゃ駄目なんだよ、お父さん」


「そっか……」


 わたしの言葉にどれだけの真意を込められたかは分からない。お父さんは再びソファに背中を預けると天井を仰いだ。厳格とまではいかないけど、分別のある良き父親だ。校則を真正面から破ろうとしている娘の言い分を見逃す訳はない。


 だけど、わたしの決意は揺るがない。それは承知の上で勝負を挑んだのだ。


 そのつもりだったんだけど……。次にお父さんが口を開いた時、それはあまりにも軽快な声調だった。


「よしっ! なら、何も言うまい! 好きにやってみなさい!」

「「お父さん!!」」


 正反対の色の声が響く。


「でも、ほんとうにいいの?」


 お母さんよりもお父さんの方が手強いと思っていたので、あっさりと説得できて拍子抜けしてしまう。


「お父さんも雨愛くらいの頃は、よくバイトしてたもんだ。いろいろ社会勉強にもなるし、やってみなさい。ただし、学校の勉強も疎かにしないこと! いいね?」


「うん! 約束する!」


「あのねお父さん。頑固オヤジだけど最後の最後で娘に心を許すやさしい父親オーラ出してますけど、校則は校則ですからね。だいたいあなた、そもそもそんなキャラじゃ――」


「ありがとうッ!! お父さん! お母さん! わたし頑張ってみるね!」

「ちょっ――。お母さんはまだOKして……あの子、足速いのよね」


 お母さんは振り返ってお父さんにジト目を向ける。


「あなた、どういうつもり」

「嬉しかったんだ」

「嬉しかった?」


「雨愛は素直で大人しい子だった。あれがやりたいとも言わないし、これが欲しいとも言わない。それが、こんなに正面から意思表示するようになって。なんか、大きくなったな……って思ったんだ。それに」


 父の穏やかな視線はセピア色の過去と混ざって虚空を漂う。


晴夏はるかちゃんが亡くなった時。あの子は初めて強い感情を見せた。でも、今回はあの時と違う。負の感情の発露じゃなくて、自分の気持ちを芯に据えた真っ直ぐな想いだった」


「それはそうですけど……」と言い淀むお母さんは既に九割以上は諦めているのだが、最後の防衛ラインだけは譲れないような顔で口をモゴモゴさせている。


「まあまあ、いいじゃないか。期限は決めてるみたいだし、勉強もちゃんとするって言ってるじゃないか」


「そういう問題ではありません。ルールの問題です。万が一、バイトの事実が学校側に知られたら」


「子どもの責任は親の責任だ。君も前に言っていたじゃないか。ぼくと一緒にあの子を見守ろうって。悩みがあったり、困ったりしていたら力になろうって」


「あ、あれは、そういう意味で言ったんじゃありません!」


 顔を赤らめるお母さんを、お父さんは柔和に笑い返していた。



***



「ビーッ! ビーッ! 悪い子発見探知機! 悪い子発見!」

「”発見”と”探知”意味かぶってるよ?」

「同じツッコミさせないで!」


 平日のお昼休み。雪原さんと中庭で昼食中だ。


「雪原さんは、わたしが校則破ってバイトするの反対?」

「そりゃあ清く美しい風紀委員長ですからね。そんな悪い子は月に代わってお仕置きよ」


 それは初めて聞いた設定だ。そして風紀委員ですらない。


「でもね。私は笹希ささきさんみたいな悪い子、好きだよ」

「わたしも雪原さんみたいな天邪鬼あまのじゃくな子、嫌いじゃないよ」


 雪原さんはお弁当を、わたしは購買のコロッケパンを食べる。


「雪原さんってキャラ変わったよね。最初の頃は清純な感じだったのに」

「それだと、今の私は清純じゃないみたいじゃない!」

「それは行間の読みすぎ」

「ホントかぁ~?」


 雪原さんは最後の一口を勢いよく口に入れて、わざと音を立てるように可愛い丸い弁当箱を片付け始めた。お茶の飲んで一息つく。


「それで、聞きたいことって何かな、笹希さん」

「雪原さんなら良いバイト知ってるかな~と思って。何かアルバイトは経験はないの?」


「長期はないかな。単発とか短期のやつならちょくちょく入ってるけどね。アニメのグッズとか、美術の画材とかの足しにね」


「バイトしてるじゃん」

「…………」

「清く美しい風紀委員長が」

「………………」

「悪い子発見探知……」

「あーーーっ! うるさい! うるさい! そういうこと言う子にはもう教えてあげませーん!!」


 両手で耳を塞ぐ雪原さん。ちなみに、わたし達だけが風紀を乱す存在という訳でもなく、陰でこそこそアルバイトしている生徒はけっこういる。


「雪原さんはどうやってバイト探してるの?」

「やっぱりスマホかな。新しい募集も早く掲載されるし、応募も楽だしね」

「おすすめのサイトとかある?」

「有名なやつだけど、私がよく使ってるのは……」


 雪原さんが自分のスマホを見せながら親切に教えてくれた。


「あとは普通にバイト情報冊子とかも休み時間にチェックしたりしてるよ」

「スーパーの入り口とかに置いてあるやつ?」

「そうそう」


 女子高生が休み時間にバイト情報誌を貪る……なかなかシュールな絵だ。


「あと、ここ重要! 出来れば口コミや、前にそのバイトをやったことある人に経験談を聞いた方が絶対にいい」


「あー……、広告の内容と実際の業務が乖離してるからもしれないから?」

「その通り!」


 ”誰でもできる! 超簡単!”と書いておいて実際は重労働だったり、交通費支給と書いてあるのに支払われなかったり……アルバイト待遇への不満はあちこちから耳に入ってくる。


「だから、経験のある友達の話を参考にするとか、最低でも事前にそのお店に行ってみるとかね」


「自分がお客さんとして入店して、そこの雰囲気とか店員さんの様子とかを視察するのね?」


「そういうこと。間違っても行ったことのないお店や興味のない仕事に何の前準備もなく応募するのは悪手よ」


「ちなみに雪原さんは今までにどんなバイトをしたことがるの?」


 その後も雪原さんのバイト談義は続いた。雪原さんの話は説得力がある。相談してみて本当に心強いと思った。


 九月下旬。残暑が和らいだ外の気温はとても過ごしやすい。夏の忘れ物に、秋の涼しい風が時折顔を覗かせる平日の昼間。長閑な気温の中で少しずつ何かが変わっていく気がした。

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