第44話 感情の名前
この気持ちは何だろう。
それは、道に迷った子どもを安心させるような優しい気持ち。
それは、お祭りの中を歩くような高揚感。
それは、サプライズでプレゼントを渡す直前のようなドキドキする感じ。
色んな感情が生まれては消えて、また現れて。それらはバラバラの感情ではなくて、同じひとつの感情なのだ。わたし達が日によって体調や機嫌が違うように、それも元々はひとつの感情で、日によって見せる態度を変える。
ドキドキして、楽しくて、安心できて……。この気持ちはなんだろう。
夜の寝室でリラックスしているとスマホが鳴った。彼女からのLIMEだ。
〈まだ起きてる?〉
〈起きてるよ。どうしたの?〉
〈この前撮った写真、
先日の修学旅行の写真が送られてくる。ほとんどが
「写真ありがとう。よく撮れてるね」
「ランチのときの写真、今壁紙にしてるの」
「それは恥ずかしいからやめて。本当に」
わたしが大きな口を開けて何重ものバーガーにかぶりついている。写真に収まるように雲璃が横に寄り添う。お互いの肩と頬がぴとっとくっついている。
雲璃の声に耳を傾けながら、もらった写真を眺める。雲璃も写真を見ながら同じように修学旅行の思い出に浸る。
ウォーターワールドで水を被ったこと、憧れだったハリー・ポッターエリアで遊んだこと、チュリトスやミニオンサンデーを食べ歩きしたこと……。写真を見ながら思い返す。
「また行きたいね」
「うん……」
それは学校行事としてみんなで? それとも……。訊こうとしてやっぱりやめた。
その後は電話を切ることもなく。相手の存在を耳元で感じながら話題が思いついたら話す感じ。昼間の何倍もの速度で夜の時間は流れていった。
どちらからというわけでもなく、自然と会話を終えてベッドに入る。暗い天井を見上げるとプラネタリウムの流れる星のように色んなことが頭を巡る。
わたしは雲璃のことを何も知らない。絵が上手で、わたし以上に人付き合いが下手で、一見すると冷淡でミステリアスだけど、笑った顔は可愛くて……。
「あれ? これってほとんど何も知らないに等しいんじゃないか?」
わたしは雲璃のことを知らない。知る必要なんて無いって思ってた。でも今は、もっと雲璃のことを知りたいと思う。
だから、改めて自問する。この気持ちは何だろう、って。
***
修学旅行から二週間が経過し、九月も下旬。さっきまでざわついていた教室内が一瞬だけ静けさを取り戻す。
「それでは賛成多数で私達のクラスは謎解き脱出ゲームに決定しました」
クラス内からはパチパチと拍手が起こる。修学旅行が終わった今、次のイベントは文化祭だ。
本日最後の一コマを使ってクラスの出し物を決めていた。最後まで残った演劇と動画制作の案を振り切って、わたし達のクラスは謎を解きながら出口を目指す脱出ゲームに決まった。
「やっほー
帰り支度をしていると明るい声が届いた。雪原さんだ。
「あっ笹希さんのクラスも文化祭の催し決めてたんだ」
「うん。雪原さん達も?」
「そうそう、さっきの授業でね!」
「雪原さん達は何をするの?」
「マーメイド喫茶!!」
「まーめいど……喫茶?」
「人魚のコスプレするの」
「メイド喫茶の人魚版って感じ?」
「そんなとこ!」
人魚かぁ、可愛いな。人魚ってことは下はお魚で、上半身は……っ!
「だっ、ダメだよ雪原さん! そんなセンシティブなの!」
「はえ? センシティブ?」
雪原さんが頭上にクエスチョンマークを浮かべながら虚空に目を泳がせた後、どうやらわたしの反応に気付いたようだ。
「ん~なに想像してるのかな~。笹希さんってエッチだね」
「雪原さんがセンシティブなこと言うからッ!」
「笹希さん! あまりセンシティブって連呼しないで!」
周りにクスクス笑われているのを気付いて顔がボンッと沸騰する。雪原さんは大笑いしている。
「大丈夫だよー肌色の露出なんてないから。健全、健全! だから笹希さんも遊びにきてね」
「そうなんだ……。うん、絶対に行くね」
「それとも私のセンシティブな格好見たかった?」とこっそり耳打ちしてくる雪原さんの背中を引っ叩く。
「笹希さんのクラスは何するの?」
「脱出ゲームだよ」
「バラエティ番組でよく見るやつだ!」
「あそこまで完成度は高くないと思うけどね」
どこまで行っても所詮は高校生の文化祭。役割分担などもまだ決まっていない。どれくらいのものが出来上がるかなんて想像つかない。でも、やるからには全力で良いものを作りたい。
「それより雪原さんはうちのクラスに用事があったんじゃないの?」
「そうだった! 美術部の子に頼みごとがあったんだ。それじゃあまたね、笹希さん」
雪原さんと別れて家路につく。季節はこれから少しずつ秋へと移ろぐ。
***
週末。
今日は中心街のショッピングセンターに来た。最近は雲璃か雪原さんと遊ぶことも増えたので、ひとりで買い物するのが久しぶりだ。買い物と言ってもお目当てのソックスと保湿クリームを買えたので、あとはゆっくりウィンドウショッピングを楽しんでいる。
「ぁ……」
とあるアクセサリーショップの前で足を止める。夏休みに一度来たアクセサリーショップだ。
「確かここには…………あった」
爽やかな海の色をした指輪。真珠や海底秘宝にも劣らない海の輝き。前に来た時に思わず目を奪われた指輪だ。
「やっぱり綺麗だなぁ」
その神秘的な光沢に自分が海へ潜ったかのような錯覚を覚えてしまう。
わたしはこの指輪を欲しいと思っている。でもそれは、自分の指にはめたいからじゃない。じゃあ誰の為? 何の為に指輪を買うの? その動機が分からない。
店内から同い年くらいの女の子二人が出てきた。お互いに小さな紙袋を渡し合って、プレゼント交換をしているようだ。そのまま店の前に立っているわたしとすれ違って行ってしまった。
(嬉しそうな顔だったな……)
人間ってあんなの豊かな表情ができるんだ。
最近のわたしはあんな表情をしているだろうか。そしてあの子にも――彼女にもあんな表情を作ってあげられているだろうか。一人の少女を想う。
黒髪のミディアムショート。このリングと同じような透き通った碧色の瞳。クールとミステリアスが服を着て歩いているような、でもちゃんと心の宿った女の子。
彼女の顔を思い浮かべた途端、心の水たまりにちゃぽんと一滴の雫が落ちた気がした。
ああ、そっか……。わたしは、あの子の笑った顔が見たいんだ。指輪をあげて喜んでほしんだ。
「べ、別に変な意味はないからね。店員さんも前に言ってたじゃん。プレゼント感覚で家族や友達に渡す人も増えてるって」
まさに今すれ違った二人組の女の子のように。
そうだ、深い意味はない。これはお礼だ。帽子を買ってくれたお礼。助けてくれたお礼。そして、わたしを好きと言ってくれたお礼。
わたしの気持ちはまだ道に迷ってる。だから答えを出さなければいけない。プレゼントした時に分かるのだろうか。今わたしが抱いているこの気持ちの正体が。
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